第8話 一年S組という混沌

 殺風景な廊下にチャイムの音が鳴り響いた時、ぼくと小梅さんはS組の入口の前にたどり着いた所だった。


「間に合って良かったですね、月代さん」


「うん、本当に助かったよ。ありがとう。二人に出会わなかったら今頃は……あ、お姉さんにお礼言ってなかった!」


「くす、私から伝えておきます。さあ、中に入りましょう」


 教室後ろ側の戸をがらがらと開いて、ぼく達は新しいクラスに足を踏み入れた。


「――――――――!」


 空気が、変わった。


 背筋がぞくぞくして、胸が締め付けられるように息苦しい。これは……この教室を満たしているものは、何だ? 


「チャイムが鳴ったからすぐに先生が来ますよ。とりあえず席に着きましょう」


 涼しい顔でそう言うと、小梅さんは黒板に記された席順に従って自分の席へと歩いていく。

 この教室の異様な気配に気付いていないのか、それとも気付いた上で……何とも思っていないのだろうか?


 樹希ちゃんの所で修行したとはいえ、ぼくは術者としては駆け出しもいいところだ。あやかしは視えても霊力そのものまでは視えない。大きな力ならなんとなく感じ取れる程度でしかないのだ。


 そのぼくにさえ、この狭い空間に溢れる圧倒的なまでの霊力……それも複数の巨大なそれが絡み合い、渦を巻いたかのような、まさに混沌カオスの様相が視えている。


 ……本来なら人の目に映らない妖であっても、大妖怪と言われる程の霊力を持った者は普通の人間にも視えてしまうという。

 この教室に渦巻く霊力の混沌も、そういった類の物なのだろうか? だとしたら、このクラスの少なくとも数人は樹希ちゃんレベル、もしくはそれ以上の霊力を持っている事になる。


 一番後ろから教室を俯瞰すると、今ここに居る生徒は十一人。ぼくを入れても十二人だ。これは普通のクラスの定員よりだいぶ少ない。それを反映してか、四列ある机にも空席が目立つ。

 すでにチャイムが鳴っている以上、ここから増えるというのは考えにくい。つまりこのクラスは、通常なら定員割れしているような少人数で構成されているという事だ。


 ――――蒼衣お姉ちゃんはこのクラスに“普通”じゃない子を集めたという。妖に関わった同年代の子供が十二人……これは多いのか、少ないのか。


 おっと、いつまでもこうしてはいられないんだった。席順によれば、ぼくの席は右から三列目の前から三番目。可もなく不可もなくといったところか。


 恐る恐る歩を進めて、席に辿り着く。なんか、すごいプレッシャーだ……注目されるのには慣れっこだけど、このクラスのそれは圧力が違う。ガン見されてるわけでもないのに、皮膚がざわざわして…………


 ――――前言撤回。今まさにぼくをガン見している視線と目が合った。


 教室の右端、出席番号一番の指定席から睨み付けているのは……そう、綾乃浦静流ちゃんだ。


 やっぱりと言うか、予定調和的に彼女もこのクラスに配置されていた。先程の校門での一件の後、蒼衣お姉ちゃ……先生にどんな“お話”をされたのかは分からないけど、ぼくに突き刺さるジト目の視線から察するに……どうやら納得はしていないようだ。


 静流ちゃんの存在は、この学園で「女生徒」としての生活を送るにあたって、大きな難関である。

 女子の制服を着たぼくは、確かに誰が見ても女子に見えるだろう。しかし、それはあくまで月代灯夜を知っている人がいない事が前提なのだ。

 まさかこんな遠くの学園で地元の知り合いと同じクラスになるなんて、思ってなかったからなぁ……


 でもまあ、静流ちゃんは友達だし、ちゃんと話せば分かってくれるはずだ。ぼくだって伊達や酔狂や趣味で女子校に来たわけではないのだから……


 とにかく、彼女とは後でゆっくり話そう…………石を穿つような視線から目を外し、ぼくは改めて自分の席に座った。

 由緒ある名門校とはいえ、机も椅子も普通の学校の物とそう変わらないように見える。ただ、流石に傷とか落書きとかは無いようだ。


 いつ先生が来ても大丈夫なように、とりあえず最低限の筆記用具だけ出して、鞄を脇に掛ける。

 一段落したところで、ぼくは……再び周囲に注意を向けた。教室に充満している霊力、その出どころが気になったからだ。


 まず、一ヶ所は分かる。この席に着いた時から感じる、左側からの圧力。ちらっと見ただけでも……何かすごく嫌な予感がしてならない。

 でも、まずは確認しなければ。勇気を振り絞って、ぼくは左隣の席へ首を向ける。


 そこに居たのは、白いフード付きのマントに身を包んだ……って、この時点でもうおかしいよっ! 教室の中でなんでフードを目深に被ってるんだよっ!

 怒涛のごとくツッコミを入れたい気持ちを必死にこらえるぼくを横目に見て、ニヤリと意味有り気に笑う彼女。その周りにはいかにも「私怪しいです!」と言わんばかりの妖気が漂っている。


 これは……何だろう。もしかしてツッコミ待ちなの? 黒板に書かれた名前を見ると、彼女の名は「美国 耶生」というらしい……フードの端から覗く白い肌と、同じくらい真っ白な髪。そして紅玉のような深紅の瞳は日本人離れというより、すでに人外の者に近いオーラを発している。


 ――――「見るからにヤバい」というのは、まさにこういう人の事を言うのだろう。彼女には悪いけど、これは関わり合いにならない方がいいんじゃないかな……


 なおもニヤニヤとこちらを見つめてくる彼女――美国さんからなるべく自然に視線を外し、反対側に……今度は静流ちゃんと目を合わせないように気を付けながら、首を巡らせる。


