第70話 戦場は摩天楼!

【前回までのあらすじ】


 妖大将に反逆した裏切りの妖・栲猪。冨向入道が行う儀式の最終段階まで時間を稼ぐ為、池袋に大量の妖を放った彼だったが、その試みは人間側の術者の活躍によって潰えようとしていた。


 彼を追うのは同じ土蜘蛛一族であり、刺客でもある阿邪尓那媛。密かに栲猪の身を案じていた彼女を、しかし彼は冷たくはねのける。

 同族同士の決別の戦いが火蓋を切らんとするその時、舞い降りる天御神楽学園の術者……四方院樹希。

 

 相反する三者の激突は、混迷する戦局をどう変えていくのだろうか――――!?



◇◇◇



「――――降臨くだれ、“拆雷”さくみかづち!」


 天空から降り注ぐ、一条の雷光。まばたきするいとまもなく標的を射抜く、必殺の雷撃。

 “拆雷”……それは今まで数多くのあやかしを打ち倒してきた四方院樹希が、最も得意とする高等雷術である。


 しかし、その閃光が駆け抜ける先に獲物の姿は無い。雷がひらめいたまさにその瞬間、すでに敵ははるか遠くに飛び去っていたのだ。


「くそ、なんてやり辛いの!」


 そう。彼女が相手にしているのは、稲妻を避ける程に素早い敵。今まで倒してきた有象無象うぞうむぞうの妖たちとは違う――――正真正銘しょうしんしょうめいの強敵であった。


『お嬢様、雷術の無駄撃ちはお控え下さい! まずあちらの足を止めない事には、まともな攻撃は当てられません!』


「分かって……いるわよッ!」


 雷華の忠告に応じはするものの、樹希は焦燥を隠しきれない。ここは背の高いビルが乱立する大都会の真ん中。彼女は獣身通・虎鶫とらつぐみの黒翼でその隙間を縫うように飛び、敵の姿を追いかけている。


 この状況では、飛行能力を持つ樹希は圧倒的に有利である筈だった。風の精霊シルフのような僅かな例外を除けば、彼女が空中で後れを取る相手は居ない。

 敵が翼を持たない妖であるのなら、軽く制圧できて然るべきだというのに。


『後ろ、来ます!』


「くっ!」


 ――――飛び続けているわたしの背後を、いとも簡単に! 身をよじって急上昇したすぐ真下を貫いていく矢のごとき蹴りに、彼女は舌打ちする。

 敵の攻撃は、徹頭徹尾てっとうてつび視界外からの一撃離脱だ。これではカウンターを狙うのも難しい。


 飛び去る相手に雷術の照準を合わせようにも、その姿はあっという間にビルの死角へと消えてしまう。樹希はこの繰り返しに翻弄ほんろうされ、未だ有効打となる一撃を当てられずにいるのだ。


「このわたしが、ここまで手こずるなんて……」


 敵の名は土蜘蛛七将のひとり――――栲猪タクシシ。樹希が我捨がしゃから得た情報によれば、土蜘蛛一族の中でも古参の実力者だという。


 そのような者が、何故今になって妖大将に反旗をひるがえしたのか? それもまた興味深い謎ではあったが……樹希にとって当面の問題は、彼の用いる恐るべき戦術に対応する事であった。


 手の先から糸を周囲のビルに打ち込み、振り子の要領で空中を移動する……言葉にすれば簡単だが、一歩間違えば転落の危険があるそれを地上数十メートルの高さで行うのは並大抵の事ではない。


 樹希は海外のヒーロー映画のコマーシャルで丁度同じようなアクションシーンを見た覚えがあったが、それは確かフルCGによる撮影だった筈。実際生身で行うとなれば単純な技術だけでなく、途方もない胆力が必要となるだろう。


 栲猪が凄まじいのは、その戦術を恐ろしい練度で修得している所に他ならない。ただの移動に留まらず、攻撃や回避、潜伏からの奇襲に不測の事態への対応さえもが、まさに目を閉じてでも行えるレベルにまで到達しているのだ。


 対する樹希は、初見となる彼の戦術に有効な対処ができずにいる。彼女とて百戦錬磨ひゃくせんれんまの術者ではあるが、それでも今年ようやく十四を数える少女だ。古参の妖としてよわいを重ねてきた栲猪とは、文字通り年期が違う。


