第87話 黒き炎の魔人

【前回までのあらすじ】


 紅の竜姫を追って、某六十階建てビルの屋上に現れた不知火ミイナ。決着を付けようとする彼女を、同じ学園の後輩である灯夜は必死で止めようとする。

 灯夜が術者だと知った彼女は、それが上司である蒼衣の差し金と思い込み激怒するのだった。


 そして竜姫は黒き炎をまとったミイナに尋常ならぬものを感じ、制止する灯夜を振り切って戦いの空へと舞い上がっていく。

 暗雲広がる池袋上空で再び激突する両者……その戦いの行方は!?



◇◇◇



「――――あ奴め、こんな力をどこに隠しておった!?」


 我が身を目がけ次々と襲い来る火球をかわしつつ、紅の竜姫が唇に浮かべたのは……彼女らしからぬ困惑の言葉だった。


「あははは! さっきまでの威勢はどうした……このトカゲ野郎!」


 不知火ミイナが炎の羽衣はごろもを振り回すたび、舞い散った火の粉が火球となって放たれていく。かつて竜姫が軽くいなして見せた、追尾火球の術……しかし、今のそれは以前とは数も速度も大幅に増していた。

 流石の竜姫も回避するのが精一杯。いや、最早それさえもおぼつかなくなってきている。


「くっ……瀕死ひんしか、少なくとも足腰立たぬ程度には痛めつけたはずだというのに!」


 追いすがる火球のひとつを手刀で弾いた彼女の額から、一筋の汗が流れ落ちた。指先に残る、熱さとも冷たさともつかない感覚……そして、魂に直に爪を立てられたかのような鋭い痛み。

 己が有する火炎耐性を越えて伝わるダメージに、竜姫の困惑はさらに深まる。


「先程までとはまるで別人ではないか! 一体、奴に何が起きたというのだ!?」



 ――――ミイナ自身、この【アライメント・シフト】と呼ばれる異様な力について多くを知っている訳ではない。解るのは、これが霊装時の極めて特殊な条件下でのみ発動するという事くらいである。


 まず、術者が並外れて強い自我を持っている事。霊装によってあやかしと一体化し、その力を自在に操るには当然強靭な精神力が必要となるが……【アライメント・シフト】を引き起こすにはそれ以上、妖側を逆に支配する程の圧倒的な精神強度を持っていなければならない。


 もっともそこまでの支配力を持つ術者は極めてまれであり、かつ強力な妖ほど自我も強固になるため、霊装時の精神バランスが人間寄りになるケースはほとんど無い。

 現役の霊装術者でさえ、霊装時には妖側の精神に引っ張られる事が多いのだから。


 だが術者の支配力が上回った状態では、妖はより多くの影響を術者側から受けることになる。特に激しい感情や強い思い込み、無意識下の衝動といった人が制御できない領域からの干渉力は大きく、それらの影響は一体化した妖を文字通り浸食していくのだ。


 ――――そうした浸食を受けた妖は、一時的にではあるがその霊的本質アライメント変化シフトさせる。一体となった術者の認識に同調し、やがては術者自身が望んだ姿や能力を与えるまでに至るのである。それはある意味、霊装術者の究極の姿と言えるかもしれない。


「フッ、伝説の竜種が聞いてあきれる。このあたしを追い詰めたのは……まぐれだったとでもッ!」


 しかし、強大な力は常に大きなリスクを伴う。そもそも霊装術者というのは妖を倒すために生み出された存在。その術者が強く抱く想いと言えば、妖への怒りや憎しみが多勢を占めるのは当然だ。

 そして、そのような負の感情によって変化した妖の力は、より“闇”に近いものとなる。霊的本質が、より邪悪な方向へねじ曲げられていくのだ。


 ミイナがまとう黒い炎……それこそが、彼女が【炎の魔人イフリート】を変質させた証。

 イフリートもまた邪悪な一面を持つとされている妖であり、文献ぶんけんによっては“悪魔”そのものと記される事もある。ミイナの憎しみはその性質を引き出し、より強力に具現化させた。そう、この世の物ならぬ黒き魔性の火炎は、彼女が心の内に抱いていた強い憎しみから生じたものなのだ。

