第43話 喚び出されし者
渋谷で召喚術を行い、姿をくらませた裏切りの妖たち。彼らが池袋に潜伏している事を突き止めた刺客、我捨と阿邪尓那媛はそれぞれ目標を追い詰める。
栲猪が仕掛けた召門石によって池袋の街が大混乱に陥る中、我捨は某六十階建て高層ビルの屋上で富向入道と対峙していた。
自分の相手が古強者と名高い栲猪ではなかった事に落胆する我捨であったが、小物と侮っていた富向に思わぬ反撃を受け、屋上から突き落とされてしまう。
絶体絶命の我捨。妖の男の命運は如何に……?
◇◇◇
「くそッ! 俺とした事がッ!!」
見えない壁に体ごと弾き飛ばされ、視界の中でくるくると入れ替わる青空とビル群を眺めながら……俺は自分の
土蜘蛛八将(一匹減ったので、今は七将らしいが)の
俺はあの坊主が何をしてこようと、
だが、奴はその戦力差を知った上でも……逃げずに状況をひっくり返して見せた。どうにもならない力の差を、術策をもって
おそらく奴は俺の見立て以上に、自分の“弱さ”を自覚していたのだろう。
「自分で倒せないなら、六十階から突き落とせばいい……か。雑魚と思って
弾き飛ばされた勢いによる上昇はすでに止まり、俺の身体は落下に転じていた。生憎【がしゃ
……という訳で、反省会はこの辺りでお開きだ。今俺がするべきは、過ぎた事をグダグダと後悔することじゃあない。そんな状況に追い込んでくれたあのクソ坊主に、キッチリ落とし前をつける事だからな。
「そらよッ!」
ビルが視界に入ったところで、俺は腹から骨針を伸ばす。落下速度より素早く放たれたその先端は、屋上のすぐ下のでかい窓をぶち抜き、その奥の壁に深々と食い込んだ。
後は骨針を引き戻す要領で、体ごとビルに戻れるはず……そう思ったんだが、どうやらそうすんなりとは行かねえらしい。
屋上全体を包んだ半球状の見えない壁、俺を弾き飛ばしたそれが、まるでビル全体を上から覆うようにぐんぐん伸びてくるじゃねえか!
「チッ、間に合えよ……!」
目には見えないが、圧倒的な妖力を放って迫る壁。腹から生えた骨針を全力で縮めて、俺は何とかその壁を
「こいつはただの壁じゃねェな。ビル全体を包む規模の障壁なんて……いくら準備したところで、あの坊主一匹に
不意に体を襲う脱力感と耳鳴りに顔をしかめながらも、俺は冨向の術の想定外の威力に舌を巻いていた。範囲の広さもそうだが、この壁は俺の骨針でも貫けない程の強度を兼ね備えている。
奴がいかに達人であっても、ここまで強力な術を使えるはずがない。もしそんな事が普通に出来るのなら……富向入道の名は、栲猪にも劣らぬ実力者として知れ渡っていなければおかしいのだ。
だが俺の素朴な疑問は、飛び込んだフロアの惨状を見ておおむね氷解した。そこには大量の人間たち――――ゴールデンウイークを使って、この展望台で遊び惚けていた観光客だろう――――が、折り重なって倒れていたのだ。
「これも奴の仕業か? だとしたら……野郎、上手い事やりやがったな!」
でかい術の発動には、相応に大量の霊力が必要になる。達人がどれだけ準備に時間をかけたところで、それは変わらない。
冨向が生み出した障壁、それに必要な霊力は奴一匹がひねり出せる量を軽く超えていた……つまり、奴は足りない分の霊力を、どこか他から調達したことになる。
「ビルの中にいた人間共を、電池代わりにしやがった……あの坊主、見た目以上の悪党じゃあーねぇか!」
冨向は、ビル内の人間の霊力を利用してこの障壁の術を発動させたのだ。おそらくは発動時に意識を失うギリギリまで霊力を奪い……残った分は術を維持する為、死ぬまでじわじわと吸い続けるつもりなのだろう。
当然、普通の人間が持つ霊力の量なんてたかが知れている。さっき窓から入った時に感じた脱力感、あれが霊力を吸われた感覚だったとすれば……奪われた量はほんの
しかしこのビルの中には今、それこそ溢れる程の人間が詰め込まれている。ひとりひとりから吸い取る量が僅かでも、それが数百を超えるとなれば話は別だ。
