第54話 動き出す野望

【前回までのあらすじ】


 妖大将に反逆し、池袋の某六十階建て高層ビルに潜伏した富向入道たち……裏切りの妖。

 渋谷で行った召喚術によって呼び出した異界の妖、“姫君”の奔放なふるまいに悩まされながらも、彼らは更なる儀式の準備を進めていた。


 栲猪が追手の攪乱に向かった隙に我捨の侵入を許すも、伝説の妖【竜種】としての姿と力を解き放った“姫君”――――紅の竜姫がそれを阻む。

 竜姫が逃走する我捨を追ってビルから飛び出した後、冨向は残された灯夜の前で、その恐るべき野望を語り始めるのだった――――!



◇◇◇



 ――――蟹坊主、というあやかしがいる。


 僧に化けて無人の寺に潜み、訪れる者に問答を仕掛けては殺す……いわゆる化け蟹だ。甲斐国万力村の長源寺に伝わる逸話が有名だが、同様の言い伝えは様々な地方に残されている。


 冨向フウコウ入道は、そうした化け蟹の一匹であった。ちなみに冨向というのは彼の生誕の地の古地名に由来しており、僧の姿に化けた際に名乗った仮の名前をそのまま通り名としたものだ。

 その彼が、東の妖大将の下にくだったのはもう二百年近く前の話になる。冨向は大将によって、野良の妖としては破格の待遇で迎えられたのだった。


 ……妖の間でいにしえより伝えられてきた魔術や呪術。その管理・保存を担う妖には高い知性が必須となる。しかし妖全体で見れば人並みの知性を持つ者はまれであり、読み書きどころか言葉すら解さぬ者も多かった。

 その中で……問答を好み、僧に化ける都合で読み書きも達者な冨向は打って付けの人材だったのである。


 妖大将の宝物殿の一角にある魔術書庫の管理を任された彼は、いつしか自身も魔術の道に傾倒けいとうしていく事になる。

 自分を取り立ててくれた妖大将の恩に報いる為、様々な文献ぶんけんを漁り……果ては舶来の魔導書の解読と、古来の術式との融合にまで手を染めていった。


 複数の召門石を用いた大規模召喚の術式も、その過程で生み出されたものだ。更に触媒となる物を用意する事で、出現する妖をある程度確定させる事を可能にした彼は、妖大将の御前で直々の賞賛を得るまでに至ったのである。


「冨向よ、大義である。これからも励むがよい」


 ……わずか一言のそれは形通りの賛辞さんじと取れなくもないが、一生を掛けてその一言すら得られぬ妖がほとんどである。冨向は喜びに打ち震え、大将への永遠の忠誠を改めて誓った。


 その、矢先に起こったのが――――先の“大夜行”。前世紀末、人間界を裏から震撼しんかんさせた一連の妖事件である。


 全世界規模で巻き起こった、妖の一斉蜂起ほうき。それまで水面下で続いていた人と妖の小競り合いとはスケールの違う、まさにいくさとも呼べる大乱。

 もしこの事件がひと月長く続いていたら、人類は妖の存在を秘匿かくしきれなくなっていただろう。そんな一大事において……しかし冨向は一顧いっこだにされる事はなかった。編み出した術式のただひとつでさえ、活用される機会は無かったのだ。


「何故だ! 御大将は何故、儂を使って下さらぬ! 今まで術を極めてきたのは、このような大事の時の為ではないか!」


 何度申し立てようとも、妖大将の使いがもたらす答えは同じ。「貴殿は己の任に努めるべし。夜行に征く事、まかり成らぬ」である。


 ……やがて、夜行は終わりを告げる。妖側の大敗という形でだ。名のある妖の多くが討たれ、存続の危機に晒された一族もまた枚挙まいきょいとまがない。

 特に土蜘蛛一族はその半数以上をこの戦いで失い、当面再起の目処めどが立たなくなるまでに追い込まれている。


 そして彼等を率いていた妖大将も、副将であったみずちに後を任せて姿を隠した……敗残の妖たちに、ねぎらいの言葉ひとつ掛けることなく。


 生き延びた妖たちの寄り合い所帯となった妖大将の居城において、冨向の立場は微妙なものになっていた。先の夜行に参加しなかった彼は……「臆病者」、「役立たず」などと陰口を叩かれ、あからさまな侮蔑ぶべつの視線を浴びせられるようになる。


 自分はただ、上の命に従っただけだと言うのに……しかし、それを証明してくれる妖大将はもう居ない。代理となった蛟が魔術・呪術の類いを好まぬという事情もあり、術の扱いに長けた冨向はますます冷遇されていった。


「おのれ……儂は妖大将さえ認めた妖術師・冨向入道なるぞ! 術の何たるかも解らぬ愚か者共に、その深淵を拝ませてくれるわ!」


 彼はそうして、より深く魔術の道を探究していく事になる……妖大将の為ではなく、今度は己自身の為に。




「――――君が冨向だね? 噂は聞いているよ。何でも、魔術の知識においてこの居城に並ぶ者はいないとか」


 冨向がその男に出会ったのは、ある研究が暗礁あんしょうに乗り上げていた時の事だった。


「少し、調べさせて貰ったよ。君が造った呪具……確か“うつわ”とか言ったか。あれは素晴らしい。同期した妖の妖力をそれと知られぬように吸い上げるばかりか、吸った妖力をそのまま他の妖に移すことまで出来るとは。こんな穴蔵の底で作られたとは思えない、大した逸品いっぴんだよ」


