第6話 桜花咲く、天御神楽の門で

 がちゃり、とドアを開けると、抜けるような青空と咲き誇る桜の木。視線を落とした先には開け放たれた大きな門と、そこをくぐっていく制服姿の生徒たち。


「それじゃああーしは車置いてくるから、ちょっとだけ待っててね~」


「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」


「あによ? 忘れ物はさっきチェックしたっしょ?」


「そうゆう事じゃなくって!」


 ぼくは今、猛烈に後悔していた。いや、今にして思えば何でこんな事にOKを出したのか……自分自身の判断がもう理解できないというか、どうしてもっとよく考えなかったのだろうか?

 今のこの状況を想像できていれば……ああ、だからこそ深く考える事を避け続けていたのか。


「なんか、すっごく見られてるよ……やっぱり無理があったんだよお姉ちゃん!」


「教師の車から出てくりゃそりゃ目立つっしょ。なーに、灯夜なら大丈夫だって。制服姿だってばっちし決まってるし」


 車の中でぺろりと舌を出しながらサムズアップを決める蒼衣お姉ちゃん。


「それからここでは“先生”って呼ぶ事。“お姉ちゃん”はNGだからね~」


 そう言い捨てて、無情にもドアを閉じ走り去っていくお姉ちゃんの車。後に残されたぼくの両脇を何人もの生徒が……ちらちらとこっちを気にしながら通り過ぎていく。


 やはり……目立っている。それとも浮いているのか? 確かに、この容姿のせいでぼくは昔から何かと目立つ存在だった。特にこの銀髪はもうこれだけでアウト確定の代物であり、初対面の人がカタコト英語で話しかけてくる確率を爆上げしているのだ。


 けれど、今回の問題はそれだけに留まらない。今のぼくには、日本人離れした見た目以上の極大ツッコミポイントが発生しているのだから。


 それは、この制服――――白を基調とした清潔感溢れる上着と、地味になり過ぎないように配慮されたグレートーンのチェック柄の……スカート。


 つまり、周りの女生徒達とおそろいの制服だ。この部分だけ聞けば、木を隠すなら森の中的発想でむしろ目立たないのでは? と思われるかもしれない。

 だが、違うのだ。


「ごきげんよう」


「ごっ、ごきげんよう……」


 笑顔で挨拶してくれた女生徒――――多分、上級生だろう……にぎこちなく挨拶を返しながらも、ぼくの心中は穏やかどころではない。心臓は張り裂けんばかりに脈打ち、背筋を冷たい汗が流れ落ちていく。


 挙動不審に見られる事を恐れて、ぼくは視線を門柱に据え付けられたプレートに移した。そこにはいかめしい書体で校名が記されている。


 ――――【天御神楽あまみかぐら学園】。そしてその隣の行には【女子中等部】。




 何度も言うようだが、ぼく……月代灯夜は男の子である。


 女子の制服を身に着け、その格好がお姉ちゃんや四方院家のメイドさん達に絶賛の嵐で迎えられようとも……その事実が変わるわけではない。


「ぼくはどうして、こんな所に来てしまったのだろう……」


 周りに人がいない隙をついて、誰にとも無くつぶやく。これがどうしようもない事だというのは分かってる。この理不尽な状況を生み出したのは他でもない、ぼく自身の選択の結果なのだ。




「……どの道あなたはもう、普通の生活をしてはいられない。あやかしの世界に足を踏み入れてしまった以上は、ね」


 小学校の卒業式があった日の夜、突然ぼくの家に上がりこんできた樹希ちゃん。

 お風呂に入っていたぼくの裸を見て悲鳴を上げた後、その場で立ちくらみを起こして倒れ……お祖母ばあちゃんと蒼衣お姉ちゃんに介抱されながら、彼女はそう言った。



 高い霊力を持つ人間は妖、それも人を襲う類の危険な者のターゲットにされやすいという。もっともそういった体質の人は近年減少傾向にあるらしく、最近では妖が視える程度の霊力を持った人さえほとんど居ないという話だ。


