第28話 追想のアクアリウム
【前回までのあらすじ】
渋谷の街で行われた、妖による大規模な召喚術。わずかな手掛かりを求め、樹希たちは二人組の妖を追っていた。
二手に分かれ、高田馬場駅のコーヒーショップでがしゃ髑髏と対峙する樹希。周囲の犠牲を避けるため、彼女は渋々ながら取引に応じることになる。
一方、灯夜の求めに応じ、ダブルブッキングの手助けを続ける雷華。
術で彼に成り代わり、池袋と渋谷をせわしなく行き来する雷華であったが……契約によって結ばれた樹希の危機は、当然彼女も知る所となっていた――――。
◇◇◇
色とりどりの鱗をきらめかせて泳ぐ、様々な種類の魚たち。そこでは生涯水を離れぬ生き物の数々が、互いに争う事もなく暮らしていた。
まるで――――神秘なる理想郷の如く。
幻想的なライトの光が照らし出す、天上も
分厚くも透明度の高いアクリルの板を隔てて広がる光景は……人々が描いた理想の海底世界を、いわば具現化した物だと言えよう。
私が学園のお嬢様方と訪れた“水族館”……それはいわゆる海中を模した箱庭であり、動物園の水棲生物版――――言い方は悪いが、魚たちを見世物にしている場所だ。
日頃目にする機会に
私が人の姿を取るようになって、もうかなりの年月が経つ。しかし水族館とやらに足を踏み入れるのは、これがようやく二度目にしか過ぎない。
前回は、確か六年程前。あの時の水族館はここよりもっと質素で……私の隣に居たのは今のお嬢様より幼い、十を数えたばかりの幼い少女だった。
――――雷華もたまには、外へ出て遊ぶといいんだよっ! ずっと学園なんかにこもってたら、楽しいコトなんてなーんにも分かんないんだから――――
……少女はそう言って無邪気に笑い、小さな手で私を引っ張り回したのだっけ。
何気なく、私は自分の掌に視線を落とす。白くて小さい子供の手は、当然本来の私のものではない。それは術によって生み出されたかりそめの幻像……今の私が扮している人物、美しくも愛らしいあの月代灯夜の手である。
故郷の友人と遊びたい、しかし学園の友人たちも
樹希お嬢様の良き友人である彼の為に、出来る限りの事をしてあげたい。それは、お嬢様自身も望んでいることだ。
それがよもや、この様な事態を……樹希お嬢様を、一人であの【がしゃ
『詳しく、聞かせて貰えますか……お嬢様』
彼女が恐らく意識して念話をシャットダウンしてから、優に三十分は頃……私はようやく事の
『特に、問題は無いわ。取引と言ってもその場限りの様なものよ。実質タダで情報が手に入ったのだから、結果オーライでしょう?』
妖との……一対一での交渉。それも対等な条件では無い中でだ。無事に切り抜けられたと言うのは、半ば奇跡に等しいだろう。
『何故……私を呼ばなかったのです。最悪交渉が決裂していたら、どうなっていた事か!』
『状況的にはもう手遅れだったのよ。どちらにしろ、あなたが駆け付ける頃には全て終わっていたわ……だったら、そっちは自分の仕事に専念していた方がいいでしょう? 突然抜けられたら、灯夜だって困るのだから』
それは……そうかもしれない。結果が同じであるならば、私が動いても無駄に終わっていただろう。しかし――――
『確かに、灯夜様は困るでしょう。しかし、物には優先順位があります! 自分の主人が危険に晒されている最中に、入れ替わりごっこを優先する理由がありますか!』
命に関わる有事が起きたとなれば、当然そちらが先だ。手遅れになろうとなるまいと、四方院の守護獣たる私には駆けつける義務がある。
危機に陥ったのは……契約によって結ばれた、己の半身と言ってもよい存在なのだから。
だから私は、強い口調で彼女を
『――――雷華、いい加減に子供扱いするのは止めて! わたしはもうあの頃とは違う。一人では何もできない、哀れな代替品じゃないのよ!』
案の定、彼女は
だが、ここは引き下がる訳にはいかない。
『お言葉ですがお嬢様、一人前の術者とて一人でできる事には限度があります。憑依を果たした妖と単身で向き合うなど、例え
そう言ってから「しまった」と思うも……後の祭り。
『やっぱり、比べているのね。わたしと……姉様を』
私の中に流れ込んでくる彼女の感情は、既に怒りではなかった。それは長い年月を掛けて押し殺され続け、凝り固まった――――
『だったら何故、どうしてあなたは姉様を助けてくれなかったの? 遥かに才の劣る出来損ないの妹を相手にするより、その方がよっぽど――――』
言葉が途切れると、激しい後悔の念が伝わってきた。私の受けた衝撃と動揺も、同時に彼女の知るところとなったのだろう。
『――――言葉が過ぎたわ。御免なさい、雷華』
『いえ。私も少し神経質になっていたようです……申し訳ありません』
こうしたぶつかり合いは、少し前までは日常茶飯事だった。自分自身を認めさせようと躍起になる彼女と、それを
対立が二人の奥底から共通の棘を掘り起こし、幾度となく互いに悔やみ続けた日々……契約で結ばれてはいても、私とお嬢様は……まだ本当の意味での絆を結べてはいない。
そう、私はまだ許されてはいないのだ。先代の四方院の巫女――――お嬢様の姉君の最期を、ただ見ている事しかできなかった……私の罪は。
「トーヤ、そろそろ次行くぞ~! ボーっとしてっと置いてくからな~!」
通路の奥から、愛音様が呼ぶ声がする。そう言えば、この水族館に入って小一時間は過ぎた頃か。一行はそろそろ別の場所へと移動したいのだろう。
『……とりあえず、わたしは
すっかりいつもの調子に戻ったように装いつつも、お嬢様の思念はわずかに震えていた。
『お嬢様、次に妖と相対する事があれば、その時は……』
その時は、間違いなく戦いになるだろう。手遅れなどという言い訳はもう……通用しない。
『分かっているわ。土蜘蛛の
それを聞いて……私はほっと胸を撫で下ろした。心の底にわだかまりを残しつつも、彼女は私の言に耳を傾けてくれる。ぶつかり合う日々はまだ続くとしても……今日より寄り添える明日は、きっと訪れる筈だ。
「さーて、次はどこに行くんだ?」「そろそろお昼だし、食事にしましょうか」「お弁当の用意はバッチリなのです!」「外に公園があるから、そっちで食べるでござるよ~」
わいわいと賑やかな一行の後ろで、私はもう一度水族館を振り返る。
――――ね? 楽しかったでしょ! また一緒に来ようね、雷華――――
それは、もう果たされる事のない約束。けれどもし、私がまた水族館を訪れる日が来るとしたら……その時は。
「水族館……樹希お嬢様は、喜んでくれるでしょうか……?」
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