第53話 囚われの灯夜

【前回までのあらすじ】


 色々あってゴールデンウイークにダブルブッキングを決行し、池袋と渋谷をせわしなく行き来していた主人公、月代灯夜。 

 午後からの自由行動中、不思議な女の子……通称“お姫様”と仲良くなり、某六十階建てビル最上階の展望台にやって来た彼等の前で、突如異変が起こります。


 何者かの術によって展望台の中の人々は次々と霊力を奪われて倒れ、ビルそのものも見えない壁によって封鎖されてしまいました。

 そして妖の男から灯夜たちを守る為、“お姫様”は伝説の妖【竜種】としての姿と力を解き放ちます。


 紅の竜姫へと変貌した“お姫様”。引き止める灯夜の叫びもむなしく、彼女は逃亡する妖の男を追ってビルの外へと消えていったのでした……。



◇◇◇



 ……穴が空いている。目の前の展望台の壁と、その向こうの見えざる壁に。“お姫様”――――紅の竜姫の強力な術によって空いた、虚空への穴。


 そのぽっかりと空いた空間を眺めていると、ぼくの胸の中にも同じような穴が空いてしまったように感じてしまう。


 この展望台に来て、まだ三十分も経ってはいない。けれどその間に、あまりにも多くの事が変わりすぎた。

 別れたはずのちかちゃん達との接近遭遇に始まり、突然霊力を奪われて倒れる人々と、現れたあやかしの男。“お姫様”を襲おうとする彼は、それを止めようとしたぼくに掴みかかって……


 ああ、“お姫様”! 彼女はぼくを救うために、隠していた妖の力を解放したのだ! 

 その正体を明かしてしまったら、もうぼく達人間とは一緒にいられない……彼女はそれでも、ぼくを助ける事を選んだ。そして――――


「“友達にはなれない”って……そんな、そんな事ないのに!」


 ビルの外へと飛び出していく一瞬、ぼくは確かに見た。彼女の瞳から……一粒の涙がこぼれ落ちるのを。


 そうだ、ぼく達に近づいてきたのも、臣下にするだの何だの言ってたのも、どうしようもないさびしさからだったんだ。

 あの妖の男は言っていた……彼女は“び出された”のだと。おそらくは昨晩渋谷で行われた召喚術、あれで異なる世界から連れて来られたんだろう。


 誰一人見知った者のいない世界に、突然放り出されたのだ。寂しくないわけがない。思えば、彼女が子供の姿で現れたのも……仲良く過ごしているぼく達の輪の中に入りたかったからじゃないのか?

 ――――友達に、なりたかったからじゃないのか?


「彼女は知らないんだ……人間と妖だって、友達になれるって事を」


 確かに、人間を敵視する妖は多い。逆に妖を憎んでいる人間だっているだろう。けれど、それが全てではない。しるふや雷華さん、ノイちゃんのように、人と争う事なく共存している妖だっているのだから。それさえ分かってもらえれば――――


「……追いかけなきゃ。あの子は一人にしちゃいけない。一人じゃないって、教えてあげなくちゃ!」


 幸い、今見えない壁には穴が空いている。しるふを呼んで魔法少女になれば、この閉ざされたビルの外へ出る事ができるのだ。

 そうすれば外にいる愛音ちゃん達とも合流できるし、妖対策分室のサポートだって受けられるはず。


 みんなの力を借りれば、このビルに閉じ込められた人たちを救い出すことも、ひとりぼっちの竜姫を助けることだって……


「……くく、“友達”だと? 何とも子供じみた、愚かな物言いよな!」


 静まり返ったフロアに、突然響いた声。咄嗟とっさに振り返ったぼくが見たのは、こちらに向かって飛んでくる……ひとかたまりの何か、白い液体のような物!


「うわっ!」


 思ったより重みのある液体を浴せかけられ、ぼくは体ごと近くの柱に打ち付けられた。痛みはそれほどでもないけど、泡立つ白い液体は白煙を上げてみるみるうちに固まり、逃れようとしてもびくともしない。

 ちょうど柱にはりつけになるような形で、ぼくは身動きを封じられてしまったのだ。


何処どこの何奴かは知らぬが、この塔に霊力を吸われてここまで平然としておるとはな……」


 口元に残った泡を袖でぬぐいながら近づいてくるのは、袈裟けさをまとったお坊さん姿の妖……確か、冨向ふうこうと呼ばれていたっけ。

 彼は固まった泡で柱に縛られたぼくを見て、何か考え込むような、に落ちないといった表情になる。


「だが、あっさり囚われる辺り他愛ないものよ。術者であれば、ここまで迂闊うかつでも愚鈍ぐどんでもあるまい。栲猪タクシシの言うておった、ただの個人差というものかのう」


