第48話 蒼穹の彼方へ

【前回までのあらすじ】


 色々あってゴールデンウイークにダブルブッキングを決行し、池袋と渋谷をせわしなく行き来していた主人公、月代灯夜。 

 午後からの自由行動中、不思議な女の子……通称“お姫様”と仲良くなり、某六十階建てビル最上階の展望台にやって来た彼等の前で、突如異変が起こります。


 何者かの術によって展望台の中の人々は次々と霊力を奪われて倒れ、ビルそのものも見えない壁によって封鎖されてしまいました。

 そして妖の男から灯夜たちを守る為、伝説の妖【竜種】としての姿と力を解き放つ“お姫様”。荒れ狂う深紅の閃光の中で、灯夜が見たものは――――!?



◇◇◇



 …………風が、吹いていた。


 赤く輝く光の嵐と、それに伴う轟音と爆風が去った後……床に伏せていたぼくの耳に飛び込んできたのは、びゅうびゅうと吹きすさぶ荒々しい風の音。

 はっとして身を起こすと、ぼく達がいた地上六十階の展望台フロアは、さっきまでとは全く違った様相を呈していた。


「こ、これは……!」


 大きな窓が並んでいた壁面の一角に……ぽっかりと空いた穴。窓も窓枠も、それがはまった壁さえもがごっそりと消え失せ、青空へと通じる大穴に変わっていた。

 それだけではない。ビル全体を覆っていた術による透明な壁にさえ、直径数メートルに渡って穴が穿うがたれている。

 “お姫様”――――紅の竜姫が放った深紅の衝撃は、物理と魔術による二枚の壁をあっさりと貫いていったのだ。


 不意に心配になって、ぼくは改めて周囲を見回した。幸い、壁に空いた大穴以外にフロアへの損害はない。たまたま近くにあったオブジェが半壊しているくらいで、倒れている人達……ちかちゃん達にも被害はないようだ。


 ただ、恋寿ちゃんと及川さんは気を失ってしまったようで動かない。霊力を吸われた影響もあるのだろう……さっきの時点で、すでに結構無理をしていたように見えたし。


「クソ……無茶苦茶やりやがって。加減ってモンを知らねーのかよ!」


 風の音に混じって、不愉快を隠そうともしないぼやきが聞こえる。ボロボロになったオブジェの影からゆらりと起き上がったのは……確か、我捨がしゃと呼ばれていた妖の男。咄嗟に直撃を避けたのか、大きなダメージを受けてはいないようだ。

 しかし身に着けていた派手なスカジャンには所々に焦げ目や破れが生じ、見るも無惨な有り様になっている。


「避けおったか、小癪こしゃくな奴め。楽に殺してやろうというわらわの慈悲が解らぬと見える」


 そして大穴から吹き込む風を受けながら、静かにたたずむ異形の少女……紅の竜姫。両者の間には、いまだぴりぴりとした殺気の火花が飛び交っている。

 互いに隙をうかがい合う、まさに一触即発の妖ふたり。何人たりとも立ち入る事が許されないその張り詰めた光景を前に、ぼくは声を失い……息をするのも忘れただ見守ることしかできなかった。


 転機が訪れたのは、壁にかろうじて引っかかっていた案内パネルががれて落ち……かしゃんと乾いた音を立てた瞬間。


「!!」


 それが、合図となった。一瞬前まで我捨のいた場所に、竜姫が放った鋭い鱗が突き刺さる。砕けてバラバラになるオブジェの残骸に混じって、妖の男が天井へ駆け上がる姿が見えた。


「さーて、行くかァ!」


 天井に足を着けて身を屈めたかと思うと、我捨は体ごと竜姫に向かって飛び込んでいく。対する竜姫もそれに応じて、半身に構えた迎撃姿勢を取った。


「――――むっ!」


 ふたりが激突する、そう思われた刹那。妖の男が空中で突然進路を変えた。脇腹から打ち出した白い槍のような物を壁に突き刺し、無理やりに方向転換したのだ!

