第47話 紅の竜姫

【前回までのあらすじ】


 色々あってゴールデンウイークにダブルブッキングを決行し、池袋と渋谷をせわしなく行き来していた主人公、月代灯夜。 

 午後からの自由行動中、不思議な女の子……通称“お姫様”と仲良くなり、某六十階建てビル最上階の展望台にやって来た彼等の前で、突如異変が起こります。


 何者かの術によって展望台の中の人々は次々と霊力を奪われて倒れ、ビルそのものも見えない壁によって封鎖されてしまいました。

 そして現れた謎の男によって“お姫様”の正体が妖だという事実を知らされる灯夜。それでも彼女を助けようとした彼のピンチに、ついに“お姫様”はその秘められた力を解き放つのです――――!



◇◇◇



 ――――吹き荒れる、霊力の暴風。凄まじい勢いで増大していくその力は、かつて学園内に開いた【門】にも匹敵するほどだ。

 そして、その中心にいるのは……“お姫様”。あの小さな女の子の中に、ここまでの霊力が秘められていたなんて。


「そんな……いったいどうなってるのです!?」


 恋寿ちゃんが驚くのも当然だ。ぼく達の目の前にいるのは、もうさっきまでの幼い“お姫様”ではない。その身からあふれる力に合わせてか、彼女の姿もまた変貌を遂げていた。


 手足がすらりと伸び、胸から腰にかけてのラインもより女性的なものに変わっていく。十代後半近くまであっという間に成長し、豪奢ごうしゃな金髪をなびかせて立つその姿は……ぼくが吹き抜けの噴水広場で見た、あの鮮烈なる赤いドレスの踊り手そのものだ。

 “お姫様”のお姉さんかと思っていた彼女が、まさか本人の変身した姿だったとは!


 だが、変化はそれだけに留まらない。耳の上から角のような突起が生え、背中からはコウモリのような羽根が。腰の後ろからはうろこに覆われた太く長い尻尾が現れた。

 最後に身にまとっていた深紅のドレスが弾け飛んだかと思うと、それは一瞬で鱗が連なったようなデザインのチャイナドレス的なコスチュームに再構成される。


「テメエ……何者だ!」


 あやかしの男の問いに混じる、明らかな焦燥しょうそうの色。この変化は、彼にとっても想定外の出来事だったのだろう。


「何者、だと……馬鹿め。下郎風情に名乗る名など、持ち合わせてはおらぬわ!」 


 ――――“お姫様”。ぼく達は半ば冗談のようにそう呼んでいたけれど……美しく成長した彼女は妖気だけでなく、まさしく高貴なる姫君にふさわしい威厳を漂わせている。

 元よりよく通る声には更なる張りと艶が加わり、その言葉にあらがい難い甘美な重みを与えるに至っていた。


「とは言え、学無き下賤げせんやからにはわらわの血の尊さが解るまい。ゆえに、ひとつだけ教えてやろう……」


 彼女の爪先が床を叩くと、展望台の中で荒れ狂っていた妖気の嵐が不意に止んだ。けれど、それは力の喪失を意味するものではない。

 くれないに彩られた異形の姫の身体には、いまだあふれんばかりの力が満ちている。拡散が止まり、収束を始めたそれはもはや……人間サイズの生き物が持ちうる範疇はんちゅうをはるかに超越していた。 


「わらわは、遥かいにしえより連なる誇り高き【竜種】の血を継ぐ者! 天を焦がし地を焼き尽くす……そう、“ドラゴン”という名の伝説の魔獣よ!」


「ドラゴンだとッ!?」


「ド、ドラゴン!?」


 妖の男とぼくは同時に驚きの叫びを上げていた。



 ――――ドラゴン。おそらく、その名を知らない者はほとんどいない。巨大で恐ろしい“竜”の伝説は、それこそ世界中で言い伝えられているのだから。

 もっともぼく達くらいの世代になると、元の伝説よりゲーム等で出てくるモンスターの印象のほうが強くなるんだけど。 


 それはそうと、妖としての“竜”は……恐ろしく強大かつ、とても希少な存在なのだと聞いたことがある。何でも強力な妖の代表格たる“竜”は、古来よりそれを倒し名声と財宝を得ようとする術者たちによって、執拗にその命を狙われ続けたというのだ。


