第3話 高度一万メートルの災厄

 四月初めの、まだ肌寒い夜。ぼくは……高度一万メートルの空の上にいた。


 見渡す限りの、満天の星空。眼下に広がる広大な雲海。そういえば、ぼくが初めて空を飛んだのも……こんな夜だったっけ。


 そう、ぼくは飛んでいる。飛行機等に乗ってではなく、自分自身で飛んでいるのだ。


『今夜もイイ風がつかめたネ! やっぱり、空はサイコーだよ~』


 頭の中に、無邪気な女の子の声が響く。ああ、自分自身でっていうのはちょっと違うんだった。これはぼくだけの力じゃない。

 ぼくと契約した風の精霊……“しるふ”。彼女と一心同体になることで、ぼくは風を操る【魔法少女】の力を使えるようになったのだ。


「――――魔法少女、かぁ……」


『どーしたノとーや? こんなにイイ夜空なのに、テンション低いヨ?』


 今もふとした瞬間に思い出して、憂鬱になってしまう。それなりに覚悟はしていたつもりだけど……受け入れ難い現実というのはあるものだ。


『久しぶりの“マホーショージョ”出撃なんだから、アゲアゲでイかなきゃ、メーだゾ!』


 ……そう。何を隠そう、ぼく――――月代灯夜は【魔法少女】なのだ。



 今からほんの二週間ほど前、偶然出会ったぼくとしるふは……そのまま暴走する精霊たちの事件に巻き込まれた。ぼくはさらわれた友達を助けるためにしるふと契約し、事件の解決に尽力する事になったのだ。


 幸い事件は無事に解決し、友達も何とか助け出すことができた。けれど……事はそれだけでは収まらなかったのだ。


『――――灯夜、聞こえてる?』


「ひゃっ!」


 不意に耳元で響いた声に、思わずびっくりしてしまった。振り向くと、ぼくの数十メートル後方を飛ぶ黒い翼を持ったシルエットが目に入る。


『ひゃっ、じゃないわよ。GPSを確認しなさい』


 紅白の巫女装束に似た衣装を身に着けた、長い黒髪の美少女。彼女もまた……【魔法少女】だ。

 その名は四方院樹希。何でも古くからの由緒ある家系の術者だそうで、ぼくの先輩にあたる歴戦の魔法少女である。


『どうしたの? GPSはそっちにしか無いんだから、早くなさい!』


 いけない! 彼女はちょっと……いや、結構せっかちな性格なのだ。ぼくは懐からスマホ――――仕事用に貰った最新機種を取り出し、GPSアプリを起動させる。

 若干のロード時間の後、画面には二つの点が表示された。言うまでもなく、これはぼくと樹希ちゃんを表している。


 画面の上で指を滑らせ、表示範囲を拡大する。すると新たにひとつの点が現れた。これが、ぼく達の目的地。今も時速八百キロ以上の速度で飛び続けている……ジャンボジェット機だ。

 相対速度とかは正直、よくわからないのだけど……画面の表示から推測するに、あと数分もあれば接触できそうだ。


『なら、そろそろ視界に入るわね。うっかり見落とさないように、気を付けなさい』


 ぼくと樹希ちゃんの間は数十メートル離れている。これは接触事故を防ぐためでもあるけど、単純にぼくの方が速く飛べるからでもある。契約した【ぬえ】の能力の一つで飛行「も」できる樹希ちゃんと、風の精霊という空中特化の力を持つぼくとではデフォルトの飛行性能が違うのだ。


 そんなわけで、本来なら距離的に会話はできない。大声を出しても、マッハに近い速度で飛んでいる今の状態ではとても聞き取れないだろう。

 それでも普通に話せているのは、ぼくが会得した新しい術によるものなのだ。


 細い空気の流れを相手に繋いで振動を与えることで、お互いの声を伝え合う。原理的には糸電話のような物だ。まぁ携帯電話があれば必要無いような術なんだけど、樹希ちゃんに言わせてみれば「戦っている最中に悠長に電話なんてしてられない」から有効な術なんだそうだ。


 欠点は空気の糸を繋いでおけるのは二人が限度(それ以上は集中が乱れてしまう)な事と、相手が密閉された建物の中などに入ると糸が切れてしまう事。それ以外はわりと制限なく使えるので、今みたいに風の抵抗を受けながらでもクリアーな音声をお届けできる。便利といえば便利かも。


 そんなわけで、スマホの画面と正面の暗い空を交互に見ながら、もう少し急いだほうがいいのかな? それとも樹希ちゃんに合わせて減速するべきか?などと考えていた時だった。

 不意にスマホから着メロがぴろぴろと鳴り響いた。こんな空の上、普通なら圏外になりそうな物だけど……この仕事用スマホは何やらやたらと高性能かつ多機能らしくて、衛星経由でムリヤリ通話ができたりする。もうこれ無線機でいいんじゃ……


