第51話 我捨、死のダイブ

【前回までのあらすじ】


 裏切りの妖たちを抹殺するため、彼らが潜伏している池袋の某六十階建てビルに乗り込んだ【がしゃ髑髏】の我捨。

 標的のひとりである富向入道を追い詰めるものの、儀式によって喚びだされた伝説の【竜種】……紅の竜姫が彼の行く手を阻む。


 形勢の不利を悟り、地上六十階から身を投げるという危険を冒してまで逃走を図る我捨であったが、怒れる竜姫の執拗な追撃は続く。

 絶体絶命の我捨。妖の男は生き延びる事ができるか……!



◇◇◇



 ――――不味い事に、なった。


「クソ……あのヤロウ、律儀りちぎに追ってきやがって!」


 ビルから飛び降りて真っ逆さまに落ちてるってだけでも充分ヤベえってのに、そんなイカレた手段を取ってまでサヨナラした筈の相手が、凄まじい勢いでぐんぐんこちらに近づいて来やがるのだ。こいつは笑えねえ。


 コウモリのような羽根を羽ばたかせて迫り来るのは、紅の衣装に身を包んだ金髪碧眼へきがんの娘。しかし、美しい見た目とは裏腹に……そいつは俺が今まで出会ったあやかしの中でも、最大級と言っていい程のバケモノなのだ。


 【竜種】――――奴は自分が、俗に言うところのドラゴンの血族だと言った。ドラゴンなんてものが今や伝説の中だけの存在であり、この世にはもう一匹も残っちゃいない事は俺だって知っている。


 だが、奴の身体から放たれる妖力……まだほとんど人間に近い今の姿でさえ、それは伝説の化け物にふさわしいバカでかさだ。血族云々はともかく、その実力は本物並みにあると見るべきだろう。

 もし真の姿を現せば、街のひとつくらい軽々と消し飛ばす力はある筈だ――――そう、伝説の通りに。


 憑依によって並みの妖を超える力を持っている俺でも、アレとやり合う気にはちょっとなれねえ。妖としての単純な強さなら、奴はそれこそくだんの妖大将にだって匹敵するんじゃねえのか?


「一日に二度もノーロープバンジーさせられるだけでもクソだってのに、あんなバケモノに粘着されるとは……今日は厄日かオイ?」


 最悪な事に、俺が飛び降りたビルは地上六十階……周囲に同じ高さの建物は存在しない。もう少し高度が下がれば、近くのビルに骨針を伸ばして乗り移る事もできるんだが……


「そこまで待っちゃあ、貰えねェか」


 その瞳に怒りの炎を宿し、まっすぐ突っ込んでくる竜の娘。あの臣下だとか言うガキをいじめてやったのが頭にきたのか、どうしても自らの手で俺に止めを刺したいらしい。

 さっきの手から放つビームみてえな術を使わねえのは、余裕の現れか? 射程外からアレを撃たれたら流石に打つ手がねえが……そうじゃなけりゃあ、まだやり様はある。


「お呼びじゃねェぞ、この化け物が――――!!」


 真上から迫る奴に向け、俺は全力で骨針を放つ。数は八本、一度に放てる最大数だ。これ以上になると、一度に使うアバラの数が多すぎて再生が追いつかない。


「ふん、無駄な足搔あがきを!」


 空中で身動きできない俺の、精一杯の抵抗。だが案の定……竜の娘は止まらない。放たれた骨針はそのことごとくが避けられ、逸らされて……運良く身体に触れる事が叶っても、次の瞬間にはバラバラに折り砕かれてしまう。


「これで終いぞ、下郎!」


 ついに眼前まで迫り、手刀を振りかぶる竜の娘。絶体絶命の刹那――――だが、それこそが俺の待ち望んだ瞬間ときだ。

 左肩口から一息で骨腕を生やし、振り上げられた奴の右腕をひっつかむ。全力で骨針を放った直後なので、生やせる腕は一本だけだが……それで充分。


「っ、貴様!」


 初見の術に虚を突かれ、竜の娘が動きを止める。一瞬だが致命的な隙だ。しかし、残念ながら今の俺には奴を一撃で仕留めるすべが無い。串刺しにしてみたところで、この化け物がアッサリ死んでくれるとは思えねえ。

