第48話 果たされた願い

 激しく火花を散らしながら、ぼくの握った短剣が【廃れ神】の刃の上を走る。直に当てるのは流石に無理だったけど、これでいい。

 刀がぐいと押し込まれる動きによって、短剣は滑り……その切っ先に向けて移動していくからだ。


 そして、目的地はその途中にある。数百年の時を越えてよみがえった恐るべき妖刀――――そこに生じた、わずか一点の欠け。


 実際の時間にすれば、それは秒にも満たない刹那の出来事だっただろう。しかし、短剣がその欠けに到達するまでの間はぼくにとって、まるで数分以上の長さに感じられていた。


 欠けから生じたヒビに、短剣を打ち込む。一見理にかなった戦法に思えるけど、果たして本当にそうだろうか。

 亀裂があるとはいえ、かつては神器と呼ばれた一刀だ。変身のたびにふわっと生み出されるぼくの想像上の短剣など、軽くへし折ってしまうのではないか? そもそもぼく自身の腕がその衝撃に耐えられず、吹き飛ばされてしまうのでは?


 思考がぐるぐると回転し、不安ばかりをかき立てる。けれど、もう遅い。すでにサイコロは振られてしまったのだ。今のぼくにできる事があるとすれば……


 それはただ一つ。成功を――――勝利を、信じることだけ!


 やがて訪れたのは、腕から全身を駆け抜ける稲妻のような衝撃。目の前が真っ白な火花で覆われ、耳をつんざくような激しい……けれど、歌声のように綺麗に澄んだ金属音が、頭の中で反響を繰り返す。


 ――――どうなった!? やったのか? それとも……


 思わず閉じたまぶたを、おそるおそるこじ開ける。最初にぼくの視界に入ったのは、刀を振り抜いたままの姿の【廃れ神】。その刀身は、身体の影に入っていてよく見えない。


 次いで、右手で逆手に握り、左手を添えた状態のぼくの短剣。刀身にまで細緻な彫刻が入ったそれは、小さな刃こぼれこそあるものの……折れたりせずに健在だった。


「と、いうことは……」


 その時、ぼくの背中から不意にとすっ、と何かが落ちる音がした。びっくりして振り返ると、そこには……月の光を映して輝く銀色の刃。


 地面にまっすぐ突き立った、十センチほどの折れた刀身……紛れもない、それは【廃れ神】の刀の先端部分だ。


「や、やった――――」


 叫ぼうとしたぼくの口は、しかしその半ばで凍りつく。目の前の【廃れ神】が、鬼のような形相の面頬がこちらを睨み付けていたからだ。


 そうだ、刀を折ったとはいえ、それで終わる保証なんて無かった。先端を失えど、残った刀身は純然たる凶器。人を殺すには充分すぎる得物じゃないか!


 ぐわっ、と刀を振り上げる【廃れ神】。再び上段から始まる連撃を繰り出そうというのか!? だとしたら、もう打つ手はない。避けるには距離が近すぎるし、短剣で受け流そうにも、ぼくの両腕はじんじんと痺れたままなのだ!


 南無三! 咄嗟に頭をかばいつつも、ぼくは死を覚悟していた。


 …………。


 ……………………。


 なかなか訪れない、人生最期の瞬間。この間はあれか、さっきの様に一瞬を無駄に長く知覚しているのか?

 だとしたらもう勘弁して欲しい……今のぼくは完全にまな板の上の鯉状態だ。止めを刺すなら、一思いにばっさりと――――


 ぴしっ。何か、陶器がひび割れるような音がぼくの耳を打つ。その音は正面から断続的に続いて、次第に大きくなっていく。


「――――!?」


 腕をどけたぼくが見たのは、全身にくまなく亀裂が入った【廃れ神】の姿だった。その亀裂の奥からは、まばゆい光――――あの【門】が発していた、黄金色の光が溢れ出し、その体全体へと広がっていく。


