第52話 竜を狩る者

【前回までのあらすじ】


 裏切りの妖たちを抹殺するため、彼らが潜伏している池袋の某六十階建てビルに乗り込んだ【がしゃ髑髏】の我捨。

 標的のひとりである富向入道を追い詰めるものの、儀式によって喚びだされた伝説の【竜種】……紅の竜姫が彼の行く手を阻む。


 形勢の不利を悟り、地上六十階から身を投げて逃走を図る我捨であったが、怒れる竜姫の執拗な追撃によって着地に失敗。大きなダメージを負ってしまう。

 我捨に止めを刺そうとする竜姫。しかしその時、何者かの放った火球が彼女を襲うのだった――――!



◇◇◇



「――――挨拶のひとつも無しに仕掛けて来るとは、ふん! ここの連中は、つくづく無礼に程がある!」


 突然の爆発が巻き起こした炎の嵐……その中心にありながら、紅の竜姫の身体には焦げ目ひとつ生じてはいなかった。

 彼女の正面に形成された、巨大な盾――――手のひら大のうろこの集合体であるそれが、吹き付ける火炎と爆風をさえぎっている。


 この鱗たちは、竜姫の文字通り身体の一部。薄く透明度の高い見た目からは信じられない程の強度を誇り、その一枚一枚が彼女の意のままに攻撃や防御、また高位の術の発動補助までを行う。


 巨大な竜の体躯たいくを人間の姿に押し込めた、今の竜姫の戦術における要。それがこの深紅の竜麟りゅうりん……攻防一体の自在端末群なのだ。


「何奴かは知らぬが、わらわの敵には違いあるまい。そういえば、冨向フウコウの奴が言っておったな……この世界には、我等【竜種】を狩る事に心血を注ぐ者たちがおると」


 ――――強大な力を持つ妖を討ち果たすという行為。それは古代人類社会において、勇者と呼ばれる者のみが成し得る偉業であった。

 特に最強最悪の魔獣と恐れられ、悪魔と同一視される事もあるドラゴンを倒した者は、まさしく神に選ばれし英雄として最大級の富と栄光を約束されたと言う。


 神の名の下に、邪悪なる竜を討ち果たせし者……【竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー】とは、数多あまたの勇者の中でも特に選ばれた者だけに与えられる称号なのだ。


 やがて時代は進み、人類が版図を拡げていく過程の中で、【竜種】はその強さと希少さ故に多くの者――――時の権力者や、宗教指導者たちによって執拗に狙われ続けた。

 ……竜を倒した者はすなわち、神に選ばれし者。民衆の支配を盤石ばんじゃくなものとする為には、単純な武力だけでなく、神の代行者としての裏付けある権威が必要だったのだろう。


 そう考えれば、現代に続く人類の繁栄の道は、たおされた【竜種】たちの血で舗装されていると言っても過言ではない。竜退治の伝説は、結果として人類史に大きな影響を及ぼしているのだ。

 もっとも、その為に滅ぼされた竜たちの側にしてみれば、全くたまったものではないのだが……。


「どうであれ、その様なやからに狩られてやる義理は無い。見せしめにひとつ、返り討ちにしてくれようぞ」


 荒れ狂っていた炎と煙が晴れ、紅の竜姫はようやく新たな敵の姿を視界に捉える。それは帯状の炎を羽衣はごろもの如く身にまとった、まだ若い女。

 己の攻撃が容易く防がれたのを見ても、薄ら笑いの表情を崩すどころか、更にその口角を吊り上げる様子は……手強い獲物を前に舌なめずりする狩人を思わせた。


「げっ、無傷なのかよ……」


 不意に真下から聞こえたつぶやきに、竜姫は思い出したように首を巡らせる。

 ……我捨がしゃだ。先程の落下によるダメージで未だ身動きできない彼は、傷ひとつ無い竜姫の姿にひどく落胆したようである。


「ふむ、貴様はこの手で仕留めようと思っておったが……まあ、ここで勘弁してやろう。無様に這いつくばる姿を拝んで、多少溜飲りゅういんは下がったからの」


 竜姫の思いがけない言葉に、我捨は一瞬安堵あんどしかけ……次の瞬間、烈火のように激怒した。


「何だとテメエ! この俺に、情けをかけやがるってのかッ!!」


「勘違いするでない。ただ、手間を省くだけぞ。貴様の止めは……ほれ」


 そう言って、竜姫は上空を指し示す。その指の先には――――先程の倍はあろうかという火球を頭上に構えた羽衣の女の姿があった。


「あ奴がきちんと刺してくれようぞ。心配するでない……ギリギリまで引き付けてからかわしてやるからの」


「おいちょっと待て! テメエは俺の――――」


 我捨が言い終わるのを待たず、直径五メートルはあろうかという火球が落下する。竜姫がそれを言葉通り、紙一重で回避すると……その灼熱の塊はまっすぐ我捨の頭上に降り注いだ。

