第62話 歪み始めた計画

【前回までのあらすじ】


 妖大将に反逆し、池袋の某六十階建て高層ビルに潜伏した富向入道たち……裏切りの妖。

 渋谷で行った召喚術によって呼び出した異界の妖、“姫君”の奔放なふるまいに悩まされながらも、彼らは更なる儀式の準備を進めていた。


 最終目的の完遂まで時間を稼ぐ為、自ら囮として打って出た栲猪。妖大将の刺客である阿邪尓那媛は、同じ土蜘蛛一族である彼に裏切りの真意を問う。

 しかし彼はそれに答える事なく、召門石が開く【門】の閃光と共に姿をくらませるのだった…………。



◇◇◇



「……万事、読み通りに行かぬのが世の常とは言え、ここまで盤面が荒れるとは」


 そこは、とあるビルの立体駐車場。池袋駅にほど近いその周辺は避難指示が出ており、見下ろす通りにすでに人影は見えない。

 動くものといえば建物を舐める小さな火の手と、立ち昇る黒い煙の筋。そして――――足早に駆け抜けていく、炎のあやかし達。


「“竜”が解き放たれた影響が、思っていたより大きいか。冨向フウコウもさぞ肝を冷やした事だろう……虎の子の障壁を内側から破られるとは、予想もしなかったろうからな」


 吹き抜けのフロアの端に立つ男……灰色のマントに身を包んだ、体格の良い壮年の男が誰にともなくつぶやく。

 彼の視線はビル街の彼方、遠く霞がかるこの地で最大の高層建築物――――盟友である冨向入道が立て籠もる六十階建てのビルへと向けられていた。


「ここに来て火の精霊サラマンダー達の動きもおかしい……人間の術者の中に、精霊を操れる者が居るのか? どちらにしろ、奴等の働きは最早当てにはできぬ」


 男――――土蜘蛛一族の元七将、栲猪タクシシは言い終えて嘆息を漏らす。現在の状況は彼等裏切りの妖にとって、予定外の方向へ大きく舵を切っていたのである。




「――――儂の秘術を発動させる事さえ出来れば、後の心配など無用よ! 貴公はそれまで時間を稼いでくれさえすれば良いのだ!」


「分かっている。お主が術の準備に専念できるよう、我は微力を尽くすまでよ」


 ……本人の手前そうは言ったが、栲猪は正直なところ冨向の秘術に興味も期待も抱いてはいなかった。冨向自身、術についての細かい説明を渋ったのもある。

 恐らくは、何か後ろ暗い事情があるのだろう。


 しかし、秘術があくまで人間達を害するものである限り、栲猪はそれに異を挟むつもりは無い。人の世に大きな災いをもたらす事が叶うなら、手段など大した問題ではないのだから。

 計画が順調に運べば、その過程で都市ひとつが確実に壊滅する。彼にとっては、それだけでも充分な戦果なのだ。


 渋谷での召喚を成功させた彼等は、次の段階に移る。池袋の地へ移動し、術の発動条件が整うまで潜伏するのだ。予想される妖大将の追手、そして異変を嗅ぎつけた人間の術者達は、召門石で開けた【門】から現れる妖で足止めする……それが彼等の基本方針であった。


 だが、そこで計画に狂いが生じる。【門】からの妖が街に放たれるのを待たずして、潜伏場所たるビルに追手の侵入を許してしまったのだ。人間達の領域である大都会において、妖大将の手勢がここまで迅速に動けるとは……彼等にとって想定外の事態だったのである。


 ――――【がしゃ髑髏どくろ】の我捨がしゃが追手の一人として選ばれたのは、裏切り者陣営からは知り得ぬ事。新参者の我捨に対する情報の少なさ故に、彼の人間社会への造詣ぞうけいの深さを計算に入れられなかったのだ。


 これによって、冨向入道が障壁の術を使うタイミングが早まる事になる。本来ならば、ビルを障壁で囲うのはもっと後。容易には貫けぬ壁とは言え、それを発動した時点でこちらの居場所を周囲に知らしめてしまうからだ。

 障壁の発動は街中に妖が行き渡った後。逃げ場を失った人間達がビルに押し寄せる、まさにその時を見計らって行われる手筈だった。


 誤算はそれだけではない。【門】から放たれた妖が、ほぼサラマンダー一種だけであった事。流石の栲猪も、これに関しては己の読みの甘さを悔やんでいた。


 通常、【門】の大きさによって格の上下はあるものの、現れる妖の種類を限定する事はできない。多少の被りはあるとしても、同じ妖が連続して召喚される確率は極めて低い筈なのだ。

 多種多様な妖が引き起こす騒乱は、事態の収拾をより困難なものにする。時間稼ぎという責務を果たすに当たって、栲猪はその影響も加味した上で計画を練っていたのだが……


 しかし現実は違った。六つの召門石で開かれた六つの【門】……その全てが、申し合わせたように火の精霊を吐き出し続けた。普通ならあり得ない光景を目の当たりにして、栲猪はある推論に行き当たる。


 ――――冨向がんだ、【竜種】の娘。あれの召喚に際し、奴は“竜の鱗”を触媒に用いていた。そう、鱗の一枚が触媒として機能するならば……“竜”そのものの存在が【門】に影響を及ぼした可能性も否定できないのではないか――――?


