第5話 始まりの前夜

「四方院の名にいて! 降臨くだれ、“拆雷”さくみかづち!」


 眩い閃光と共に、ほとばしった雷がグレムリンを打ち据える。雲海の上である為、真下から生える雷は滑稽ではあったが……その威力は奴を無慈悲に焼き尽くした。


「まったく、無駄な手間を取らせてくれるわ」


 全身を炭化させバラバラに砕け散る小悪魔の最期を確認し、わたしは小さくため息をついた。


『お嬢様、早く灯夜様の所に向かいましょう』


 頭の中に響くのは、雷華――――わたしと契約した四方院家の霊獣【ぬえ】の声。妖と一体となった霊装状態では、このように念による会話をする事になる。


「わかっているわ。けれど、あの子の事だから……案外、わたし達の出る幕は無いんじゃなくて?」


 ――――月代灯夜。ほんの数週間前まで、妖の存在すら知らなかった少女……もとい少年。当然のことながら術者としての知識は皆無であり、契約した精霊【シルフ】も妖としては然程さほど強い方では無い。


 しかし先の“四大精霊”事件において彼の見せた活躍は、目覚ましいと言って然るべきものだった。

 サラマンダー戦では仮契約の状態で周囲の建物の延焼を防ぎ、本契約を果たした直後の戦闘でウンディーネを圧倒。後のダム湖での戦いでも勝利に繋がる決定打を放つ等、素人とは思えない働きを見せたのだ。


 術者としてはまだまだ未熟ではあるが、戦力としては十分、頼るに値する。それは雷華とわたしの共通の見解である。


『いえ、私はそうは思いません』


「そうかしら? 確かに詰めが甘い所もあるけれど、あの子の実力ならグレムリン如きに遅れは取らないと思うわ」


 わたしの言葉に、ゆっくりとかぶりを振る雷華――――正確には、そのイメージが脳裏に浮かぶ。


『実力でいえば、あの方は並の術者を凌ぐものがあるでしょう。ですが……決定的に足りないものがあります』


「……経験、かしら」


『それと、覚悟です』


 わたしは空中できびすを返し、その空域を後にした。遠ざかるジャンボジェットの翼下からもう火は見えない。恐らくは自動消火装置の類が働いたのだろう。わたし達に出来るのは妖の脅威を取り除く事までだ。後は自力で何とかしてもらう他ない。


『お嬢様のように幼少から妖の世界を知る方と違い、灯夜様はついこの間まで平和な日常を当たり前の事として生きていらした。生死を賭けた闘いとは最も遠い所に居たのです』


「それは分かっているつもりだけど……あの子だってそれなりの覚悟を持ってこちらに踏み込んできたのよ。そうでなけりゃ、あんな働きは出来ない」


 そう、灯夜が【シルフ】と契約したのは伊達でも酔狂でもない。友人を助けたいという確固たる信念によるものだ。判断そのものは軽率だったかも知れないが、尋常ならざる覚悟でのぞんだであろう事は想像に難くない。


『ですがお嬢様……あの方はまだ、妖をたおした事がございません』


 ――――妖を……斃す。


 それは取りも直さず、妖という生き物を殺すという事だ。この平和な時代、平和な国において、人が日常的に殺せるのはせいぜい小虫程度まで。小動物を殺める事さえ普通では有り得ない。


 雷華が言いたいのは、普通の少年として生きてきた灯夜に……妖を殺す事ができるのかという事だ。


「それは確かに不安材料ではあるわ。だからこそこの一週間、念入りに術者としての心得を叩き込んできたのよ。それに……」


『それに本来なら、妖と一対一になる様な状況はもっと経験を積ませてからにしたかった、ですよね』


「そうよ! こんな局面じゃなかったら、あの子を一人で向かわせたりはしなかった!」


 全ての元凶は、やはり人手不足から来るものなのだ。他に人が居ないから、育成途中の素人まで駆り出す羽目になる。

 対妖の組織そのものが現状に対処し切れていない。わたしの様な術者ひとりがどんなに頑張ろうとも、この構図は変えられないのだ。


 灯夜が繋いだ、細い空気の糸。そこからは未だ何の連絡も伝わっては来ない。そろそろもう一機の旅客機に辿り着いている頃だろうが……


「とりあえず、全速力で追うわよ!」


『了』


 翼を大きく羽ばたかせ、速度を上げる。獣身通・虎鶫トラツグミの飛行能力は、実はそこまで高いものではない。本来は【鵺】の巨体をようやく浮かせる程度だったものが、霊装するにあたって体のサイズが縮んだ分、色々と融通が利くようになったという位だ。


