第65話 走れ静流!

【前回までのあらすじ】


 【門】から現れた大量のサラマンダーによって大混乱に陥った池袋の街。ビルの最上階に取り残された灯夜たちの身を案じ、綾乃浦静流は地下道をひとり進んでいく。

 行く手を塞ぐ泥の妖を駆け付けた愛音に任せ、エレベーターで最上階へ向かった彼女は、そこで妖の僧に追われていた灯夜のパートナー・しるふと出会う。


 果たしてふたりは、妖の僧・冨向の妨害をかいくぐって灯夜を救い出す事ができるのだろうか――――!?



◇◇◇



 ……天海神楽学園に入学してから、もう一ヶ月あまりが経つ。その間幾度も機会があったにもかかわらず、わたしは彼――――月代灯夜とちゃんとした会話を交わす事ができないでいる。

 入学式の翌日に言い争いになって以来、ずっとだ。


 クラスメイトとして、挨拶や二言三言のやり取りは普通にある。共通の友人もできたし、傍から見れば普通に仲良くやっているように見えただろう。


 けれど、本当は違う。違うのだ! 私と彼は、本当はもっと親密な関係だった。確かに、仲違いしていた時期もある……けれどそれも乗り越えて、二人の絆はより強く結び付いたはずなのに。


 学園での思わぬ再会が、近づいた私たちの距離を再び微妙なものに変えてしまった。まさか彼が……女子校に“女の子”として入学して来るなんて、思ってもいなかったのだ。


 彼の親族であるという蒼衣先生から大体の事情を聞いた後も、私は彼の待遇にどうにも納得がいかなかった。


 天海神楽学園は妖怪が視えたり、妖怪絡みの事件に関わってしまった子供を保護する場所。それは分かる。

 そういった子供は女子がほとんどで、レアケースの月代君はやむを得ず女生徒として扱われる事になった……というのは流石にどうかとは思うが、彼の容姿を考えればまあ理解できなくもない。


 問題なのは、その彼がどうして妖怪退治に駆り出されているのかだ。学園は月代君を保護するどころか、積極的に危険な場所に追いやっている。これでは本末転倒ではないか!

 そして何より、彼自身がその立場を受け入れてしまっている。自分の力で人助けができるのならと、進んで従っているのだ。


 そう、月代君には力がある。風の精霊しるふと契約し、風を自在に操る力を手にした彼は、妖に囚われた私を助け出し……ついこの間は愛音グリムウェルやあの四方院樹希と一緒に、学園の危機を救ったとも聞いている。


 すでに大人顔負けな活躍をしている彼を、私なんかが心配するのはおかしいのかも知れない。けれど、他の誰よりも彼を見てきた私には解る。解ってしまう。


 妖怪相手の戦いの中に身を置く事が、優しすぎるくらいに優しい彼にとってどれだけの負荷になっているのか。力があるから戦わなければ、救わなければならないという考えに、月代君は縛られてしまっているのだ。


 あの日、私の制止を振り切り戦場へ向かった彼は……それから三日間、病院から戻らなかった。幸い大事には至らなかったけれど、こんな事を続けていたらどうなるか。


 本当は、今すぐ止めて欲しい。戦いは他の人に任せて、平和な日常へ戻って来て欲しい。けれど、きっと彼の意志は変わらないだろう。月代灯夜というのはそういう人間であり……だからこそまぶしく、愛おしいのだ。


 そんな彼の為に何かしたい、役に立ちたいと思っても、私にはその力が無い。人より少し霊力が多くても、妖怪が視える以外には何もできない。

 月代君の苦しみを知りながら、ただの傍観者で居続けなければならない……その罪悪感が、私と彼の間に見えない壁を作ってしまっていた。


 彼が精霊と契約するキッカケを作ったのは私。彼が苦難の道を歩む事になったのは私のせいだというのに、私は彼に何もしてやれないのだ。

 それがどうして、そ知らぬ顔で友達を名乗れるというのか。


 しるふや愛音グリムウェルに当たり散らすような態度を取ってしまったのも、私と違い彼の力になれる彼女たちが羨ましかったから。私が入り込めない世界へ行ける彼女たちに嫉妬していたからだ。

