第99話 死闘、最終局面

【前回までのあらすじ】


 裏切りの妖・栲猪の恐るべき強さを前に、やむを得ず共同戦線を張る樹希と我捨。

 雷術の通じない栲猪を我捨の待つ地上に叩き落とす為、樹希はついに未完成の術・黒雷を繰り出すのだった。


 池袋の街を閃光と雷鳴が響き渡る。樹希の術は効いているのか? そして、その時我捨は――――!?



◇◇◇



「――――ようやくか。まったく、この俺を散々走らせやがって!」


 西池袋のビル街にまばゆい閃光が弾けた時……【がしゃ髑髏どくろ】の我捨がしゃは樹希から少し離れたビルの影にいた。

 樹希の邪魔にならないように、と言うよりは栲猪タクシシの標的にされるのを避ける為、戦場からそれなりに距離を取る必要があったからだ。


「お前と違って、こっちには翼なんて便利なモノはついてねえんだ。少しは加減しやがれっての」


 また同時に、樹希が手筈通り栲猪を地上に落とした際にはいち早くその場に駆けつける必要がある。我捨は適度な距離を意識しつつ、飛行する彼女を遠巻きに並走するという難題に挑まなければならなかった。


 当然、市街地のど真ん中でである。行く手を塞ぐビルを避け、遠回りし……時には飛び越えたり中を突っ切るという非常手段も併せながら、彼は来たるべき好機を今か今かと待ちわびていたのであった。


「音の無い、光だけの術……あれは俺とった時使った目くらましの術か? となれば――――」


 本命はその後、と言おうとした我捨をさえぎったのは、ビルの向こう側から響く凄まじい衝撃音。

 例えるなら、稲妻を浴びた立木が根本まで真っ二つに引き裂かれた時の音を何重にも重ねたような……およそ自然には起こり得ない轟音だ。


「!!」


 かつて四方院樹希と死闘を繰り広げ、数々の雷術をその身で受けた彼にとってさえ、それは未知の衝撃であった。


「あんの野郎、まだこんな術を隠してやがったのか……!」


 ビルひとつ隔てた向かうで炸裂した未知の術。我捨はまずそれを直に見られなかった事にいきどおり、次いで直接我が身でそれを浴びたであろう栲猪の姿を思い口角を歪ませた。


 まだ少女とはいえ、樹希は【憑依】を果たした我捨さえも一度は追い詰めた術者である。その彼女が切り札を無為に切る事は無いだろう。


 となれば、あの難攻不落の老将にもそれなりのダメージを与えている筈だ。音の凄まじさから察するに、倒し切るには至らぬまでも半死半生以上には痛めつけたものと期待できる。


「やれやれ……俺の仕事は残ってるんだろうな? 後は止めだけなんて、拍子抜けもいいとこだぜ」


 樹希の秘術は驚きではあったが、我捨もまた彼女に見せていない奥の手を隠し持っていた。戦ったとはいえ、互いにすべての手札を晒し切った訳ではないのだ。


 彼にとって、最後の切り札と言ってよい術……使わずに済むなら、当然それに越したことはないのだが。


「さぁて、壊れ具合はどんなモンだ……?」


 油断なく建物の影に身を隠しながら、我捨は“爆心地”をのぞき見た。舞い上がった粉塵によって多少視界はさえぎられたが、現場の状況はおおむね把握できる。


 まず目に入ったのは、彼から見て正面のビルに空いた大穴だ。我捨はこれを四方院樹希、自身の衝突によるものと推測する。空中であれ程の衝撃をともなう一撃を放ったなら、本人も逆方向に跳ね飛ばされるのが道理だからだ。


 樹希の秘術、それは恐らく諸刃の剣……放った彼女にも相応のダメージを与えたと見ていいだろう。


「しかし、派手にやったなァ」


 次いで、眼下を見下ろす。もうもうと立ち込める土煙の中心には……丸ごと倒壊したビルの残骸があった。瓦礫がれきの量から逆算するに、元は三、四階立ての雑居ビルだったと思われる。


 だが不揃いなコンクリート塊の山と化した今となっては、もはや元の姿を知るすべも無い。とどのつまり、栲猪が受けた一撃の威力はビルひとつを崩壊させてなお余りある程のものだったという結果になる。


「ヒュー、怖い怖い。栲猪のヤツ、これでよくバラバラに……」


 ならなかったものだ、と続けようとして……我捨は違和感に気付いた。


「いや待てよ、どれだけスゲエ技を喰らったにしてもよォ……手前テメエの体ひとつでビルをぶっ潰せるものか? いいトコ屋根に穴を開けるのが関の山じゃあねーのか?」


 ……いかにあやかしとはいえ、人間サイズの物体にこれ程の衝撃が加わったのである。普通ならその場で爆散していてもおかしくはない。

 栲猪は蜘蛛の妖……甲虫か何かならともかく、そこまでずば抜けた身体の強度は持ち合わせていない筈だ。


「そもそもこの落下跡ッ……! 隕石でも落ちなきゃこうはならねえ。デカ過ぎんだよ、破壊の規模がッ!」


 隕石がその体積に比して巨大なクレーターを生じさせるのは、ひとえに大気圏外からの膨大な加速エネルギーを伴っているからだ。

 せいぜい数十メートルの加速では、物体の質量から想定される規模を超えた破壊など……起きる筈がない。


「イヤな予感がするぜ……一体ここに、何が落ちやがったんだ!?」


 我捨の問いに応えるように、残骸の山がぐらりと揺らいだ。まだわずかに形状を保っていたコンクリートの壁ががらがらと崩れ、その内側から黒く尖った先端が飛び出す。


 電柱ほどの太さを持ったそれは尖塔のように天を指した後、節に沿ってかくんと折れ曲がり……そのまま瓦礫の散乱する地面にざっくり突き刺さった。


「――――よもや、これ程の術を扱えようとは。小娘とは言え……流石は四方院。永きに渡って、我が同胞達を苦しめてきただけの事はある」


 地の底より響く、重苦しい声と共に……二本、三本と新たな黒針がビルの残骸を貫いて現れる。それらは最初の一本と同じように先端で地面を突き、数を増やしては円を描くように放射状に並んでいった。