 そう考えれば、何故サラマンダーなのかにも一応の説明がつく。当然のことながら、召門石ひとつで開かれた【門】に【竜種】を喚ぶような力は無い。となれば、【門】の大きさに応じて近い条件の妖が優先的に選ばれることになる。


 ……サラマンダーの別称は“火蜥蜴ひとかげ”。竜の代わりが火を吹くトカゲとは、お粗末な限りだが……結果はそれを裏付けているのだ。


 如何に数が多かろうと、ただ一種の妖となれば対策を打たれるのも早い。現にそこら中で暴れていたサラマンダー達は、今何者かに操られるように街の一点に集結しつつある。

 妖が広域に拡散している状況が解消されてしまえば、人間の術者はその戦力を集中して効率的に事態の収拾に掛かるだろう。冨向の障壁がいかに強固でも、数で押し切られるのは時間の問題と言えた。


 秘術の発動には、少なくとも日没まで時間を稼ぐ必要があったのだが……この流れでは、最早それすらも叶わぬと見るべきか。


「……どうやら、我自身が動く時が来たようだ」


 栲猪が、ゆっくりと振り返る。立体駐車場の上層部にあたるこの階には、未だ多くの車が残されていた。戻らぬ主を待ち続ける空虚な車列……その中を、静かに進み出る人影があった。


「もう逃がさんぞ、栲猪! この裏切り者め!」


 それは、古風な黒いセーラー服姿の女。端正な顔を怒りに歪め、額に玉の汗を浮かべながらも……その姿はなお美しいと呼ぶに足るものだ。


「やはり来たか、阿邪尓那媛アザニナヒメよ」


「来るに決まっておろう! 貴様が何故我等を裏切ったのか、それを問いただすまではな!」


 土蜘蛛七将の中でも、彼女は優れた追跡者である。サラマンダーの妨害があっても、一度見つけた獲物を逃す事はない。


「そんな事を聞いてどうする。お前が命じられたのは我の抹殺の筈。いかなる訳があろうと、それはくつがえるまい」


「……私には解らぬのだ。古参の将たる貴様が、今になってどうして一族に……妖大将に反旗をひるがえすのか。一体、何が貴様を動かしたのだ!?」


 阿邪尓那媛にとって、栲猪の裏切りの真相はどうしても聞き出さねばならぬ事。訳もわからぬままに同族を討つなど、土蜘蛛としての彼女の誇りが許さなかった。

 そして何より……その誇りを彼女に刻み込んだのは、他ならぬ栲猪自身なのである。


 どんな理由であろうと、彼自身の口から真実を聞きたい。それ次第では、彼女は栲猪の側に付く事も考えていた……己の師が信念を持って選んだ道に殉ずるなら、阿邪尓那媛に後悔はない。


「フフ……阿邪尓那よ、お前には教えた筈だぞ。ただ漫然と生きるだけでは、己が真に欲する物を得る事は出来ぬと。手に入れたい物が有るのなら――――」


「――――全力を持って奪い取れ、と……そういう事なのか、栲猪ィ!!」


 空気を震わす、阿邪尓那媛の叫び。彼女の想いを踏みにじり続ける栲猪に向け、沸点を越えた怒りの妖気がほとばしる。


「そうだ。我に問いたい事が有るならば、腕尽くで聞き出してみるが良い。それが出来ぬ者に……語る言葉は持たぬ!」


 阿邪尓那媛の妖気を阻むかのように、栲猪の身体からも冷ややかな妖気が溢れ出す。同族の……それも師弟の一触即発の瞬間。


「……腕尽くで聞け、ね。それじゃあわたしも、お言葉に甘えさせて頂こうかしら?」


 唐突に割り込んだのは、うら若き少女の声。幼さを残しつつも、確固たる自信に満ちた響きを発したのは――――駐車場の向かいのビルの上に立つ、黒い翼を持った巫女姿の少女。


 その時になって、栲猪は気付いた。彼が池袋に仕掛けた六つの【門】……その全てが、ことごとく消し去られている事に。


「話して貰うわよ。貴方達が、何を思ってこんな騒動を引き起こしたのか……たっぷりと痛めつけた後でね!」


 長い黒髪を風になびかせながら、少女……四方院樹希は冷徹にそう言い放つのであった――――。

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