 折れた刀を天高く掲げながら、おおお……という苦悶の叫びとも、ときの声とも取れる雄叫おたけびを上げる【廃れ神】。


 その姿はやがて、内なる光に包まれるように薄れ……消えていった。


「……終わった、の?」


 ぼくの前に残されたのは、その先端部を失った一振りの刀。それは今、天空に輝く月の光を受け……むき出しの土の上にただ、静かに横たわっている。


 その刃には怒りも、悲しみも、無念も……そして神のごとき霊力も今や、残ってはいなかった。


『や……やった! やったヨとーや! やっつけたヨ――――!!』


  頭の中を跳ね回る、しるふの喜びの声。それを感じるのと同時に、ぼくの両膝から急に力が抜けた。

 立ちくらみを起こしたように視界が星で埋め尽くされ、上も下も分からないまま……落ちていく感覚。


「ちょっと! しっかりしなさい灯夜!」


 そんなぼくを、柔らかく受け止めてくれたのは――――


「まったく……あなたは本当にとんでもない無茶をするわね。見ているこっちの心臓が止まりそうになったわ!」


「樹希、ちゃん……」


 まだチカチカするぼくの目の前にあるのは、口調と裏腹に泣き出しそうな女の子の顔。


 ――――また、心配かけちゃったな。思えば彼女がぼくに術者の心得を叩き込んだのは、まさにこういう事態になることを恐れたからだったろうに。


 けれど実際には……樹希ちゃんに教わった技術を総動員して、ぼくはより大きな危険に飛び込んで行ってしまったのだ。


「怪我をしているなら言いなさい。じきに待機していた医療班が来るから……」


「ダイジョウブ? とーや!」


 頭の上にふわりと乗った感触は……しるふか。全身の感覚が薄れててわからなかったけど、どうやらいつの間にか変身が解除されていたらしい。


「ぼくは……平気だよ。それより、愛音ちゃんは?」


「愛音は大丈夫。霊力を使いすぎて動けないだけで、命に別状はないわ」


「よ、良かった……」


 みんな、無事だった。それだけで、今夜の苦労すべてが報われた気がした。何度も死ぬような目に遭ったけど、それは無駄じゃなかったんだ。


 ぼくは……守ることができた。樹希ちゃんを、愛音ちゃんを――――そして、この学園の日常を。



 気がつけば、ぼくは頭を樹希ちゃんの膝に乗せた状態で地面に横たえられていた。胸の上から心配そうに覗き込んでくるしるふ、そして樹希ちゃんの顔。

 そのはるか上には、夜空の真ん中で白金色に輝く月が見える。


 ふと視線を横に移すと、そこには【廃れ神】の刀があった。


「待ちなさい! 迂闊に触れない方がいいわ。妖刀の中には、握った者の意識を乗っ取る物だってあるのよ」


 何気なく手を伸ばそうとしたぼくを、樹希ちゃんが厳しく制止する。


「折れているとはいえ、まだ安全かどうかは分からない。回収班が来るまで見張っておいた方がいいわね」


「いや、これはもう……大丈夫だと思うよ」


 ぼくの言葉に、樹希ちゃんが首をかしげる。


「何か、根拠でもあるっていうの?」


「根拠っていうか、聞こえたんだ……声が」


 【廃れ神】が光の中に溶け、消えていく時――――ぼくは、確かに聞いた。一陣の風に乗って届いた、それはたったひとつの言葉。


「『見事』って。あいつは、あの【廃れ神】は……満足していたんだと思う」


 彼が主から受け継いだ願い。それは、剣と剣との死闘の中で命を終えること。正直な話、ぼくのあれが剣技と呼べるかは微妙だと思うけど……それでも、賭けた命の重さは認めてくれたのだろう。


 願いは、果たされた。数百年の時を越えて、彼はようやく……その使命から解放されたのだ。



「……そう。散々引っ搔き回した挙句、勝手に満足して消えていくなんて……神の考える事は分からないわね」


 その時になって、ぼくはようやく気付いた――――樹希ちゃんは、まだ変身を解いていない。【廃れ神】は消え、【門】の封印も朝までは持つ。学園には結界があるから、新手のあやかしが現れることもないはずだ。


 これで一見、事態は収拾されたように見えるけど……だとしたら、樹希ちゃんは何を警戒しているのだろうか?


 考えようとしたけど、思考がうまくまとまらない。なんだか、すごく眠いのだ……見ればしるふも、ぼくの胸の上ですでに寝息を立てている。


「どうやら、一足遅かったみたいやねェ。ウチらの獲物はもうおらしまへんわ」


 すぐ近くから、不意に響いた見知らぬ声。びっくりして首を巡らした先には……顔! 地面から生えた女の人の顔が、ぼく達を見てにやにやと笑っている!


「こないにボロボロになるまで頑張らんでもねェ……そんなにウチらが信用できんかったんか? ご苦労様やなぁ、ホント」


 音もなく……頭からそれに続く肩、胴体が地面から現れた。それは全身黒ずくめのスレンダーな少女。身体を走る銀色の呪紋を見るに、彼女も……魔法少女なのか!?


「……残念だったわね、先輩方。今夜はもう貴方達の出番は無いわよ!」


 いつになく冷たい口調で言い放つ樹希ちゃん。まさか、これが噂に聞く……高等部の術者!


「ああ、残念だよ……強い妖が居るって聞いて来たのにな」


 もうひとつの声は、森の方からだ。薄れていく意識の中、ぼくは必死に目を凝らし……そして見た。闇の中で燃える……炎のごとき深紅の呪紋を。


「このクソッタレな学園を吹っ飛ばす……いいチャンスだったのに、なぁ?」


 その物騒な言葉の意味を考える間もなく――――ぼくの意識は、果てなき深遠へと沈んでいった。

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