第49話 死闘の結末

 竜巻が空中で弾け、巻き上げられたウンディーネの姿があらわになる。今ならば、奴は湖による恩恵を受けることはない。


「四方院の名にいてッ!」


 虚空に響く詠唱を聞きつけ、巨大なウンディーネの頭部がこちらを向く。湖水で形作られた巨眼がわたしの右腕……そこに宿った雷光を捉えて大きく見開かれた。


 ――――獣身通・王虎と雷術“鳴雷”なるみかづちの合わせ技。それがウンディーネに対し現時点で最も有効な攻撃だという事はすでに証明済みである。


 これが決まればいかに“憑依”によって力を増していようと、一撃で勝敗は決するだろう。ウンディーネもそれを知っているからこそ、中枢のある頭部に“盾”を――――自らが憑依した少女を置いて、こちらに攻撃を躊躇ちゅうちょさせる手に出たのだ。


 けれど、わたしには勝算があった。奴が先刻自らの身で知った雷術の威力と、湖から切り離され宙に浮かされているという危機的な状況。そして雷をまとったわたしの右腕を見た際のひきつった表情が、その確信を与えてくれた。


 こいつは、怯えている。盾を構えてなお、それを貫かれる可能性に恐怖したのだ。と、なれば――――


 振り上げた右腕を奴の引きつった顔面に叩き付けると同時に、わたしは術を発動する。まばゆい閃光が夜闇を切り裂き、同時にウンディーネの首から上が弾け飛んだ。

 巨顔はまるで水風船のように弾け、激しく飛沫が舞い爆ぜる。先ほど攻撃した時よりも明らかに脆い……竜巻に抵抗するために霊力を使い過ぎたのだろう。

 

 だが、原因は他にもある。


 頭部を失ったウンディーネの胸元辺りが裂け、そこから人間大の上半身――――丁度先程までの巨体を縮小したような水の身体が現れる。そいつは酷く狼狽ろうばいしながらキョロキョロと辺りを見回し、わたしと……ウンディーネから切り離され宙を舞う少女の姿を視界に捉えると、驚愕と恐怖にその顔を歪ませた。


「――――――――!!!」


 雄叫びとも悲鳴ともつかない叫び。そう、わたしの攻撃を受ける直前、ウンディーネはその本体である中枢を胴体に逃がしていたのだ。


 それは先程“鳴雷”を受けた時と同じ防御策。中枢への直撃さえ避ければ一撃死はない……奴はわたしの右腕に輝く雷光を見た瞬間、わたしがあの少女を無視して攻撃を仕掛けてくると判断し、即座に中枢を移動させていた――――わたしの、思惑通りに。


 あの短い刹那では、憑依した少女を同時に逃がしている余裕はない。ウンディーネに残されたのは、盾の効果を最後まで信じるか……己が身可愛さに逃げ出すかの二択。


 そしてウンディーネは後者を選択した。刹那のいとまとは言え、奴なりに考えての判断だったのだろう……自分が相手の立場だったらどうするか? そう考えたなら、自ずと答えは限られる。


 ――――しかし、それは致命的な失策。ウンディーネは頭部から離れるべきではなかった。盾の少女を手放すべきではなかったのだ。その場に留まっていたならば、中枢が離れることで防御が甘くなった頭部を吹き飛ばされ、霊力の源である少女から切り離される事はなかった……そう、わたしが使った術は“鳴雷”ではない。


「わたしが使ったのは、ただ雷光ひかりを放つだけのまやかしの術。あなたは……まんまと騙されたのよッ!」


 盾は残しつつ自分だけ逃げるなどという……中途半端な保身。結局、奴は己の策を最後まで信じきれなかったのだ。人間とは、人質を前に手も足も出せぬ愚かな相手――――その認識を、崩すべきではなかった。