 ……完全無欠なんて言葉からはほど遠い、醜い私。


 ――――けれど、今は。


「ほーらほら、こっちだヨ~! そんなんじゃいつまでたっても捕まえられないゾ~!」


「ぐくっ……おのれ、羽虫の分際で!」


 しるふは妖の僧の周りを飛び回り、振り回される腕を紙一重のところでかわしている。押し付けておいて何だが、おとりとしての役割はやはり彼女が適任だったようだ。

 手が届きそうで届かないイライラする距離を保つしるふに、相手はすっかり意識を持っていかれている。


 これならば、私は気付かれる前に月代君の元に辿り着けそうだ。あの妖が放ったという、何か白いセメントのような物で柱に縛り付けられている彼。

 しるふの話では、そのセメントが邪魔して魔法少女に変身できないのだとか。


 私の手には、愛音グリムウェルの水晶剣がある。これを使って彼を助けるのだ。


「しるふ、何を……って、静流ちゃん!?」


 突然の騒ぎに顔を上げる月代君、その蒼氷色アイスブルーの瞳と目が合う。ああ、やっとここまで来た! ようやく彼を救える……何もできなかった私、助けられてばかりの私が、やっと彼の役に立てる!

 ずっと夢見ていた瞬間まで、あともう少し――――


「きゃ――――ん!」


 しかし、しるふの悲鳴が私の背筋に冷水を浴びせかける。ほんの一瞬目を離した間に、状況はまさに一転していた。


「しるふっ!」


 錐揉きりもみ状態で吹っ飛ばされた小さな身体が床でバウンドし、それを見た月代君が悲痛な叫びを上げる。


「ふん、手間を取らせおって……儂が見た目通り、ただの坊主とでも思うたか!」


 そう言い放った妖の僧の体は、異様な姿へと変貌を遂げていた。背中を覆う巨大な緋色ひいろの甲羅、そこから生え並ぶいくつもの関節を持つとがった脚。そのおぞましい姿は、まるで――――


「か……蟹!?」


「そうよ、坊主なれども……蟹坊主! 儂が蟹坊主・冨向フウコウ入道なるぞ!!」


 妖の僧……蟹坊主が私を睨む。しまった、気付かれた! けれど月代君までの距離はもうこっちの方が近い。これなら間に合うはず!


「羽虫の次はねずみとな……それで儂を出し抜いたつもりか!」


 しかし妖の次の行動は、私の想像をはるかに超えるものだった。突然腹ばいになったかと思うと、長い脚をわしゃわしゃと動かしもの凄い速さで走り出したのだ……そう、横向きに。

 私がそのあまりの不気味さに啞然あぜんとしている間に、蟹坊主はあっという間にこちらに回り込み、気が付いた時にはすでに私の眼前に立ちはだかっていた。


「いけない! 静流ちゃん、逃げて――――!」


 妖の背中から響く、月代君の悲鳴のような呼び掛け。そんな、ここまで来て……私は右手に握った水晶の剣を握りしめた。

 諦めるわけにはいかない! ここで諦めたら、私を信じて送り出してくれたあの愛音グリムウェルに、合わせる顔がないじゃない。彼女の剣を振りかぶり、私は蟹坊主に切りかかった。


「私は……月代君を助ける!」


 腕に伝わる鋭い衝撃。けれどその切っ先は妖の体に届く前に、巨大なはさみによって受け止められていた。


「このようなナマクラで儂が斬れるものか。浅はかな小娘よ!」


 私の手から剣を奪い取ると、蟹坊主はぐっぐっぐと気味の悪い声でわらった。人間の顔はしていても、その両目に宿る光はもう人のそれではない。


「お前もあの娘の仲間か? ふん、仲間想いが仇となったのう……」


 蟹坊主が、ゆっくりと剣の切っ先を私に向ける。


「やめろ! その子に手を出すな! やるなら……先にぼくをやれっ!」


「つ、月代君!?」


 それは可憐な姿に似合わぬ、勇ましく男らしい言葉。月代君が私を救おうと必死に紡いだ言葉に、思わず胸が熱くなる。

 けど、駄目だ! 相手は妖怪、邪悪な怪物なのだ。その前で、そんな事を言ってしまえばどうなるか。


「ほほう、面白い……それでは、望み通りにしてやろうではないか」


 蟹坊主の唇が、今まで見たこともないような形に醜く歪む。そして、振り上げた剣を月代君へ向けて……


「やめて――――!!」


 一直線に、投げ放ったのだ…………!!

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