 帽子を目深まぶかに被った、体格の良い男。何でも妖大将の知己という触れ込みであり、それ故人間の身でありながらこの居城への立ち入りを許されているという。

 地の底にある妖の巣窟そうくつに人間が訪れる事自体異様なことだったが、それ以上に冨向を驚かせたのは……彼が密かに進めていた研究の内容を、男がずばり言い当てた事。


「唯一の難点は、余程膨大な妖力を持った相手に使わないと割に合わない事だね。同期も移し替えも一度しか行えないし、材料が希少すぎて同じ呪具はもう造れない」


 更に男は、その呪具の欠陥をも正確に把握していたのだ。


「つまり、君の呪具はそれこそ大妖怪クラスの寝首をく為に造られた……そう取られても仕方のない代物という訳だ」


「き、貴様! 何故そこまで……この事を蛟に伝えて、儂をおとしめようという魂胆か!?」


「ははっ、そんな野暮なことはしないさ。むしろ、私は君の力になりたいと思っている。困っているんだろう? 呪具を造ったは良いものの……それを誰に使ったものかと」


 まさにそれこそがこの研究最大の難関であり、冨向の悩みの種であった。当然のことではあるが、この呪具を使うという事は他の妖を生贄にするという事。

 しかもその対象が大妖怪……蛟や妖大将をも含むともなれば、翻意ほんいを疑われても仕方がない。

 それ故、冨向はこの研究が外に漏れぬよう細心の注意を払ってきたのだ。


「なにせ相手が大妖怪ともなれば、失敗は命に関わるからねえ。仮に成功したとしても、君は裏切り者として追われることになるだろう。これでは躊躇ちゅうちょするのも仕方がない」


「ぐぐ……なら、どうしろと言うのだ! 貴様に何か、妙案があるとでも!?」


 飄々ひょうひょうと語る男に苛立つ冨向。“猫に鈴を付ける”の寓話ぐうわのごとく、このままでは折角の呪具も宝の持ち腐れ。それは彼自身が一番良く理解していた。


「あるじゃないか。他ならぬ君が編み出した、大規模召喚の術。あれでび出した妖ならば、気兼ねなく術の生贄にできるだろう?」


「それは、儂も考えた……だが、駄目だ! あれはただでかい【門】を開けるだけの術。大妖怪を確実に喚ぶには、触媒が不可欠なのだ。そして――――」


「その触媒があるのは、宝物殿の中でも警戒厳重な最奥部。君が立ち入る事を許されていない場所という訳だね」


 最奥部には妖大将の名の下に集められた品の中でも、特に貴重な宝が置かれている。そこの警備を務めるのは……土蜘蛛七将の栲猪タクシシ

 彼は土蜘蛛一族の中でも特に堅物で知られる妖である。賄賂わいろや舌先三寸の誤魔化しが通じるような相手ではない。


「まあ、方法は無いでもないよ。もっとも、貴重な宝物を盗み出すんだ。君にも相応の覚悟はして貰う事になるが……どうかな、乗ってみるかい?」


 思わぬ所からもたらされた、思わぬ好機。如何にも胡散うさん臭い男の口車に、冨向は乗るべきか悩んだが……結局のところ、彼に選択の余地などなかった。

 この話を蹴れば今まで通り、地の底の穴蔵でうだつの上がらない日々を生き続けるしかない。彼が報われる機会は、おそらく今後一生ありはしないだろう。


「……ひとつだけ問う。儂に手を貸して、貴様に一体何の得があるのだ? これが罠でないと言うのなら、何らかの利を見込んでの事であろう?」


 問いを受けた男は、帽子のつばを指先でくい、と上げた。その影から覗く鋭い視線が、冨向の顔を初めて正面から見据える。


「私はね、変化を望んでいるんだよ……この世界のことわりを揺るがすような、大きなうねりを。君がそれをもたらしてくれるなら、助力するには充分な理由さ」


 薄く笑みを浮かべた男のかお。到底信の置けない相手の言葉ではあったが、それ故か。男が紛れもなく己の利の為に動いている事を冨向は確信した。

 ――――それが今、冨向自身の利害と確かに一致している事も。


「いいだろう、力を貸せ! お主の望む変化とやら、この冨向入道が身を持って成し遂げて見せようぞ!」


 大妖怪の力を奪い、自らがそれに成り代わる。それは彼自身が己の才に応じた力と地位を得る為の乾坤一擲けんこんいってきの策であり、同時に今まで自分を見下してきた者達への復讐でもあるのだ。



 ……深き地の奥底で結ばれた、ひとつの盟約。それこそが、多くの人と妖を巻き込んだ災厄の始まり。冨向入道の野望は、こうして動き始めたのだった――――。

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