「――――そういった連中によって乱獲された結果、この世界において【竜種】は事実上絶滅したと言っていいわ。いくら強大な妖とは言っても、数において圧倒的に勝る人類を駆逐し切れる訳じゃない。伝説になる程の強さが、逆にあだとなったのね」


 この間の春休み、ぼくが妖の膨大な種類についてのレクチャーを受けていた時……樹希ちゃんは“竜”についてそう語っていた。


「【竜種】レベルの妖となると、その存在を維持する為に必要な霊力もケタ違いになる。それこそ霊的な素養のない普通の人間でさえ、その姿を視て認識できる程によ。元から数の少なかった【竜種】は、中世までにそのすべてが見つけ出され狩り尽くされた。近代から現代においてはもう目撃例すら無いわ。今でも現れるのは、飛竜ワイバーンのような小物の亜竜がせいぜいって所よ」


「そ、それじゃあ……」


「そう。幸運にも、わたし達が【竜種】に遭遇する機会はほぼ皆無って事。けれど、それは対策が必要ないという意味じゃないわ。近い能力や特性を持った妖も多いし、大規模な【門】や召喚術によって本物が現れる可能性もゼロとは言い切れない……いつだって、最悪の状況に備えるのがデキる術者というものなのよ!」



 ――――正直な話、修行による疲労と暗記項目の多さとでその時のレクチャーのほとんどは記憶に残っていないのだけど……こうして思い出せるのは、それなりに印象的なエピソードだったからなのかな?


 けど、彼女の正体がドラゴン……【竜種】の末裔だとしたら、今の姿はどういう事なのだろう? 羽や尻尾といった特徴的な部分はあるものの、彼女はまだほとんど人の姿を保っている。

 あの雷華さんのように、部分的に妖化する術を使っているのだとしたら、それはつまり……


「――――な、何ぞこれは! どうして妖力が開放されておるのだ!?」


 その時突然響いたのは、荒々しい男の人の声。妖の男よりもだいぶ歳のいった感じの声色だけど……この場で普通に動ける時点で、それは術者か妖のどちらかという事になる。

 続いて通路の奥から現れた袈裟けさを着たお坊さんの姿を視て、ぼくは確信した。これは後者――――妖の方だ。


「ちッ、冨向フウコウか……まったく、とんでもない化け物をんでくれたモンだぜ」


「げっ、我捨がしゃ! 何故お主が此処ここに!?」


 妖の男が、動いた。今までの悠然とした動作が噓のように身をひるがえすと、胸から何か白い針のような物をお坊さん目がけて打ち出した!


「とりあえず、死ね!!」


 しかし、その鋭い先端がお坊さんに触れることはない。寸前で“お姫様”が……今は紅の竜姫とでも呼ぶべき彼女が稲妻のように割って入り、放たれた針を腕のひと振りで砕き散らしたのだ。


「言うたであろう……臣下に手を出すのは許さぬと」


 そういえば、冨向という名前は“お姫様”の話の中で何度か聞いた覚えがある。あのお坊さんも彼女の臣下……という事は、ぼく達と同じような立場なのだろうか?


「クソ、こんな雑魚に飼い慣らされやがって……」


 忌々しげに吐き捨てる妖の男。その彼に向かい、紅の竜姫は左手を突き出した。それに合わせて腰のスカートから分離した手のひら大の鱗……宝石のように透き通った輝きを放つ六角形の小片が三枚、腕を囲むようにくるりと円陣を組む。


「さて、貴様もそろそろ滅ぶがよかろう……【竜種】の手にて討たれる事、ほまれに思うがいい」


 六角形の鱗たちが、竜姫の手首のあたりでくるくると回り始めた。回転が早まるにつれその赤い輝きは強まり、凄まじい力が集中していくのが分かる。


「ま、待て! そんな物を放てばこの塔が――――」


 額に脂汗を浮かべたお坊さんが、必死の形相で竜姫に抗議する。しかし、


「冨向よ、なんじにも言うたであろう……わらわは誰にも縛られぬと。こうなった以上は、好きにやらせてもらうぞ!」


 彼女の左手から灼熱の波動がほとばしり、展望台フロア全体を深紅の閃光が埋め尽くす。


「うおお――――ッ!?」


 妖の男の絶叫と、次いで鳴り響く破壊音。うろたえるお坊さんの声に、恋寿ちゃん達の悲鳴。そのすべてが――――荒れ狂う赤い光の中へと飲み込まれていった。

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