第2話 湖の宝
「数日前、ここで水妖が暴れたって話は知ってるよな?」
霧深き湖の
「無論だ。もっとも暴れたのは我が配下ではなく、異国の水妖だと聞いているが」
「この際、誰が暴れたかってのはどうでもいいのさ。ただ、暴れてくれたお陰で……見つける事ができた。まぁ正直なところ“在った事を思い出した”訳なんだが」
我等が歩む道には次第に瓦礫が混じり、やがて白く固められた道そのものがひび割れ、地面が剝き出しになった箇所が増えてきた。
「……ああ、この辺りでいいかな」
幽玄は立ち止まり、そのまま真っ直ぐ湖を指差す。
「結論から言えば、この湖の底にはお宝が沈んでいる。長い間行方知れずになっていたお宝がな」
「宝、だと?」
――――湖に沈む宝。確かに、その様な伝承は何度か聞いた事がある。しかし人間の手で造られたこんな場所に、宝などある筈がない。
「おっと、正確には宝じゃあない。かつて宝だった物、と言ったところか」
まるで我の心を読んだかの如く、そう言い直す幽玄。
「今の人間達にはゴミに過ぎないだろうが、
我が主が求める物が、こんな湖に沈んでいるというのか? その様な話は聞いた事が無い。我が知らぬ事を、何故この男は知っているのだ?
まさか我に明かさぬ事まで、主はこの男に話したというのか――――
「そこまで分かってんならよォ、アンタが
我捨の口に衣を着せぬ言葉に、ふと我に帰る。その通りだ。宝の場所まで分かっていながら、何故それを我等に教えるのか。己ひとりの手柄にすれば良いではないか。
「そうしたいのは山々なんだが……生憎と私はただの人間だ。妖のような力は無いからね……この季節に潜って探すのは、流石にしんどい」
肩をすくめて、いけしゃあしゃあと語る幽玄。これは……どこまで本気なのだ? 確かに、奴は人間だ。だが、決してただの人間ではあるまい。
いわゆる“術者”か、それに近しい力を持っているのは確実だ。そうでなければ、今迄生き続けている事も……こうして妖の前に平気で身を晒せる事にも、説明がつかない。
「……おいおい、信じてくれよ。あんた達妖にだって得手不得手はあるだろう。苦手な事は得意な奴に任せりゃいい。ただそれだけの理由さ」
「そういう事かい。それで水妖を……旦那を呼んだって訳か」
「まぁ私も、東の水妖の長である【
聞いてみれば実に下らない用事である。知っていれば我も自ら出向きはしなかったであろう。しかし奴の真意はともかく、主の為となれば致し方無い。
「要は、この湖の底にある宝とやらを見つけ出せば良いのだろう」
「ああ。行ってくれるかい?」
「それには及ばぬ」
話半ばの時点で、既に湖の底にある宝――――奴が探しているであろう“何か”の当たりはつけてある。
そう、水妖の長たる我にとって、水は己が分け身のような物。この程度の湖であれば、その全てを探る事など容易い。
我が腕を振り上げると同時に、水面が大きく揺らぎ、爆ぜる。そして飛沫が収まった時には湖は眼前で二つに裂け、その中心へと向かう一本の道が出来ていた。
「ほう……これはこれは」
「何か有るとすれば
湖のほぼ中心、苔むした岩に半ば埋もれるように……朽ち果てた
その気配からは大した物とも思えぬが、この湖には他に見るべき物など沈んではいなかった。
「それじゃあ行ってくる。戻るまで、道は残しておいてくれよ?」
そう言って、湖の淵を下って行く幽玄。半刻程して戻った奴の手には、ぼろぼろに朽ちた三尺程の棒切れが握られていた。
「……それが、宝ァ? そんなガラクタ、どうするってんだよォ!?」
「そう言ってくれるなよ。こいつとて、かつては結構な業物だったんだぜ?」
幽玄が棒を引っ張ると、それはがりがりと耳障りな音を立てながら伸び、こびりついた藻屑をまき散らしつつ……やがて二本に分かれる。
「――――刀か、それは」
「ああ。こいつはある高名な武芸者の……まぁ、今となっては名前すら残っちゃいないんだが、とにかく貴重な一品なのさ」
そう言いながら、赤茶けた鉄棒を得意気に振り回す幽玄。
…………この男は、本気で言っているのか? この、今にも腐れ落ちんばかりに朽ち果てた棒切れの、どこが貴重だと言うのだ?