 

「……宜しくないな、これは」


 それに対する紅の竜姫であるが、最初の対決の時と比べ明らかに押されていた。一度は倒したはずのミイナの力が、想定外に増していたせいではあるが……理由は他にもある。


「力を使う反動とやらがこれ程とは……漏れ出す霊力の量が、もはや馬鹿にならぬ!」


 『この世界では、大きな力を使う程に霊力の消耗も増えていく』……冨向フウコウ入道の忠告の意味を、彼女は今更ながら実感していた。無傷の状態で行った先程の戦闘の時より、どう考えても消耗の度合いが激しくなっているのだ。

 戦い続け、力を使う程に……竜姫の身体からは想像以上の霊力が失われていく。限りなく人間に近い姿を取る事で、消耗は抑えている筈だというのに。


 ――――冨向の掛けた術によって、己の霊力が吸い取られている事を彼女は知らない。だが知ったところで、今の状況が変えられないのは同じ……目の前の敵を倒す以外、紅の竜姫に道は無いのだから。


「チョロチョロと逃げ回りやがって……ならば、こういうのはどうだ!」


 回避に徹する竜姫に業を煮やしたか、ミイナが戦法を変える。一抱えもある巨大な火球を生み出すと、それを上空へと投げ放ったのだ。

 それは竜姫の頭上で、花火のように大きく破裂する。


「なんとっっ!」


 身をかわす隙間の無い、榴散弾のごとき炎の雨が竜姫を襲った。咄嗟とっさに鱗の盾を展開するも、高密度の炎弾全ては防ぎ切れない。

 手足に突き刺さる激痛に顔をしかめながらも、彼女は見た……目標を外れた炎弾が、そのまま眼下の街に降り注ぐ光景を。


「あれは、お主たち人間の街であろう!? お主、自分が何をしたか解っておるのか!」


 はるか下方で上がる火の手に、竜姫は思わず問いかけずにはいられなかった。術者が妖を狩るのは、あくまで人間とその世界を守る為のはず。

 多少の犠牲はやむを得ぬにしても、ミイナのやり方はあまりにも無遠慮に過ぎる。


「フッ……妖のくせに、妙なところに気を遣うんだな」


 しかし、ミイナはそれに冷笑をもって答えた。同時に放たれた火球が再び炸裂し、盾をかざした竜姫とその下の市街を容赦なく打ち据える。


「くっ、何故だ! お主たち術者は、この街とそこに住む者たちを守る為に戦っておるのではないのか!?」


「ははっ、くだらないな! 下の街が、そこに住む奴らがどうなろうが……そんなのあたしの知った事じゃあない。どうでもいいのさ、そんな事は!」


 哄笑するミイナの姿に、竜姫はうすら寒い違和感を感じていた。彼女と死闘を演じた敵手は、果たしてこのような人間であっただろうか?


 荒々しくも計算高く、勝利の為に全力を尽くす戦士――――それが、紅の竜姫が認めた炎の術者。少なくとも同族の街を、命を下らないと一笑に付すような外道とは一線を画した……誇り高い敵であったはず。


「そうさ、どうでもいい……こんなぬるま湯のような平和に浸かって、のうのうと生き長らえてきた連中の街など……焼き払ってやった方が、むしろ清々するというもの!」 


 だが、今のミイナは違う。彼女の憎しみはイフリートの邪悪な側面を膨張させ、溢れ出した闇の力はまたミイナ自身の悪意を増幅していく。 

 竜姫に向けられていたはずのそれは、今や周囲のすべてを対象とするまでに大きく膨れ上がってしまっていたのだ。


 ――――負の感情の暴走が妖の力を巻き込み、無限に増大を繰り返す……まさに負のスパイラルとでも言うべき悪意の連鎖。これこそが【アライメント・シフト】が危険視されている理由であった。

 暴走が続けば術者の精神はやがて完全に邪悪にまれ、人でも妖でもない真なる闇の存在へと変貌する。



 深遠なる闇より出でる邪悪なる者。そう、それこそが……人が“悪魔”と呼ぶ存在に他ならないのである――――。

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