 そして、彼が向かうのは……


「へへ、悪いな……俺は分の悪い賭けはしねェ性質タチなんだ!」


 壁の大穴、さらに不可視の壁の裂け目を越え、我捨は虚空へと飛び出していった。


「逃げるか、卑怯者めが!」


「何とでも言いやがれ! テメエみたいなバケモノと真正面からやり合う程、俺は脳筋じゃないんでねッ……」


 窓の外からかろうじて届いた、怒声への返答。彼はこのまま竜姫と戦うより、墜落してでも撤退した方がマシだと判断したのだろう。

 とはいえ、このビルは確か海抜二百五十一メートル。そこから落ちても死なない自信はあるんだろうけど……普通の神経ではとてもマネできない選択だ。


「馬鹿め。わらわに弓を引いておいて……生きて帰れるとでも思ったか!」


 竜姫の背中で、二枚の羽根がばさりと広がる。どうやら、このまま逃がすつもりは無いらしい。


「ま、待って!」


 今にも飛び立たんとする彼女に、ぼくは思わず叫んでいた。ここで別れてしまったら、もう二度と会えないんじゃないか……そんな予感が脳裏をよぎったからだ。


 思えば、この出会いには運命的なものを感じずにはいられない。しるふと初めて会った時のような、何か不思議な縁で結ばれているような感覚。このまま彼女を行かせてしまったら、それが途切れてしまう気がする。


「トウヤ……」


 ぼくの名をつぶやき、ゆっくりと振り返る彼女。初めて会った時は、紅をまとったうるわしの踊り手。再会した時はちっちゃく元気なお姫様。そして今は――――紅の竜姫。

 姿は変わっても、そのどこかうれいを秘めた瞳の色は変わらない。 


「えっと、あの……その――――」


 聞きたい事も、言いたい事もたくさんある。あるはずなのに……ぼくの口から発せられた言葉はそのどちらにも当たらない、ただ空虚なあえぎ声でしかなかった。

 いったい、何から話せばいいのか。そもそも、今の彼女に何と声を掛けたらいいのか? それが突然、分からなくなってしまったのだ。


「お主には、すまぬ事をしたな。こうなると知っておれば……いや、本当はとっくに解っておったのだ。自ら人と関わるなど、我ながら少し……気紛きまぐれが過ぎたわ」


 竜姫の桜色の唇から漏れ出したのは、静かなる懺悔ざんげと後悔の言葉。伏せられた瞳が告げるのは、それを断ち切る事への決意と覚悟。


「だが、それもここでしまいよ。わらわはここに、臣下としてのお主らの任を解く。今までの務め、大義であった……さあ、何処どこへなりと去るがよい!」


「そ、そんな……臣下とか務めとか、そんなの関係ないよ! だって、ぼくは……ぼく達は――――」


 そうだ。ぼくは最初から、彼女の臣下になったつもりはない。この気持ちは忠誠でも義務でもなくて……だからこそ、簡単に終わりにできるものじゃないのに!


「――――友達、か。この高貴なるわらわに向かって、無礼千万と言いたいところだが……案外、悪くない気分だったのう」


 ふっ、と短い吐息を吐いた彼女の口元には、ほんの一瞬だけど確かに笑みが浮かんでいた……けれど。


「だが、言うたであろう。わらわは【竜種】……この世の者ならぬ化け物よ。お主ら人とは、決して相容れることは無い」


 再び顔を上げ、大穴の向こうを睨む竜姫から、暴風のような妖気が溢れ出す。冷たい威厳と力に満ちたその姿は、それでもどこか寂しげで……孤独に見えた。


「さらばだトウヤ。わらわでは、お主の友に……成れぬ!」


「なっ、待って――――!」


 彼女は、もう振り向かなかった。その羽ばたきが巻き起こした一陣の風だけを残し、竜姫の姿はあっという間に蒼穹そうきゅうの彼方へと吸い込まれていった…………。

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