第118話 この罪を背負って

【前回までのあらすじ】


 池袋に迫る巨大なる黒球……【滅びの落日】。不知火ミイナが憎しみのままに生み出した、それはすべてを焼き尽くす悪魔の炎だ。

 ミイナと和解し、【紅の竜姫】と共にそれに立ち向かう灯夜たち。まずは落着寸前の高度にある黒球を押し上げなければならない。


 黒球を動かせるだけの風を集めるために、灯夜は池袋の街へ飛ぶ。彼が戻るまで黒球の落下を食い止めるのは、その場に残った樹希たちの役目だ。

 自らが生み出した術を前に、ミイナはどう立ち向かおうというのか――――!?




◇◇◇



「止めるぜ、とは言ってみたけどよぉ……」


 ――――池袋の空を覆った漆黒の火球。それは圧倒的な存在感を持って、今もゆっくりと……しかし確実に地表へと迫っている。


「コレ、どうやって止めればいいんだ!?」


 愛音の無責任な叫びが虚空に響く。信じがたい事に、この規格外の術は不知火ミイナ……天海神楽学園高等部に所属するたったひとりの術者によって生み出されたものだ。


 アライメント・シフトが異界から強大な霊力を呼び込むという話はこのわたし、四方院樹希も耳にしたことがある。たしか極めて再現性の低い……言うならば眉唾な事例にすぎないという話だったはず。


 けれどこうして最悪の実例が目の前にある以上、もはやその実在を信じざるを得ない。


「遠目で見た時から予想はしていたけれど……間近で見ると確かに絶望的ね」


【滅びの落日】――――それを止めるすべは事実上存在しないというのがミイナ本人の弁だ。一度発動したが最後、落着して炸裂するまで解除も停止も不能……威力があり過ぎる上に制御もままならない、術としては欠陥品もいいところである。