 それでも長い修練によってそのコントロールを学んだわたしなら、短時間であれば音速近くまで加速する事もできる。


 猛烈な風の抵抗を受けながらも、わたしは加速を続けた。灯夜へと繋がる空気の糸、そこに流れる僅かな霊力を辿って、ひたすらに駆ける。


 ごうごうと吹き荒れる風の音に混じって聞こえる、灯夜の声。状況はよく分からないが、苦戦しているのだろう。


「待ってなさい、すぐにわたしが……」


 程なくして、彼が向かった旅客機が視界に入る。左のエンジンからは煙が上がっているものの、飛行自体は安定しているようだ。

 そしてその周囲に妖の気配は――――無い。


「ふう、どうやら上手くやってくれたようね。取り越し苦労ってやつかしら」


『お嬢様、あれを』


 旅客機の後ろを飛ぶ小さな人影、妖精のような翅を生やしたその姿は……紛れもなく灯夜のものだ。

 しかし、何か様子がおかしい。まるで上の空といった感じで、旅客機との距離もじわじわと離されている。


「灯夜! 何かあったの? 返事なさい!」


「――――樹希ちゃん、出た! 出たんだよっ!」


 わたしの姿を確認するや、やけに興奮した様子で詰め寄ってくる灯夜。月明かりにきらめく銀色の髪と真っ白い肌……熱を帯びた蒼氷色アイスブルーの視線が、まっすぐわたしを射抜く。


「で、出たって何よ……お化けでも見たって言うの? そんな事で驚いてるようじゃ、この先――――」


「そうじゃなくって、魔法少女だよぅ!」


 …………一体、この子は何を言っているのやら。普段は普通に会話できるのだけど、たまにこうやって要領を得ない話し方になる。質問に対する返答がかみ合わないのだ。

 それとも、いわゆる普通の子同士ならこれでも通じるのだろうか? 日頃大人に混じって妖対策に奔走しているわたしには、同年代の子と親しく話す機会があまり無い。その所為なのか……?


「魔法少女はあなたの事でしょ……それより、グレムリンはどうしたの?」


「あ……グレムリンは、その……魔法少女がやっつけたの」


「あなたが始末したって事?」


 いや、そうじゃなくって……と身振り手振りを交えて説明しようとする灯夜。


「魔法少女が……そう、ぼくと樹希ちゃん以外の魔法少女がいたんだ!」


 わたし達以外の、魔法少女? いや、わたしはあくまで霊装術者であって、魔法少女になったつもりなんてさらさら無いのだけれど……


 それはともかく、こんな上空まで上がって来れる術者などそうそう居ない。しかも、霊装術者となると……少なくともわたしが知る限り、東西含めて国内には存在しない筈だ。


「……それで、その魔法少女とやらは何処?」


「それが……行っちゃったの」


「どこに!?」


「わ、分からないよぅ……すぐに飛んでっちゃったから。追いかけようかとも思ったけど、樹希ちゃんを待たなきゃだし……」


 半ベソをかいて恐縮する灯夜……ちょっと強い口調で問いただすと、すぐにこうなる。この子のこういう所は……苦手だ。


「はぁ、もういいわよ。 謎の魔法少女とやらについては、後で月代先生に話しておくから」


「ごめんなさい……」


 それにこうやって、すぐに頭を下げてくる……そりゃあ、何から何まで反発されるよりはマシだけど、特に必要ない時にまで謝られると何だかイライラする。


「ああもう! とりあえず仕事は終わったんだから、さっさと引き揚げるわよ。明日は明日でひと仕事あるのだから」


「え、明日?」


「え、じゃないわよ! 明日はあなたの入学式でしょうが!」


 目を丸くしたまま、一瞬固まる灯夜……その顔がみるみる赤くなる。


「あ、あああぁ…………明日!? もう明日なのっ!?」


「やれやれ、修行のしすぎで曜日感覚が無くなったのかしら? とにかく」


 わたしは狼狽する彼の首根っこを掴むと、眼下の雲海へと身を躍らせた。


「帰って少しでも寝ておくことね。初日から遅刻はしたくないでしょ?」


「あわわわ……は、離してよ樹希ちゃ~ん!」


 弱々しい抗議をやんわりと無視しながら、わたしは更に速度を上げた。なんだか無性に、この美しい魔法少女君を虐めてやりたい気分だったからだ。


 明日からの新学期。それは彼にとって……そしてわたしにとっても、新たなる試練の日々の始まり。


 ここからが――――始まりなのだ。

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