「何ィ!」


 我捨をして震撼しんかんさせる程の、凄まじい妖気。最終的に八本に達した黒針……巨大な昆虫の"脚"の根元から、それは放たれていた。


「この我が、真の姿を晒さねばならぬまでに追い込まれるのだからな……フフ、これだからいくさというものは面白い!」


 がらがらと音を立て崩れゆく瓦礫の山。その下から姿を現したのは――――蜘蛛。まるで悪夢が形を成したかのような、恐ろしく巨大な蜘蛛の胴体であった。


「これが、栲猪の……土蜘蛛の将の正体だって言うのか!? しかしいくら何でも、こいつは……」


 我捨とて土蜘蛛という妖を知らぬ訳ではない。現に妖大将の居城においては、一族の者を散々目にしていたのだから。

 しかし彼の知る限り、その体躯は多くが大型犬程度。かつて八将の一角であった狭磯名サシナにしたところで、牛や馬のサイズを超える事はなかった筈である。


「こいつは、デカ過ぎんだろッ!」


 土煙の中にゆらめく巨体……そのシルエットは明らかに蜘蛛のそれである。だがあまりの大きさから生じる違和感が、まるで未知の怪物のような印象を否応なしに突き付けてくるのだ。


 胴体だけでも、乗用車のそれを高さ幅共に上回る……生き物で例えるなら、象程もある大蜘蛛――――いや、巨大蜘蛛。


「どうした我捨よ、歳を経た妖を見るのは初めてか? フフ、無理もない……よわい千を越える妖など、今日日ろくに残ってはおらぬのだからな」


 巨大な蜘蛛の頭部の中心、丁度額のあたりにぴしりと亀裂が入り、内部からどろどろの粘液にまみれた人間の上半身が姿を現す。

 その容貌かおは、先程まで相対していた人間姿の栲猪そのものだ。


「チッ、聞いてねえぞ! こんなデカブツを相手にするなんてよォー!」


 長く齢を重ねた妖は、より強大な力をその身に蓄えていく――――話だけは聞いて知っていたものの、ここまでの例を見るのは我捨ですら初めてである。


 千年という月日が、蜘蛛の妖をこうも恐ろしく巨大に変えるものか。彼の仕えるみずちも年経た大妖怪であるが、それでも齢は五百を越える程度である。それを考えると……我捨は己の脳裏に、眩暈めまいに似た焦燥感が渦巻いていくのを感じていた。


「とは言え、我が変化を破られるのもここまでの傷を負うのも久方振りだ。恐ろしいな……若武者の勢いというものは」


 栲猪の言葉に、我捨ははっとして目を凝らす。巨大で恐ろしい魔性の蜘蛛……だが、その胴体の節々ふしぶしに刻まれた真新しい傷からは緑色の体液がにじみ出し、八本の脚を伝って地面に浅い水溜まりを作っていた。


 ――――樹希の術は、人間の姿に変化した栲猪を粉砕して余りある威力を持っていたのだろう。だからこそ、彼はその正体である巨大蜘蛛の姿に戻らなければならなかった。

 変化の術を維持する余裕はすでに無く、本来の巨体をもって人の身体では受け切れぬ分のダメージを吸収する以外に、栲猪に生き延びる道はなかったのだ。


「……そういう事かよ。へへっ、ビビって損したじゃねーかァ!」

 

 そう、栲猪は無傷ではない。再びの変化が叶わぬほどに、その身には深いダメージが刻み込まれていたのだ。


「この体躯からだでは今迄のように、のらりくらりと逃げ回る訳にもいかぬ。フフフ……我捨よ、お主の目論見もくろみ通りであろう? 同じ土俵にさえ立てば、こちらに分があると……」


 だが、その口から放たれる言葉には一辺の弱気さえも感じられない。それどころか、まるでこの窮地を楽しんでさえいるかのような響きがある。


今なら・・・、倒せるかも知れぬぞ? この我を……最も古き土蜘蛛の将を!」


 我捨は、震えた。恐れではなく、むしろ逆――――満身創痍となりながら尚、不敵な挑発を投げ付けてくる目の前の漢。そのような相手と、正面から命のやり取りができる喜びに魂を震わせていたのだ。


「言うなァ、爺さん。だが生憎……俺は年寄りに手加減できる程、出来た大人じゃあねえんだよなァ~!」



 ……【がしゃ髑髏】の我捨にとって、挑発に乗る事もまた愉悦の一つ。

 完膚なきまでに打ちのめされ、安い売り文句を放ったことを後悔する敵の表情こそ……"殺し"という料理を彩る、絶妙なスパイスに他ならないのだから――――。

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