第4話 亜音速の戦場

 GPSの情報を頼りに、月夜の雲海を飛び続ける事数分。

ぼくが見たのは……片翼を炎上させながら高度を下げていく小型の旅客機の姿だった。


 ――――これは結構やばい状況だ。さっき襲われていた旅客機は大型で、翼の下には四基のエンジンを積んでいた。つまり一つや二つが壊れても残りが無事なら飛び続けられる、安定性の高い機体という事だ。


 でも、ぼくが向かっている機体のエンジンは左右一基ずつ。二基しかないうちの一基が壊れたら、飛行性能は激減する。そしてもし、残りの一基までも壊されてしまったら……


「急ごうしるふ!このままじゃ危ない!」


『ガッテン! ショーチだヨ~!』


 背中のはね――――昆虫のような四枚の薄い虹色の翅に意識を集中し、後方に空気を押し出すイメージを送り込む。一瞬、風の抵抗が強まる感覚と共に、ぼくの身体は爆発的な加速を開始した。


 この翅は当然、元々のぼくには存在しなかった部位だ。けれどこの一週間、樹希ちゃんの別荘でした特訓の成果か……少しずつだけどコントロールができるようになってきたのだ。


「まずは長所を伸ばす事。そうじゃないと、即戦力としては使えないわ!」

 ――――思い出す、樹希ちゃんとの厳しい修行の日々。


 そう、結局ぼくの春休みは全部この修行に費やされてしまったのだ。観たかった映画も、しるふに服を作ってあげる計画も全部パーである。

 まぁ確かに別荘はそれなりに快適で、メイドさん達が作る料理も絶品ではあったけど……


『チョットとーや、追い越しちゃうヨ! 減速減速!』


 おっといけない、辛い修行の思い出に引っ張られて目の前をおろそかにする所だった。ぼくは減速しながら、旅客機が起こす空気の流れに逆らわないように、慎重に接近する。


 今も炎を上げている左のエンジン、それを吊るした左翼の上に……いた。人間のような四肢を持ちながら、明らかに人とは異なるバランスの人影。

 その背中にはコウモリのような二枚の翼。オレンジ色の炎に照らされた異形のかおは……ぎょろりと動く蛇のような眼に、耳まで裂けた大きな口。その耳も尖っていて大きく、見れば見るほど怪物じみている。


 まるで最近のファンタジー系ゲームに出てくるような、リアルな悪魔の姿。けれどこれはCGなんかじゃない。

 この怪物――――グレムリンは、実際にそこに居るのだ。


 横に広い怪物の頭がくるりと回り、ぼくの方を向いた。その金色の瞳と目が合うと、グレムリンはぎぎぃ、と抗議するような声を上げて主翼上を走り出した――――反対側のエンジンに向かって!