あの障壁のイカレた性能もこれで納得がいく。冨向の奴はこの術に、ちょっとした大妖怪並みの霊力をつぎ込んだのだろう。
奴の狙いは、最初から
「しかし、何だってこんな所で籠城なんだ? 俺たち追手はともかく、騒ぎが長引けば人間共が黙っちゃいねェだろうに……」
正直言って、俺には奴等の狙いが分からねえ。妖大将に逆らったなら、まずは逃げる事を考える筈だ。それがこんな大都会の真ん中で儀式だの籠城だの……気がふれたんじゃ無えなら何か目的があるんだろうが、それがさっぱり分からん。
「まあ、ウダウダ考えててもしょうがねーか。要は、あの野郎をぶっ殺せばいいだけの話だからな」
奴は俺を六十階下、少なくとも障壁の外へ放り出したつもりで安心しているだろうが……実際のところ、俺はほんの一階下に飛ばされただけ。すぐに屋上に戻って、今度は問答無用で野郎を始末すれば――――
そう思って、一歩踏み出した時だった……“そいつ”と目が合ったのは。
倒れ伏した人間共が転がる中、ひとり立つ小さな姿。一目見た印象で言えば、そいつはまるでおとぎ話に出てくるお姫様か何かの様だった。
周囲の連中とは住んでいる世界が違うと言わんばかりの、どこか現実感が薄い小娘。腰まである金色の髪に、シミ一つない白い肌。加えて、目に痛い程のどぎつい深紅のドレスを身に着けた……まだ十歳かそこらの子供。
しかし、常人なら気を失う程の霊力を吸われて平然としている時点で、ただのガキじゃねえのは明らかだ。【がしゃ髑髏】の持つ生命感知能力が告げている……そいつの瞳の奥に燃える命の炎は、およそ人間のサイズに収まりきらない程に馬鹿でかいという事を。
ここまでスケールの違う生命力を持った生き物を、俺は見たことがない。いるとしたらそれはクジラのような海生哺乳類か、とっくに絶滅した巨大爬虫類……恐竜の
俺の背筋が、ぞくりと震えた。思い出したのだ。昨晩、裏切り者たちがやらかした召喚術……あれだけでかい儀式をやったのなら、渋谷にはでかい妖が
しかし、実際には何も起こらなかった……となれば、儀式は失敗したと見るべきだろう。大きな術を少人数、短時間で行おうとすれば、そうなるのは当然の結果……というのが、蛟の旦那の見解だった。
俺自身、今の今までそれを疑っちゃあいなかったが……
「オマエだな……
もし召喚が成功していて、更に現れた妖が召喚者と交渉できるだけの知性を持っていたのだとしたら……そいつが人に
どうやって従えたかまでは分からねえが、こいつは間違いなく冨向たちにとっての切り札。適当に籠城した後で暴れさせ、その隙にトンズラする算段なのだろうか?
「何奴だ? なれなれしいぞ、貴様!」
赤ドレスの小娘が、怪訝そうな顔で返す。ガキのくせにやけに偉そうな物言いだ。気に入らねえ。
俺はそいつに向かって大股で歩み寄ると、ドレスの腰に巻かれた帯をつかんでひょい、と持ち上げた。
「な、何をする無礼者――――! 放せっ、放さぬかー!」
やはり……そうか。こいつの首に巻かれた年代物のチョーカーには見覚えがある。確か“封呪の
捕らえた妖を強制的に従わせる為に使われる、文字通りの呪いの道具。おそらくは冨向の奴に騙されたのだろう……一度巻いたら最後、これは自分の意志で外すことはできない。
そう。こいつは今、力を使えないのだ。正体がどんな妖であろうと、どれだけの霊力を秘めていようとも……今のこいつは、見た目通り子供の力しか出せねえって訳だ。
「あのクソ坊主の用心深さには感謝しねェとなァ……お陰で、面倒な事にならずに済みそうだ」
俺の仕事は、裏切り者共の抹殺。冨向の奴がこの小娘に何をさせるつもりだったかなんて、知った事じゃねえ。
――――邪魔者は、始末する。それで万事解決するんだからな……!
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