 うう、迂闊で愚鈍か……見習いの身とはいえ、日々真面目に術者の修行に励んでいるぼくには耳の痛い指摘である。

 だけどこの際そんなことはどうでもいい。彼には、ぜひとも問いただしたい事があるのだ。


「冨向……さん、ですよね? あなたも、あの“お姫様”の臣下なんですよね?」


 冨向とは、“お姫様”の話の中に度々現れた名前。だとしたら、この世界で右も左もわからない彼女にとって、数少ない味方であるはず。


「臣下? くく、そういう事になっておる様だが……それがどうした?」


 どことなく、馬鹿にするような口調。人を見かけで判断するのはどうかと思うけど……この冨向さん、どうも良い人――――いや、良い妖には見えない。


 時代劇に出てくる悪者みたいというか、その表情や仕草の節々にどうにも悪意が感じられてならないのだ。加えて元々人相が良くないお陰で、お坊さんの格好をしていても悪僧とか怪僧とかいう悪い印象を受けてしまう。


「な、なら……どうしてこんな事をするんです! ビルにいる人たちから霊力を奪って、視えない壁を作って……“お姫様”がそんな事、させるとは思えない!」


 人とは決して相容れないと言っていた“お姫様”。しかし、彼女は人間をそこまで憎んでいるようには見えなかった。人前で踊ったり、ぼく達と仲良くしたりしたのも、心のどこかで人に親しみを感じていたからだと思う。

 だから少なくとも、自分の配下にこんな術を……不特定多数から無差別に霊力を奪うなんて術を使うことを、許すとは思えないのだ。


「これがもし“お姫様”のためだとしても……こんなやり方、彼女は望んでいないはずです! “お姫様”のことを想うなら、もっと別の方法だってあるはずでしょう!?」


 彼は……冨向さんはおそらく“お姫様”とは違い、明らかに人間を憎んでいる。人の犠牲をかえりみない術を平然と使うのもそのせいだ。

 けれど、それが彼女への忠義から出た行動であるなら……彼女を守るために必要だと思ってやった事ならば、ぼくは頭ごなしに否定することはできない。


 “お姫様”の助けになりたいのは、ぼくだって同じなのだ。この事を他のみんなや蒼衣お姉ちゃんに話せば、きっと力になってくれるだろう。

 そうすれば大勢の人を犠牲にするような方法ではなく、もっと平和的な解決だって望めるはず――――


「く、くく…………儂の術が、あの無知で蒙昧もうまい御転婆おてんばの為だと? 呵々かかッ、脳天気にも程があるわ!」


 ――――しかし、彼の高らかな哄笑こうしょうは、ぼくの描いた理想を……いや、夢想を一瞬でかき消していた。


「そもそも、あ奴を喚んだのは儂ぞ。力ばかり有り余るあれを大人しくさせる為、えて仕えた振りをしていたに過ぎぬ。どうでも良いとまでは言わぬが、所詮しょせん奴は道具よ。儂の大いなる秘術の完成には、強い妖がどうしても必要なのでな!」


 ……なんて事だ。彼は、冨向は“お姫様”の味方じゃなかった。それどころか、自分勝手な目的のために彼女を無理やり召喚した張本人だったのだ!

 このビルの中でやった事も彼女を守るためではなく、すべては自分自身のため。臣下として従う振りをして、その裏で陰謀の糸を巡らせていたというのか……


「そ、そんな……それじゃあ彼女は、“お姫様”は――――」


「そう、儂の手の上で踊っておるだけに過ぎん。とは言え、あ奴の御転婆には困ったものよ。時が来るまで事を静かに運ぶという目論見もくろみも、これで台無しだからのう……」


 冨向が壁の大穴に手をかざすと、その向こうで口を空けていた不可視の壁の裂け目がみるみる塞がっていく。


「だが、この障壁結界は簡単には破れぬ。外では栲猪が時間を稼いでおるし……あの姫君が派手に暴れてくれるのは、むしろ好都合かも知れぬな」


 くっくっく、と低くわらう冨向。どうやら今の状況は彼にとっておおむね好ましい流れのようだ。それはすなわち、ぼく達人間と……“お姫様”にとって、ロクな事にはならないという事である。


「……あ、あなたの目的は何なんです? こんな都会の真ん中で召喚術とか、障壁とか……あの“お姫様”を使って、一体何を企んでいるんですか!」


「――――知りたいか? 知りたいか小娘!」


 ぼくがダメもとで放った質問に、彼は凄い勢いで食いついてきた。脂ぎった顔が目の前に突き付けられ、爛々らんらんと輝く双眸そうぼうが直近でぼくの瞳を射抜く。

 ……その奥に狂気じみた影が揺らいだように見えたのは、はたして気のせいだろうか?


「いいだろう、冥途の土産に教えてやろう。この妖術師、冨向入道様の遠大なる企ての全てをな!」



 そして彼は、醜悪なる野望と……それが生まれるまでの、おぞましい経緯を語り始めたのだ――――。

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