「そう怖い顔しなさんなって……言っただろう? コイツは
「昔はどうあれ、今はゴミである事に変わりあるまい。貴殿は我が主に、こんな物を押し付けようというのか!」
返答次第では、最早容赦はしない。主を侮辱する者は等しく滅ぼす。それが……臣下たる我の務め。
「まあ待てって。 仕方ないなぁ……これは、見せるつもりじゃ無かったんだが」
「まだ何か、隠し事があるとでも?」
幽玄は我の問いには答えず、ゆっくりと刀を左手に持った鞘に収める。そしてそれを大仰に掲げると、そのまま動きを止めた。
「使えないなら……使えるようにするだけさ」
――――何か、するというのか? 術の類を使うのならば、祝詞や経を唱えるか、印を切る等の動作がある筈。それを拝む事ができれば、術の系統から奴の素性が割り出せるやも知れぬ。我はその一挙一動を見逃すまいと、未だ微動だにせぬ幽玄を睨み付ける。
しかし一秒、二秒……そして一分を過ぎても奴は動かない。
「幽玄! 貴様、我等を
我が痺れを切らし、そう叫んだ正にその時。奴の掲げた鞘が崩れ落ちた。
――――いや、違う。崩れたのは鞘の表面、藻が固着し汚れた部分だけ。その内側からは輝かんばかりに鮮やかな朱が現れ出でる。
「何だァ!? コイツはどういう手品だ!」
奴が手にしているのは、最早先程までの朽ちた棒切れでは無い。まるでつい今し方仕上がったばかりの様な、美しい朱塗りの鞘。
真鍮の鍔や柄頭までもが磨き上げられ、往年の姿を取り戻した……一振りの刀だ。
「…………馬鹿な」
思わず声に出してしまう程に、それは有り得ない光景だった。朽ちた刀が甦る事自体もそうだが、何より理不尽なのは……その間、この男が何の術も使う気配を見せなかった事だ。
如何なる手段を用いたにしろ、超常の現象が起こればそこには必ず霊力の流れが生じる。祝詞や身振りは隠せても、その流れは誤魔化せる物では無い。
しかし、この男の……幽玄の手にした刀に霊力が流れる気配は、全く無かったのだ。
この我の、水妖の長たる【蛟】の目を持ってしても見切れぬ術を、奴は持っているとでも言うのか?
「これで分かってもらえたかな? コイツがちゃんとしたお宝だって事が」
言いながらゆっくりと刀を抜き放つ幽玄。先刻まで錆の塊だった筈の刀身は、今は自ら光を放たんばかりにぎらぎらと輝いている。
それだけではない。鞘を離れたそれは、明らかに強大な霊力を纏っていた。古来より名工の手によって打たれた刀剣には神気が宿ると言われているが、これはその比では無い。
そして、その霊力は……清廉なる気を放つ名刀、宝刀とは異なる、むしろ禍々しき妖刀と呼ぶに相応しいものだ。
「さて、無事探し物も見つかったことだし……そろそろ、本題に入ろうか」
「本題、だと!?」
「そうさ。まさか私がただの物探しの為にわざわざやってくる訳が無いだろう?」
まるで今迄のやり取り全てが余興と言わんばかりに、底知れぬ男は続ける。
「伝えに来たのさ。御頭直々の命を、な」
帽子のつばをつまんで、くいと直す気障な仕草。それを見て……我は凍り付いた。
傷が、無い。我捨に切り付けられ、裂けた帽子の傷が綺麗さっぱり消え失せている。まるで切り裂かれたという事実すらも、消え去ってしまったかの如く。
「近く……“夜行”を執り行うって話だ。当然、あんた達にも動いてもらう事になる」
「“夜行”だってェ!!」
――――“夜行”! それは妖による人間世界への直接攻撃を意味する。前回の“夜行”より十数年の雌伏を経て、我等が主は……再び立とうと言うのか!
「そうさ。久し振りに……祭の季節が来たって訳だ」
幽玄への不信を他所に、我は久方振りの高揚に身を震わせていた。先の“夜行”が不本意な結末を迎えて以来、
主が立つ。この世の春を謳歌する人間共に、再び妖の恐怖を刻み込む為に。
主が立つ。無知で蒙昧なる人間達から、この美しい世界を取り戻す為に。
「聞かせてもらおうか、幽玄。我等が祭の……その
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