 なら、この隙はもっと有効に活用するべきだな。


「……折角来てくれて悪ぃが、ここでオサラバさせて貰うぜッ!」


 骨腕を軸に身体をくるりと一回転させると、俺は両足で思い切り奴を蹴飛ばした。同時に掴んでいた手を放すと、俺たちはお互い逆方向に空中を吹っ飛んでいく。

 俺が飛ばされたのは、ようやく視界に入った隣のビルの方向……当然、こうなるように角度は計算済みだ。


 ――――最初に退くと決めた時点で、そこから先の選択肢は逃げの一手以外ない。そもそもこの俺が逃げなきゃならねえ時点で、状況に好転の目なんてねえからだ。

 撤退って言うのは、まだ余力を残してる時にやるから意味がある。万策尽きてからでは……もう遅え。


「あとはこのビルに潜り込んで、適当にずらかるって寸法だぜ……」


 眼前に広がるビルの壁面。俺はもう一本骨腕を生やして激突に備えた。奴自身が上手い事足場になってくれたお陰で、ようやくこの空中散歩を終わらせられそうだ。

 とにかく向こうの土俵から降りねえ事には、トンズラもままならねえ――――


「――――言うたぞ。貴様は逃がさぬ、と」


 背後からの声と、ゾっとするような悪寒が背骨を駆け昇るのは同時だった。振り返った俺の眼前をはしる……鮮血のように赤い靴の底!

 一瞬のタイムラグもなく、凄まじい蹴撃が俺を打つ。馬鹿な、奴を蹴り飛ばしてからまだ数秒と経ってはいない。このほんの僅かの間に体勢を立て直し、何事もなかったように追いついて来たって言うのか!?


「うぐあッ!!」


 そして、その一撃で俺の体は本来のコースをれた。ビルに飛び込む筈が、その角に弾かれあらぬ方向へ弾き飛ばされる。こうなってはもう、無事に着地するどころではない。

 俺はそのままの勢いで、ビルの足元……木々に囲まれた公園へと墜落していく。

  

 ばきばきと太い枝をへし折りながら、俺は遂に地面に到達した。反動で数回バウンドした後、何やら浅い池のような場所で激しい水柱を上げる。


「――――――――!!」


 咄嗟とっさに骨腕でガードしたものの、ダメージは大きい。全身の骨に亀裂が入り、にじみ出たどす黒い血が水面に浮き上がってくる。人間なら間違いなく即死……いや、妖であってもこれでは無事じゃいられねえ。


「こいつぁ……クソ洒落にならねェ、ぞ……」


 こうなっちゃあ、しばらくはマトモに動けねえ。【がしゃ髑髏どくろ】の俺は骨だけなら即座に再生できるが、元々人間のモノであるこの身体には骨以外の部分も多い。

 全力で回復に専念しても……起き上がれるまで最低数分は掛かるだろう。


「ふ、無様よのう。このわらわから逃げおおせられると……本気で思うたか?」


 当然ながら、竜の娘がそんな好機を見逃す筈はねえ。動けない俺に向けられたてのひらに、先程壁をブチ抜いたのと同じ深紅の輝きが集まっていく。

 このまま空から狙い撃つつもりか。さっき一泡吹かせてやった所為せいで、今度は迂闊うかつに近づいて来ねえ。


 流石に、万事休すか。どうしようもなく娘を見上げるだけの俺だが、その時ふと……妙な事に気付いた。

 上空にいる竜の娘の更に上――――そこで何か、人型のモノが燃えている。そいつがまるで竜の娘の真似をするように片手を突き出すと、その前に突如として巨大な火の玉が現れたではないか。


「……おい、待て! 後ろのアレ・・は何だ?」


「ふん、この期に及んでまだ策をろうするつもりか。乗らぬぞ、その手には……?」


 竜の娘が背後の気配に振り向いた時、飛来した火球は既に奴の目の前だった。それは轟音と共に炸裂し、娘の姿は吹き荒れる爆炎の嵐の向こうへと消える。


 爆風と飛び散った火の粉に荒々しく顔を叩かれ、髪の焦げる嫌な匂いを嗅ぎながら、俺は……この予期しねえ展開に困惑するばかりだった――――。

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