「――――――――!!!」


 夜闇に響き渡る、憎しみに満ちた醜い絶叫。奴が湖面に落ちるまであと数秒……漆黒の獣腕は解除されたが、今の奴を倒すのにそこまでの力も時間も必要ない。


「さて、改めてお仕置きといきましょうか!」


 悲鳴を上げながら身をよじり、すがる物無き虚空を必死でもがくウンディーネ。哀れなほどに見苦しい……土壇場で怖気づかなければ、奴にも勝機はあったというのに。


 ――――器が知れるとは、まさにこの事か。


響震ひびけ、“鳴雷”!」


 雷光が炸裂し、巨大ウンディーネの残った上半身が中枢ごと爆散する。飛び散った飛沫さえもが高圧電流によって蒸発し、細かな水滴のみが湖に波紋を刻む。

 それすらもあっという間に広がり失せて……夜の湖は、ようやく本来の静寂を取り戻した。


「……はあ、これでようやく一段落したわね」


『はい。犠牲を出さずに済んで何よりです』


 水蒸気の曇が晴れると、憑依されていた少女をお姫様抱っこの様な形で抱えた灯夜さんが見えた。どうやらあちらも目的を達したようだ。


『お嬢様、まだ最後の仕上げが残っています』


「ええ、分かっているわ。その為にわざわざ……“調節”したのだから」


 わたしは湖の岸辺へと視線を移す。辛うじて被害を免れた街路、街灯に照らされたアスファルトの歩道に、小さな水たまりがあった。

 一見ありふれた水溜り。しかし、それは動いていた……目を凝らして見続けてようやく分かる程度の速さで、のろのろと進んでいく。


 そのまま行けば、道路を挟んだ向こう側の林へと辿り着いただろうそれの面前に、わたしは舞い降りた。


「生きていてくれて何よりだわ。あなたをここに飛ばすのには苦労したのよ……消し飛ばない程度に加減するのもね」


 水溜りの動きが止まる。そしてその水面には苦悶に歪んだ女の顔が浮かび上がった。


 しきりに口をぱくぱくと動かしている所を見ると、何やら物申したいというのは分かる。しかし浅い水溜りにはすでに声帯を形成するだけの霊力も残っていないようだ。


「お終いよ、“水の精霊”ウンディーネ。 覚悟は――――宜しい?」


 無論、返答など期待していない。どの道奴にはもう抵抗するだけの余力は残されていないのだ。ここから何をしようが、結果は変わらない……ただ捕まって封じられるだけだ。


 哀れな水溜りに成り果てたウンディーネは、激しい憎しみを込めた眼でこちらを睨みつつ、アスファルトの道をのろのろと後退していく。


「……あくまでも、屈するつもりは無いようね」


 当然逃げられるなどとは思っていないだろう。だがウンディーネは、その行動をもって己の意思を示した……人間にこうべを垂れ従う事だけは、決して無い――――と。


 見上げた根性だとは思う。けれど、褒める気にまではならない。それは実にあやかしらしい選択であり、それ故……人間ひととして許すことはできないのだ。


「――――降臨くだれ、“拆雷”さくみかづち!」


 細い電光が短く閃き、水溜りを打ち据える――――祝詞のりとを省略した、最小威力の“拆雷”。


 その身を半分にまで蒸発させられ、ウンディーネは動きを止めた。ここまで体積が減っては、もう移動する事すらできない。


「全く、最後まで手間を取らせてくれるわ」


 後は四方院の増援が来るのを待つだけだ。後退させた二人のメイドから既に連絡が行っている筈だから、そう時間も掛かるまい。


 ふう、と息を吐いて、わたしは空を仰ぎ見る。満天の星空……そして静かに、煌々こうこうと輝きを放つ銀色の月。それはまるで、闇夜に迷う人々のために点けられた灯火ともしびのようだ。


 その冷たくも柔らかい銀の光に包まれて、舞い降りて来る者がいる。虹色に煌めく四枚のはねを持った、妖精のように美しい乙女。


「魔法少女、ね……」


 今の彼女を見れば、そう呼びたくなる気持ちも理解できる。あの少女は、人でありながらわたしが出会ってきたどの怪異よりも異質な存在だった。


 ……妖と契約した術者は霊装術者と呼ばれる。だが、妖と契約した一般人を指す名称は定められていない。大抵の場合、妖に意識を乗っ取られ憑依状態になるからだ。


 しかし前世紀の末、まだわたしが生まれる前の時代……当時の霊装術者たちと共に戦った、術者ではない霊装者が居たという話は知っている。

 その術者の常識に縛られない型破りな行動は……大きな戦果と同時に多くの目撃者を生み、それは今なお都市伝説として語り継がれているという。


 それが、【世紀末の魔法少女伝説】――――全くもって馬鹿馬鹿しい話に聞こえるが、それが皮肉にも術者と妖の存在の隠れ蓑として役立ったのは否定できない。


『世間一般では、お嬢様もその魔法少女の一人に数えられているのですよ?』


「わたしは“術者”よ! 一緒くたにしないで!」


 彼女……灯夜さんの存在が世に知れ渡れば、魔法少女伝説とやらにはさぞきらびやかなページが追加される事だろう。


 ――――厄介な伝説にならなければよいのだけれど。


 そう願いつつも、わたしは確信していた……彼女の存在が巻き起こす新しい風を。


 華々しく吹き荒れる――――春の嵐を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る