第41話 ターニング・ポイント

【前回までのあらすじ】


 ゴールデンウイークに、クラスのみんなと池袋へ遊びに行く約束をした灯夜君。しかし、よりにもよって同じ日に小学生時代の友達、ちかちゃんに渋谷へ誘われてしまいます。

 悩んだ末にダブルブッキングを決行した彼は、替え玉役の雷華さんとの入れ替わりを駆使し、池袋と渋谷をせわしなく行き来することに。

 

 午後からの自由行動中、休憩していた灯夜君と恋寿ちゃん、及川さんが出逢ったのは……自らを高貴な身分だと自称する不思議な女の子、通称“お姫様”。

 彼女に誘われて、某六十階建てビル最上階の展望台へ向かった一行ですが、そこで灯夜君はちかちゃん達が同じ場所に来ていることに気づきます。

 このまま鉢合わせしてしまえばダブルブッキング計画は崩壊。それどころか、色々な秘密がみんなにバレてしまうではありませんか!


 絶体絶命の灯夜君。しかし、厄介事はそれだけでは終わらなかったのです……。



◇◇◇



「下が燃えてる! そこら中から煙が上がってるぞ!」


「ウソ、ここは大丈夫なの? 燃え移ったりしてないわよね!?」


 窓から下の景色を眺めていた人たちのざわめきは、あっという間に展望台全体へと広がっていた。窓側の人が避難しようとする流れと奥にいた人が状況を確認しようとする流れがぶつかり、通路は怒号と悲鳴で埋め尽くされる。

 皆を落ち着かせようと館内放送が何か言っているけど、この喧騒の中では焼け石に水だ。


「灯夜様、これは一体どういうことなのです!?」


「こううるさいと、寝れない……」


 そんな中、ぼく達――――月代灯夜と東雲恋寿しののめれんじゅちゃん、及川叶恵おいかわかなえさん……そして小さな“お姫様”は、はぐれないよう大きな窓の前で固まりつつ、はるか下界の惨状を呆然と眺めていたのだった。


「あの光柱は、間違いなく【門】だよ。だとしたら、この火事は妖の仕業ってこと?」


 これが静流ちゃん達が追っていた事件だって言うなら……なんてことだ! ぼくが想像していたよりもずっと大事件じゃないか!


 今になって、ぼくは自分の選択を後悔した。雷華さんに聞いた時点で捜査に協力していれば……いや、それでどうにかできたと考えるのは自惚うぬぼれか。

 樹希ちゃんを含めた何人もの術者が動いていて、それでも防げなかった事態なのだ。新米のぼくが加わっていたところで、結果に大差はなかっただろう。


 それに、今すべき事は後悔じゃない。こうしている間にも下の街では大勢の人たちが妖の脅威にさらされているのだ。


「早く助けに行かなきゃだけど……」


「こう混み合ってしまっては、いつ下りられるかわからないのです!」


 恋寿ちゃんの言う通り、今この場を離れるのは至難の業。エレベーターや階段へ向かう通路は避難しようとする人たちでいっぱいで、とても通れそうにない。

 そもそもエレベーターで一度に運べる人数なんてたかが知れてるし、階段を使ったところで地上まで何分かかるか分からないのだ。


 地上六十階の展望台というロケーションは、こうした災害時においては致命的だ。外に助けに行くどころか、これではぼく達自身が要救助者になりかねない。


「……トウヤよ、さっきから何の話をしておるのだ? ここにおれば外がどうなろうと関係なかろうに」


 不意に放たれた“お姫様”の全く緊張感のない言葉に、ぼくは逆にびっくりした。まだ小さい彼女には、今がどういう状況か理解できていないのか?


「いやいや、下の火事がこのビルに燃え移ったら、ぼく達はどこにも逃げられなくなるんだよ?」


「だから、逃げる必要など無いのだ。富向フウコウのやつは、ここにいるのが一番安全と言っておったぞ?」


 焦るそぶりなど少しも見せない“お姫様”。何か、話がかみ合っていない。危険が実感できないというより、安全を信じて疑わないといった様子だ。

 フウコウとかいうのはたぶん、お付きの人か何かだろうけど……今は非常事態。平時の安全が通用する状況じゃない。


「ここはもう安全じゃないんだよ。それに、ぼくは外のみんなを助けに行かないとだし……」


「わらわを、置いてか?」


 えっ!? そう言ってぼくを見つめる“お姫様”の瞳は、心なしかうるんで見えた。いつも満面の笑顔の印象が強いから、悲しそうな表情をされるとドキっとしてしまう。


「そんな、置いていくとかそういう事じゃなくって……」


 ど、どうしよう? ぼくは一緒に避難するつもりで話していたのに、彼女には自分を置きざりにするように聞こえていたのか?

 多少改善したとはいえ、いまだコミュ障気味のぼくの言葉は……“お姫様”にあらぬ誤解を招いてしまったのか!?