「あっ! ま、待て~!」


 右翼のエンジンまで壊されたら、もう後は墜落するしかない。この旅客機は小型とはいえ、それでも大勢の人達が犠牲になってしまう。


 もうこれは、時間稼ぎでどうにかなる状況じゃない。ぼくがなんとかしなきゃ……あの不気味なグレムリンと戦わなきゃいけないのだ。


『どうするノ、とーや!』


 どうすると言っても、できる事は限られている。ぼくの唯一の力、風を自在に操る能力でどうにかするしかない。


「とりあえず、あいつの前に出るよっ!」


 時速八百キロで移動している飛行機の近くでは、常時強い空気の抵抗と気流の乱れが生じている。そんな中ではたとえ風の精霊であっても、自在に風を操るとはいかない。

 だから、空気がぶつかって乱流に変わる前……つまり機体に対して風上に移動することで、風のコントロールをやりやすくするのだ。


 ぼくは再び加速をかけ、旅客機の前に出た。振り返ると、コクピットの窓の向こうで目を丸くしたパイロットの姿が見える。


 ――――普通、あやかしの類は人の目には視えない。ぼくや樹希ちゃんのように霊力を感じ取れる一部の人間だけが、その姿を視ることができる。

 けれど、例外もある。以前戦ったウンディーネのように水などの自然物と一体化したりした場合は、普通の人にも視えてしまうのだ。


 その文法でいけば、当然のように人と一体化した妖――――魔法少女も普通に視えてしまう事になる。


 妖と、それに関わる者の存在は秘密にしなければいけない都合上、ぼく達は簡単に人前に姿を晒すことはできないのだけれど……

 今は、そんな事は言ってられない。どんな理由があったとしても、そのせいで助けられる人も助けられなくなったのでは本末転倒だ。


 ぼくが右主翼に目を移すと、グレムリンが猿のように素早い動きでエンジンに飛び移るのが見えた。

 あいつが何かする前に、エンジンから引き剝がさないと! ぼくは急いで周囲の気流に神経を集中する。そして幾条もの風の流れから一本をつかみ取り、霊力を送り込んだ。

 ぼくの命を受けた一条の風は鞭のようにしなり、今まさにエンジンの外板に爪を立てんとするグレムリンをしたたかに打ち据える。


「……!!」


 奇声を発しバランスを崩しながらも、必死にエンジンにしがみつくグレムリンに、ぼくはもう一撃……より鋭く正確に風の鞭を叩き込む。

 外板に引っ掛けたかぎ爪が外れ、放り出されたグレムリンはそのまま後方へと流されていった。


『ナイスだヨ、とーや!』


 良かった……これで一安心だ。見れば左翼のエンジンからの炎も大分治まってきている。全く無事とはいかないだろうけど、これなら空港までは持ちそうだ。


 あと、問題といえば……旅客機の乗客に見られていないかだけど、こればっかりは祈るしかない。まぁパイロットさんにはバッチリ見られてたけど、あれは極限状態で見たあやしい幻だとでも思ってもらうしかない。思ってくれれば、だけど……


『と、とーや!』


「何……あっ!」


 ぼくが咄嗟に上体をそらすと、一瞬前まで頭があった位置を鋭いかぎ爪が薙ぎ払っていく。


「――――グレムリン!」


 背中の翼を羽ばたかせ、襲い掛かってきたのはさっきのグレムリンだ。まさか、マッハに近い速度の飛行機に追い付いて来るなんて……


 確かに、ジェット機全盛の時代でグレムリンをやっていくにはそれなりの飛行速度がいるのだろうけど……それにしたって速すぎる。これはもう、生物が出せるスピードじゃない。


 そこまで考えて、ぼくは気付いた。そうだ……ぼくが相手をしているのはまともな生物なんかじゃ無い。あいつは妖――――物理法則を超えた力を行使する、この世の者ならぬ怪物なのだ。


 グレムリンは猛スピードで飛び去ったと思うと、反転して再びぼくに向かってくる。旅客機を襲う前に、まずは邪魔者を始末するつもりらしい。

 樹希ちゃんが言っていたようにこのままあいつを引き付け、時間稼ぎができればいいのだけど……


 二度、三度と、鋭い爪がぼくを襲う。最初の攻撃はなんとか躱せたけど、グレムリンはものすごいスピードで一撃離脱を繰り返してくる。


『ひゃっ! ヤバいよとーやぁ~!』


 特に、進行方向正面からの攻撃がやばい。あいつ自身の速度に加え、ぼくの移動速度が上乗せされるから完全に避けるのは難しいのだ。今は圧縮空気の障壁も併用して凌いでいるけど、そういつまでも防ぎ切れる物ではない。


「……どうしよう?」


 このまま頑張って避け続けるか。それともいっそ……攻めに出るか。


 グレムリンが突進してくる所に、カウンター気味に圧縮空気の刃を放てば……この速度なら、向こうだって避けるのは難しい。結構な確率で命中するはずだ。


 けれど、命中すれば……あのグレムリンは死ぬ。ウンディーネ戦の時に使ったこの技は、コンクリートと鉄格子からなるプールの排水口を修復不可能なくらいに破壊したのだ。異形の怪物とはいえ、無事では済まないだろう。


『来るよとーや!』


 正面からまっすぐ突っ込んで来る、グレムリンの怒りに歪んだ貌。これがゲームの中だったら、ぼくは撃ち落とす事をためらいはしなかっただろう。


「倒すしか、ないの……」


 けれどぼくの前にいるのは、ゲームのCGじゃない。命の在り方は違うにしろ、このグレムリンは確かに生きているのだ。

 人に害をなす妖だというのはわかってる。でも、だから殺してもいいなんて、ぼくにはそんな考え方は…………


 迷っている間にも、どんどん距離は縮まっていく。小さくても凶暴なその悪魔は、ぼくに向かって右腕を振りかぶる。


 ――――避け切れない! 最後の最後まで、覚悟を決めかねていたぼくの……その目の前で。


 光り輝く一振りの剣が、グレムリンの胴体を貫いていた。 


「えっ……」


 ぎゃあっ、と金切り声を上げて、真横へと吹き飛んでいくグレムリン。遠ざかっていくその身体の上で幾条もの光の筋が走ったかと思うと、小悪魔はばらばらに切り刻まれて雲海の下へと沈んでいった。


「なっ、何が……」


「何が、だって? 笑わせてくれんじゃねーか!」


 突然真横から聞こえた声にびっくりして振り返ったぼくは…………驚きに声を失っていた。


 それは――――少女だった。歳はぼくと同じくらい、黒とオレンジ色を基調とした衣装に身を包んだ、燃えるような赤毛の少女。

 先の尖った大きな帽子を被り、箒にまたがって空を駆ける姿はまるで……ハロウィンの魔女だ。


 あどけなくも挑戦的な笑みを浮かべながら、彼女が……ぼくの知らない、謎の【魔法少女】がその口を開く。


「質が落ちたなぁ。この国の術者も……!」

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