 大音響と共にまき散らされた火焔は公園広場全体を走り抜け、周囲一帯を炎の地獄へと変える。


「ふん……日頃の行いが悪い者は、到底ろくな末路を迎えぬという事よ」


 空中で炸裂した先程と違い、今回の被害は甚大だ。広場の周りの木々は残らず燃え上がり、黒々とした煙を勢い良く吐き出している。我捨の居た石造りの噴水池など、最早見る影もない。


「さて、待たせたのう。これでようやくそちらの相手ができるというものよ」


 炎上する広場を背に、紅の竜姫はゆっくりと高度を上げる。その先には、腕組みをして悠々と待つ羽衣の女――――礼装形態の不知火ミイナの姿があった。


「よう。そっちの用は片付いたみたいだな」


「お陰様でのう。しかし、愚かな事をしたものよ……あの男と二人掛かりならば、わらわに勝てる見込みも万に一つ位はあったろうに」


 手を伸ばせば届くような間合いで、互いに睨み合うふたり。竜姫の身体からは相変わらず恐ろしい程の妖気が噴き出しているが、ミイナはそれにひるむ素振りも見せない。

 それどころか、彼女は今日見せた内でも極上の笑顔を……まさに上機嫌と言わんばかりの笑みを浮かべているではないか。


「フッ、口ばかりでかい妖は散々見て来たが……お前には、どうやら口に見合う程度の実力はあるらしい」


 ミイナとて、目の前の相手が尋常ならざる存在である事は理解していた。名は知らずとも、角や羽根、尻尾に鱗といった特徴と、何よりその身から溢れ出す巨大すぎる妖気から……敵が伝説の【竜種】に近しい妖であると目星を付けていたのだ。


「それが解っておって、何故わざわざ死に急ぐ? お主ら人間の流儀は多勢に無勢、徒党を組んでの袋叩きであろう? 我が祖先を滅ぼした時のように……幾百、幾千と兵を集めて来たらどうだ?」


 嘲笑ちょうしょう、そして挑発。さえぎる物ひとつ無い空中にありながら、見えざる圧力がふたりの間で高まっていく。大気が軋むかのような重苦しい空気の中で、言葉の刃がはげしくミイナを打つ。


「安心しろ、あたしは誰の助けも借りるつもりは無い……一人で狩ってこそ、相応の旨味が得られるというものよ」


 だが、敵が強ければ強い程……ミイナにとっては喜ばしい事であった。強大な妖を倒し、己の力を認めさせる――――それが今の彼女の望みであり、生きる理由の全てだったのだから。


「その意気や良し、と言いたいが……果たして、主にそれが叶うかのう?」


「やって……やるさ。それがあたしの――――この不知火ミイナの流儀なんでな!」


 ミイナが、腕組みを解いた。それと同時に、彼女の纏う炎が一段と激しさを増す。


「よかろう。では、思い知らせてやるとしようか……【竜種】に挑んで生き延びる者など、万に一人も居らぬという事実を!」


 噴き上がる妖気に乗せて、無数の鱗が竜姫の周囲を旋回する。それは敵のあらゆる動きに即座に反応し、防御と反撃を同時に行う鉄壁の陣だ。


「そう来るか。ならば……」


 鱗の挙動を確認すると、ミイナは右のてのひらを頭上に掲げ、指を一本ずつ握り込んで拳を作る。更に上体を後ろに引き、腰を落として半身へと構えた。


 ――――素人目にも分かる、それは右正拳突きストレートの構え。伝説の妖を前に、彼女はまず拳で挑もうというのか。


「……ほほう、これは面白い!」


 竜姫が、牙を剝き出しにして笑った。そして拳を固め、ミイナと寸分違わず同じ構えを取る。真正面からの力勝負……それこそ、彼女の望むところだ。


「それじゃあ、鳴らすとしようか。あたしとお前、一対一の……闘いのゴングを!」


 ミイナの、高らかな宣言。それが合図となった。満身の力を込めて放たれた拳と拳が、黒煙渦巻く池袋の上空で激突する。

 鈍い衝撃音と共に、大気がずん、と震えた。



 ――――伝説の【竜種】と、【炎の魔人イフリート】の霊装術者。恐るべき強者同士の死闘が、今ここに幕を開けたのである…………!

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