『認識をお改め下さい。あの者は恐らくお嬢様の人生の数百倍の時間を技の研鑽けんさんに費やしてきたのでしょう。ただの妖とあなどれる相手ではございません』


 雷華の思念が、かつてない緊張に張り詰めているのを樹希は感じていた。今までも、永き時を経て力を増した妖と相対した事はある。だがその大半は単純に生来の妖力を高めただけの相手であり、使ってくる技も予想の範疇はんちゅうに収まるものだった。


 栲猪のように、体術の鍛錬たんれんに数百年を費やすような……愚直なまでに勤勉な敵手と出逢うのは初めての経験なのだ。


「侮ってなどいないわ。位置取りから何から、わたし達は完全に奴の土俵に引き込まれている。現代文明の象徴たる高層ビル街が、逆にこちらを不利にしているなんて……まったく皮肉なものね」


 巧みな空中機動によって、栲猪は摩天楼をまるで自分の庭であるかのように駆け回っている。地上でも上空でもない、ここは彼だけが地の利を得る戦場。

 たとえ四方院の巫女の力をもってしても、この状況の不利は否めない。


 ――――なんて、厄介な敵。樹希の頭の中からは、当初の考え……相手を捕らえて情報を引き出す、というプランは既に消え去っていた。

 全力でたおしに行かなければ、足元をすくわれる。彼女が相手にしているのは、そういった類いの敵なのである。




 ……ビルの谷間で繰り広げられる目まぐるしい死闘。それを、遠巻きに追い続けるひとつの影があった。


「流石は栲猪……あの四方院と互角以上に渡り合うなんて。しかし――――」


 ビルの屋上から屋上に飛び移り、二人の戦いを見守る女。黒いセーラー服を身に着けたその女の名は……阿邪尓那媛アザニナヒメ。同じ土蜘蛛一族の彼女も、栲猪が全力で戦っている所を見るのはこれが初めてだ。


 同族が人間の術者相手に善戦している。それ自体は誇らしい事であったが……阿邪尓那媛の心中は複雑であった。

 何故ならば、その栲猪の討伐こそが彼女に課せられた使命。四方院に倒されてくれた方が、むしろ都合が良いとも言えるのだから。


 それこそが彼女が二者の戦いに割って入れぬ理由でもある。本来なら迷わず栲猪に加勢したい所だが、それでは使命に反する事になってしまう。

 何より栲猪自身が、阿邪尓那媛を強く拒絶しているのも厄介であった。


 四方院に味方し、栲猪を倒すという選択ももちろんある。が、これは論外だ。四方院は当然彼女を新たな標的として襲ってくるだろう。

 そうでなくとも、人間の手を借りてまで同族を討つという行為は彼女にとって許される事ではない。


「どうしろというのだ。私は……どうしたら!」


「……成程な。高見の見物を決め込んでんのは、そういうワケかい」


 突然の声に、振り返る阿邪尓那媛。そこに居たのは……彼女と同じく、裏切り者を討つ使命を帯びたもうひとりの妖であった。


「我捨! 貴様、その姿は――――!?」


 ――――【がしゃ髑髏どくろ】の我捨。妖大将の留守を預かるみずちの直属の配下であり、人間への【憑依】を果たした数少ない妖。

 しかし、再びまみえた彼の有様は燦々さんさんたるものだ。自慢のスカジャンは既に無く、上半身裸にサラシを巻いた身体は所々血とすすで汚れている。


「まあ、色々あったのさ」


 彼は裏切りの妖、冨向フウコウ入道を一度は追い詰めたものの……紅の竜姫によって阻まれ、散々痛めつけられた挙句、突如現れた炎を操る術者の攻撃に巻き込まれていたのだ。


 並みの妖ならば数回は死んで然るべき惨状。辛くも生き延びたのは流石と言うべきだが、傍若無人ぼうじゃくぶじんむねとする彼でも、今はそれを誇る気にはなれなかった。


「それはそうと阿邪尓那、俺たちの仕事を忘れたわけじゃねえよなぁ? 裏切り者を逃がしたとなりゃ、今度はこっちが始末される側になるって事……ちゃんと分かってるんだろうなぁ?」


 我捨が語るのは残酷なる現実。苦渋の決断を前にして、阿邪尓那媛はただ、きつく唇を嚙みしめるのみであった――――。

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