「わらわを放って、どこへ行くつもりなのだ。答えよトウヤ! 臣下になると言うのは……ウソだったのか!?」


 幼い女の子から放たれたとは思えない、鋭い詰問。元々よく通る声がフロアの喧騒を切り裂くと、周囲に残った人たちが何事かとこちらをふり返る。


 ――――そして。


「トウヤって…………灯夜?」


 すぐ後ろから聞こえたのは、ぼくの名前を呼ぶ聞きなれた声。しまった! 突然の騒動のせいでうっかり忘れていた……この場には恋寿ちゃん達以外にも、ぼくの事を知っている子が来ていたんだ!


「確かに同じ銀髪だけど、女の子の服着てるし別人でしょう? 果南かなみさん、こんな非常事態に何を言って……」


「だとは思うけどよ向井、ちょっと顔だけでも見ていこーぜ? どうせしばらくここから動けねーんだし」


 その声は間違いなく、ちかちゃんと向井さん――――ぼくの小学校時代からの友達、つまり月代灯夜が男の子だと知っている子達の声だ。

 まずい! 今のぼくの姿を見られたら、すごく面倒な事になる! 思わず逃げ場を探して周りを見渡すけど、どこの通路も人が詰まって通れない。それに、


「答えられぬのか、トウヤ! お主の忠誠は所詮しょせんその程度なのかっ!」


 今はこの“お姫様”の前から逃げ出せる場面じゃない。そんな事をしたら、ぼくは彼女の信頼を永遠に失ってしまうだろう。

 ――――ああ、どうすればいいんだっ!? こうしている間にも、背後からの気配は近づいてくる。ちかちゃん達がぼくの顔を見る前に“お姫様”を説得して……無理だっ! あと数秒で何が言えるっていうんだ!?


 考えすぎて酸欠になったのか、頭がくらくらする。背筋にひどい悪寒が走り、全力疾走の後みたいに視界がちかちかとまたたいて……ぼくは膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。


 万策尽きてもうおしまいという時、人はこんな状態になってしまうのか。心労で倒れましたという話はよく聞くけど、まさかぼく自身がその身で体験する事になろうとは――――


 ばたり。倒れる音がする……でも、おかしいぞ? ぼくの両足にはまだしっかりと床の感触がある。それに音はひとつじゃなく、いくつもが連鎖するように続いていくじゃないか。


 はっとして目を開けると、周囲の光景は一変していた。さっきまでフロア全体に張り詰めていた殺伐とした気配が、すっかり消えている。

 それもそのはず……気配の元となる大勢の人たちは、皆一様に床に倒れてぴくりとも動かないのだ。ついさっきまであんなに騒がしかったのが嘘のように、展望台の中は不気味な沈黙に包まれていた。


「な、何コレ……一体どうなってるの!?」


 振り向いたぼくの足元には、折り重なるように倒れたちかちゃんと向井さんの姿。慌てて助け起こすけど、二人ともすっかり意識を失っている。ほんの数秒の間に、彼女たちに何が起きたというのか?


「と、灯夜様……」


「恋寿ちゃん! だ、大丈夫!?」


 声の方に振り返ると、ぺたりと床に座り込んだ恋寿ちゃんと及川さんがいた。どうやらこっちの二人は無事だったらしい……けれど、何かひどく疲れて消耗している様子だ。


「……なにか急に、体の力が抜けていったのです」


「いつもより十割増しで眠い……」


 さっき感じた、一瞬の朦朧もうろう状態。あれはてっきりぼくのストレスが生んだ症状だと思っていたけど、まさかこのフロアの人すべてに同じような負荷がかかっていたっていうのか?

 だとしたら、ぼく達だけ症状が軽いのはどうして?


「これは……霊力を急激に失ったときの症状に似ているのです! 恋寿たち、霊力を奪われちゃったのです!?」


 ――――霊力! 確かにそれなら説明がつく。他の人たちが気絶しているのに、ぼく等が平気なのは……大元の霊力の量に差があるからなのか。


「あれ? あの子は……“お姫様”はどこ?」


 ふと気がつくと、すぐ目の前にいたはずの彼女がいない。あの子も霊力を奪われて倒れているはずなのに、なぜ――――?


 その答えは、すぐに見つかった。少し離れた通路の入り口、赤いドレスの“お姫様”と……それに向かい合って立つ、もうひとつの人影。

 派手なスカジャンを着た、白髪頭の男の人。なぜだか分からないけど、すごく不吉な印象の人だ。


「オマエだな……ばれたのは」


 彼が放つひび割れたような声を聞いた時、ぼくは唐突に悟っていた。どこか遠くで起こった……そう思っていた事件。それが今、すぐ目の前にあるのだと。


 ぼく達は、とっくの昔に巻き込まれていたのだ。池袋の街を深くむしばむ、この静かなる災厄の渦に――――。

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