 けれど、高い霊力を持って生まれる人間は確かに存在する。その大部分は古くからの術者の家系で、幼少の頃から妖に対処するすべを学ぶことになるのだけれど……


 問題は家系の外、いわゆる一般人の中にも突然変異的に霊力の高い人間が生まれてくる事だ。そういった人間は知らず知らずのうちに妖関連のトラブルに巻き込まれてしまう例が多い。特に危険なのは知識の無い子供が妖と接触し、憑依される等の被害に遭ってしまう事。


「今回の灯夜さんみたいにね。全く、灯台下暗しとはよく言ったものだわ……」


 布団に横たわり額に氷嚢ひょうのうを乗せたまま、傍らに座る蒼衣お姉ちゃんを睨み付ける樹希ちゃん。


「いやいや、ホントに知らなかったんだってば! 今までそんな話全然しなかったし、ウチの子は平気なんだなーって思ってたんだよ…………まさか灯夜が“視える子”で、しかも精霊と“契約”までしちゃうなんて」


 こういった事態を未然に防ぐため、霊力の高い子供達を保護する施設がこの国には存在する。それこそが【国立天御神楽学園】――――樹希ちゃんが通い、蒼衣お姉ちゃんが教師を務めている学校だ。


 表向きは普通に由緒ある名門校であり、実際生徒の大半は妖と無関係な一般人だ。けれどその実、有力術者の子弟の多くや各地で発見された霊力の高い子供、また妖事件の被害者などを広く受け入れている場所でもある。


「要は危ない子は一ヶ所に集めておけば対処もしやすいってヤツよ」


 身も蓋もない事を言うお姉ちゃん。それじゃあまるで問題児の隔離施設みたいじゃないか……


「とにかく、灯夜には四月からココに通ってもらうからね。今日来たのはそのお知らせと、あと必要な書類を書いてもらう為なんだよ」


「いや、ちょっと待ってお姉ちゃん」


 先程手渡された学園のパンフレットには、確かにこう記されていた。“全寮制女子校・・・”と。


「全寮制はともかく、女子校はダメでしょ! こう見えてもぼくは男の子なんだよっ!」


「いやまぁ……そこらへんは特例ってコトで何とかしてもらうから。そもそもここまで霊力の高い男子って非常にレアなのよね……大体は女子だから」


 そうなのだ。高い霊力を持っている人の割合は昔から女性が多く、そういった人達が減少している現代に至ってはもはや九割以上を女性が占めている。

 実際、大正時代の創立以来一貫して女子校のままでも問題ないくらいに、男子の割合は少なかったという事なのだろう。


「性別はどうあれ、あなたには学園に来てもらうわよ。契約して霊装までできる力を持っている以上、また妖絡みの事件に巻き込まれないとも……いえ、あなたはむしろ自分から首を突っ込んで行くタイプのようだから、尚更よ」


 樹希ちゃんの指摘はもっともだ……前の事件の時だって、見て見ぬふりをしようと思えばできたのだ。しかし、ぼくは結局しるふと契約し、事件に深く関わる事になった。

 このような苦境に立たされるのも、ある意味自業自得なのかも知れない。


「そういう事なら、仕方ないね…………わかった、ぼくはこの学園に行くよ。いいよねお祖母ちゃん?」


 お祖母ちゃんはいつもの柔らかい微笑みを浮かべながら、灯夜ちゃんの好きなようにしなさい、と言ってくれた。


 全寮制となると、この家にも中々帰ってこられなくなる。少し寂しいけれど、我慢しなきゃ……このままぼくがここに居続けたら、お祖母ちゃん達も妖の起こす事件に巻き込まれるかも知れないのだから。