 ぼくの右隣に座っているのは、打って変わって普通っぽい女の子だ。何かわしゃわしゃしたくなる天然パーマっぽい髪の彼女からは、怪しいオーラやら妖気やらは一切感じられない。

 たぶん彼女はあやかしとか術者とは無関係な、ただ「視える」というだけの理由でここに連れて来られてしまった子なのだろう。心中お察しします…………


 そんなぼくの視線に気付いたのか、こちらを振り向いてにっこり微笑む彼女に、ぼくは思わず、一瞬の躊躇もなく微笑み返してしまった。

 すごい美人というわけではないけれど、笑顔が可愛い女の子だ。まるで魔界のような妖気が吹き荒れるこの教室において、まさに一服の清涼剤。妖の世界に踏み込んでしまった身に、普通というものの大切さを思い出させてくれる……そんな笑顔。


 なんだかほっこりあたたかな気分になったところで、不意に教室の入口が勢いよく開け放たれた。そして入って来たのは……紺色のスーツをびしっと決めた、ぼくの良く知っている女性。


「よーし、席に着いてて静かにしてるな。優秀優秀!」


 そのままつかつかと教卓に進むと、手に持った大きなバッグを脇に置く。そしてぐるっと教室を見渡し……ぼくと目が合うと、嬉しそうにウインクして見せた。


「おはよう生徒諸君! あーしはこのS組の副担任を任されました、月代蒼衣といいまーす! みんな、ヨロシクぅ!」


 ノリノリで名乗りを上げるお姉……蒼衣先生。あれ、でも副担任って……


「あ、担任の車折くるまざき先生は野暮用があってちょっち遅れまーす!」


 ふむ。ぼくはてっきり蒼衣お姉ちゃんが担任だと思っていたのに……わざわざ普通じゃないクラスを作ったのは、自分が担任になって監視するためだとばかり……


 その時だ。思索にふけるぼくの耳を、鮮烈に響く声が打ち据えたのは。


「野暮用は済んだ。待たせたな月代」


 突然苗字を呼ばれてびくん、と背骨が跳ねる。呼ばれたのはお姉ちゃんで、ぼくの事じゃないのは分かっているけど……


「こいつを捕まえるのに手間取ってな……」


 教室に入ってきたのは、艶やかな黒髪を後頭部でポニーテールに纏めた、眼鏡の似合う長身の美女だった。


 そう、これで服装がちゃんとしてれば普通に美人だなーで済んだのだけど……彼女が身につけていたのは臙脂えんじ色のジャージ上下。バスケットシューズを履いてご丁寧に竹刀までたずさえている。


 ――――一言で言えば、テンプレ体育会系スパルタ教師の出で立ちだったのだ。


 更に、彼女が首根っこをつかんで引きずっているものもまた、普通ではない。奔放に跳ねる灰色の長髪に褐色の肌。真新しいはずの制服は所々汚れ、くたびれている。


「ルルガ・ルゥ! そこがお前の席だ。とっとと座れ!」


 先生の手から解放された少女――――ルルガ、というのが名前なのだろうか……は、不機嫌そうにぐるる、とうなりながらも、渋々席に……静流ちゃんの二つ後ろの席に荒々しくどかっと腰かける。


 もう明らかに日本人じゃないと言うか、いったいどこのジャングルから連れて来られたのだろうか……ここは名門校だから留学生の枠があるのかもしれないけど、お嬢様と呼ぶにはちょっと無理があると思う。まあそれを言ったら真っ先に失格するのはぼく自身なんだけどね……


「ふう、これで全員か。月代、残りの留学生二人はどうなっている」


「はい。昨日の事故の影響で空港に足止めを食ったようで……なんでも入国審査でトラブってるとか何とか」


「そうか……じゃあ取り敢えず、この面子で始めるとしよう」


 そう言うとジャージの先生は教卓の前に立ち、竹刀をばしっ、と振り下ろす。


「私がこれからお前達の担任を務める車折だ! この人事について、不平不満は受け付けない! 以上!」


 いや、以上って……言い終えて満足気な車折先生に、真っ先にツッコんだのは蒼衣お姉……先生だった。


「いやいや車折先生、まだ色々説明する事あるじゃないですか! 普通のクラスならいざ知らず……ここはS組なんですよ?」


「むう、それもそうだな。ここに来た以上、それなりの覚悟はしていると思うが……」


 何だか、嫌な予感がしてきたぞ……妖と関わった子供達を保護するというのは建前だったのかもしれない。まさかとは思うけど、ここでもスパルタで術者の修行をさせられるとか……ないよね!?


「まあいい。入学手続きの際に初めてこっちの世界を知った者も居るだろうしな。一通りは説明しておくか」


 ごくり、先生は一体何を言うつもりなのか……いや、どこまで言うつもりなんだろうか?


「さて、お前達。見て分かると思うが、このクラスは通常のクラスとは違う。人数も少ないし、校舎も一般生徒とは別だ……どうしてだと思う」


 その理由については、もう何度も聞かされている。今更どうしても何もない……と、ぼくは思ったのだけど、クラスの様子を見るに、何人かはまだよくわかっていないようだ。


「それはお前達が、特別な能力を持っているからに他ならない。そう……妖、魑魅魍魎の類を視る事が出来るという、力をな」


 ざわ……と、クラスにさざ波のようなざわめきが生じる。誰が何を言ったでもなく、ただ空気が揺らぐ。


「長々と言を費やすつもりは無い……月代、例のヤツを出せ。それで分かる筈だ――――」


 りょーかい、と蒼衣先生が持って来たバッグをどかっと前に置く。そしてゆっくりと、ジッパーを引っ張って……


 次の瞬間、バッグの中から弾けるように、勢いよく“何か”が飛び出した――――

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