「もしもし、月代ですけど……」


『あーもしもし灯夜ぁ? じゃなくてぇ、緊急事態よぉ!』


 掛けてきたのは、ぼくのいとこの蒼衣あおいお姉ちゃん……いや、今は警視庁特殊事案対策室第一分室長(長い!)月代蒼衣巡査だ。


 ――――まさかお姉ちゃんがこんな仕事をしていたなんて。知った時には流石にびっくりしたけれど……確かに、これは人には説明しづらい仕事だ。


 そもそも妖怪や精霊、総じてあやかしの存在自体が、世間一般の人々には秘密になっているのだから。今まで仕事の事を聞いてもお茶を濁したような反応しかしてくれなかったのは……単に酔っぱらっていただけでなく、こういった事情があったからなのだろう。


『ちょっと聞いてる? 緊急事態! 緊急事態なのよ~!』


「緊急事態は分かったからっ! いったい何が起こったの?」


『今あんた達が向かっている旅客機、それとは別の機体からのSOSをキャッチしたのよ! 内容からして、同じ妖が関わっている可能性が高いわ』


 えっ! それじゃあぼく達はどうすればいいのだろう? 今動けるのはぼくと樹希ちゃんだけ、しかもぼくはついこないだ魔法少女になったばかりの新米なのだ。同時に二箇所の妖に対処するのは難しい。


『とりあえずGPSに情報を送っておいたから、あとはイツキと相談して決めて! “現場の判断に任せる”ってヤツよ。それじゃあ後お願いねー!』


「あ、ちょっとお姉ちゃ……」


 言いたいことだけ言って通話はぶつりと切れた。そう、蒼衣お姉ちゃんは昔からこう……アバウトと言うか……現場の判断って言われても、素人のぼくにはどうしようもないわけで。


『ちょっと灯夜、聞こえたわよ。緊急事態って何?』


「樹希ちゃん、それがね……」


 ぼくは取り急ぎ緊急事態について樹希ちゃんに報告した。ちなみに樹希ちゃんが使っている携帯にはGPSその他の便利機能は一切無い。何でも雷術を扱う関係で使う携帯も耐電仕様に限定されているとか。

 そしてその耐電仕様はスマホのタッチパネルと絶望的に相性が悪いらしく……結果、彼女はふた昔前のガラケーを使い続けているのだ。


『成程、二箇所で同じ被害が出ている訳ね』


「うん。どうしようか……」


『とりあえず最初のターゲットに向かうわ。同じ妖の仕業だとしたら、もう移動した後かも知れないけど……確認しない事には始まらないもの』


 流石先輩、こういう時はやっぱり現場経験がものを言う。樹希ちゃんが一緒で本当に良かった……


『けれど、問題は……ううん、見えたわよ灯夜!』


 樹希ちゃんの言った通りだ。正面の空にはちかちかと規則正しく点滅する光……旅客機の識別灯がまたたいている。


 しかし、光はそれだけじゃない。旅客機の左翼の下にちらちらと見えるオレンジ色の光は……炎だ! 旅客機のエンジンが火を吹いている!


『どうやら……悪い予感が当たったようね』


 左翼のエンジン、炎と煙に包まれたそこに黒いシミのようにへばりついた……小悪魔のような怪物。


「あれも……妖なの!?」


『グレムリン! 飛行機を襲う空の悪魔よ!』


 グレムリン……確か第二次世界大戦の頃、空を飛ぶ飛行機に取り付いて故障させていた妖怪だっけ? グレムリンって名前自体は映画で有名だけど、アレは元ネタとはずいぶん別物だって聞いたことがある。


『灯夜、ここからは別行動よ。あなたは先にもう一機の方へ向かいなさい。そっちにも多分、別のグレムリンが居るわ』


「ええっ! ぼく一人でやるの!?」


『ここを片付けたら、わたしもすぐ追いかけるわ。あなたはそれ迄、時間稼ぎをしてくれればいいの』


 確かに素人とは言え、ぼくが妖と戦うのは初めてじゃない。けれどあの時は無我夢中というか……同じ事をもう一度やれと言われても、出来るとは思えない。


『いいこと? そもそもこの高度まで上がって来れる術者なんてほとんど居ないの。あなたの、風の精霊の力は空中に特化している。ここではわたしよりも有利に動けるんだから、自信を持ちなさい!』


「そんな、自信を持てって言われても……」


『灯夜! この一週間、一体なんの為に修行してきたと思ってるの! あなたがやらなきゃ、多くの人命が危険に晒されるわ。【魔法少女】は正義の味方なんでしょ? だったら行きなさい!』


 そう言われたら、行くしかない。ぼくが魔法少女になったのは、友達を助けるため。つまり人助けのためだ。そこを曲げたら、魔法少女失格。正義の味方失格だ。


「分かった、行くよ……」


 そう力なく答えたぼくの横を、速度を上げた黒翼の魔法少女が駆け抜けていく。


『そうそう。少しは男らしい所も見せて欲しいものだわ、【魔法少女】さん!』


 ――――――――うん、大事な事を言い忘れていた。


 何を隠そう、ぼくは………魔法少女の月代灯夜は、


「少しも何も、“男の子”だよぅ!!」

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