「けれど、わたし達はあれを止めなきゃならないのよ。この池袋の街を地図から消したくなければね」


 不幸中の幸いと言うべきか否か。わたし達の仕事は【滅びの落日】を止める事ではない。唯一それを止め得る可能性を持った術者……月代灯夜が戻るまでの時間稼ぎ。

 しかし、それさえも困難な事に変わりはないのだ。


「ったって、オレのほうはハッキリ言って完全にノープランだぜ。大爆発させるならまだしも、無傷で止める手段なんてひとつも思いつかねーぞ?」


「威張って言う事じゃあないでしょうが……まあ、残念ながらこちらも同じようなものだけれど」


 四方院にも防御の術式はある……しかしそれはあくまで個人で扱えるレベルの強度のもの。ここまで大規模な攻撃術を防げるような代物ではない。


「残念だけど、ここは貴女に頼るしかないようね……不知火ミイナ。さっき何か策があるような事を言っていたけど、本当なんでしょうね?」


 先程から無言で直上の黒球を眺め続けている彼女……現状、希望と言えるのはあの術の使い手であるミイナだけだ。彼女にできないというなら、もはや打つ手はない。


「フッ、策か……そんなものは無いさ」


「な、なんだってー!!」


「ちょっと貴女、この期に及んでどういうつもり!? あれの足止めができなければ、灯夜が戻る前にこの街はおしまいなのよ!」


 動揺する愛音とわたしの姿を目の当たりにしても、不知火ミイナのどこか涼しげな表情は変わらない。


「そう焦るな。あの術を簡単に止められるような都合のいい魔法など知らん……ただそう言ったまでの事よ」


「同じ事じゃない! なら貴女は、あれをどうやって止めようというの――――」


 そこまで言ったところで、わたしは不意に悟った。彼女の涼しげにも見える表情……その静かな眼差しには、見覚えがあった。


「フッ、術も策もないなら……もはや考える必要などあるまい」


 ミイナが、動いた。じわじわと迫る黒球に向けて真っ直ぐに上昇していく。そして、その黒き炎に触れる寸前でくるりとこちらに向き直った。


「貴女、まさか――――!」


「【滅びの落日】を止めることはできない……だがな!」


 刹那――――大気を震わすずしん、という響きがわたしの全身を打ち据える。


「足止め程度ならば、この身ひとつで事足りる!!」


 黒球が……止まっていた。直径数百メートルを超える巨大な黒球が今、不知火ミイナの背中ひとつで支えられているのだ。


「すげえ……! あのバカでけえ太陽を体で止めるなんて!」


「そんな、無茶よ! いくら貴女に炎の加護があるといっても!」


 そう。【炎の魔人イフリート】の霊装術者であるミイナには火炎に対する耐性が備わっている……しかし、これ程までに巨大な火球を背負って無傷でいられるはずはない。

 ものの数分で肉はおろか骨まで焼けただれるだろうことは文字通り火を見るよりも明らかだ。


 その程度の事は、彼女自身も当然理解しているだろう。それを知ってなお、己の身を投げ出す選択をするとは……


「死ぬ気なの、不知火ミイナ!!」


 彼女が見せた静かで、安らかですらある眼差しは……かつてわたしの姉が最後に見せたそれと同じ。

 ――――命を捨てる覚悟をした者の表情かおに他ならなかった。


「……お前たちではこの炎に触れただけであっという間に消し炭だ。ならば、あたしがやるしかあるまい。みじめな敗者のあたしがここに来たのはそもそもこの為よ。どのつら下げてと言われぬ為には、命のひとつも賭けてみせねばな……!」


 にやり、と口の端をゆがめて見せるミイナ。だがその顔にはすでに余裕など微塵もない。


「だからといって、こんなやり方……」


「フッ、月代がこの場に居ないのは好都合だったな。あいつが居たら……それこそ身を呈してでも邪魔されかねん……」


 うめき声に近い独白を放つ彼女……その捨て身の覚悟と裏腹に黒球の高度は少しずつ下がっていく。命を賭してもなお、停止させるまでには至らないのだ。


「この【滅びの落日】はあたしの業。あたしの罪の象徴だ。それを背負えるのもまた、あたししか居ない。これが……お前たちを苦しめたあたしへの罰なのさ。分かったら黙って見ていることだな……そこの【竜種】のように……」


 はっとして振り返った先には……ミイナの言う通り微動だにしない【竜種】の少女がいた。ただ無言、無表情のまま黒球に焼かれるミイナを凝視している。


「貴女――――」


「おいテメエ! センパイがヒデエ目に遭ってるってのにそのツラはなんだよ! そりゃあさっきまで敵だったかもしれねーが、今は仲間だろ!?」


 わたしが言おうとした事を愛音が一口でまくし立てる。


「何故黙って見ておるのか、とでも言いたそうだの。たしかに、わらわにも炎への耐性は備わっておる。二人で支えればより長く持ちこたえる事もできような」


「なら、どうして――――」


「決まっておろう。わらわの役目はあの黒球に最後の止めをくれてやる事。それ以前に力を使い果たしては何の意味もなかろう。そうなる位ならあ奴も、ひとりであれを背負うたりはするまい」


 正論だ。確かに正論ではあるが……


「それにな、わらわはあのミイナを信じておる。あ奴と直に牙を交えたわらわには分かるのだ。あ奴の命はそう易々と燃え尽きはせぬ……トウヤのやつが戻るまで、意地でもこの場を支え続けるとな」


 そう言い放つ姿を見て、わたしはすべてを察した――――彼女も、できる事なら今すぐにでも動きたいのだ。しかしそれはミイナの覚悟に水を差すばかりか、作戦の失敗に直結する愚行に他ならない。


 ミイナの、そして今も全力で駆け回っているであろう灯夜のために……彼女はその想いを必死に押し殺しているのだと。


「……分かったわ。貴女は時が来るまでじっとしていなさい」


「けどよシズル、このままじゃセンパイがやべえぞ!」


「そうね。ここは……わたし達が覚悟を決める時よ!」




「――――お前たち、何を!?」


「何をって、決まっているじゃない」


「センパイを……助けてやるってんだ!」


 黒球を支える彼女の身体を――――わたしと愛音がさらに支える。これなら熱によるダメージを最小限に抑えながら黒球の落下速度を落とすことができるはずだ。

 直接黒球に触れているミイナのダメージを減らせるわけではないけれど、これが現状わたし達のできる最大限の援護。

 彼女だけに……体を張らせはしない!


「持たせるわよ、何としても。あの子が……灯夜が戻ってくるまで!」

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