 そんなわけで、学園行きを了承したぼくなのだけど……後で「やっぱり特例は認められなかったよ……」と言われ、女子として入学する羽目になるとは流石に想定外というか……



「――――月代、君?」


 不意に耳に飛び込んできた声に、ぼくはふと我に返った。聞こえたのは、確かにぼくを呼ぶ声。あれ? でもおかしいぞ。ここは今日初めて通う学校だ。それもまだ入学式どころか門をくぐってさえいない。知り合いといえば教師の蒼衣お姉ちゃんと上級生の樹希ちゃんだけのはずなのに……


 恐る恐る振り返ったぼくは、瞬時に凍り付いた。そこには……ぼくの良く知っている顔があったからだ。


「月代君! あなた月代君でしょ! 私が見間違えるはず無いわ!」


 それはダークブラウンの髪を頭の後ろでまとめた、長身の美少女だった。背はぼくより頭ひとつ分は高く、しなやかに伸びた手足に真新しい制服がベストフィットしている。


「月代君、これは一体どういう事なの? どうして君がわたしの通う学校の制服を着ているの? 確かに、すごく似合ってはいるけど……」


 ――――彼女の名は、綾乃浦あやのうら静流しずる。ぼくの元クラスメイトで大切な友達であり、先日の事件の被害者。

 ぼくがしるふと契約する、そのきっかけとなった人物だ。


 これは、盲点だった。天御神楽学園に集められるのは霊力の高い子供と……妖事件に関わってしまった子供。ウンディーネに憑依された事がある彼女は十分に要件を満たしている。

 彼女は県外の女子校に通うと聞いていたが、それがまさか……ここだったとは。


 ああ、考えてみれば十分予想できた状況じゃないか。同じ事件に関わった以上、同じような対応を受ける事はむしろ必然。ここ一週間毎日厳しい修行に明け暮れていたせいで、ぼくはその可能性をすっかり見落としていたのか……


「何とか言いなさい月代君! 君は月代灯夜君なんでしょ!?」


 ぼくを問い詰める彼女の剣幕に、周囲の生徒達がざわつき始めた。やばい。ここで対応を誤れば、ぼくの学園生活は入学式を迎える前に終了してしまう!

 とりあえず何か話さないと。一言でこの状況を治める、起死回生のセリフを!


「――――ひ、人違いですわ。おほほ……」


「ふざけないで! 月代君のような綺麗な子がそう何人も居てたまるもんですか!」


 起死回生どころか、即ツッコミを入れられてしまった。そうだよね……ぼくと彼女はそれなり以上に親しい関係だったから、お互いの顔を見間違える事なんてそうそう無い。困ったぞ……


「あくまでシラを切るつもりね? だったら…………これはどう?」


 静流ちゃんはおもむろに懐から可愛いピンク色のスマホを取り出すと、素早く画面を操作する。するとひと呼吸程の間を置いて、ぼくのポケットから陽気な着メロが鳴り出した。


 し、しまった――――――――スマホの呼び出し画面、“月代灯夜”とバッチリ表示されたそれを突き付けて、してやったりとほくそ笑む彼女。


「これでもう、言い逃れはできないわね」


 まさに絶体絶命。一体、彼女に何と言って説明すればいいのか。説明するにしたって、こんな衆人環視の中ではうかつな事は話せない。ぼくが男子だという事がバレたら、人生の色々なアレやコレやがもうお終いだ!


「ハイそこまで~。アナタ新入生ね? ちょっとこっちでお話しましょうか~」


 そう言って後ろから静流ちゃんの両肩をがっしりと掴んだのは……蒼衣お姉ちゃ――――先生!


「ちょ、誰ですあなた! 私は月代君に話が――――」


 抵抗する静流ちゃんをハイハイお話ね~等と誤魔化しながら、校舎へと引きずっていく蒼衣先生。とりあえず、この場は助かったという事か。


「なんだか先が思いやられるなぁ……」


 ため息をつきながら、ぼくは天御神楽の門をくぐった。新しい生活の始まりは、こうして不安と共にスタートしたのである。

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