第47話 “奇跡”の予感

 漆黒の腕が振り下ろされ、その鋭い爪がウンディーネの喉元へと食い込む。


「――――食らえっ!」


 そのまま一気に首を引き裂く。支えを失った巨大な頭部がぐらりと傾ぎ、胴体から脱落する……

 と見えた次の瞬間には、傷口から生えた幾本もの触手によって頭部は繋ぎ止められ、また元通りに再生していく。


「ええぃ、やはり物理攻撃じゃ無理か!」


 落下しながら獣身通・王虎を解除し、再び虎鶫トラツグミの黒翼に切り替え、触腕の攻撃を回避しつつ上昇する――――かなりのリスクを冒しての攻撃。

 しかしそれさえも……不発に終わった。


 せめて、獣身通が二つ同時に使えれば。

そう……今のわたしが制御できる獣身通は一度にひとつ。虎鶫で空を飛びながらでは他の獣身通は使えないのだ。


 今の攻撃――――奴の頭上で獣身通を切り替え、落下中に一撃を食らわせる――――も、おそらく二度目は通用しまい。切り替えのタイミングを読まれて迎撃されるのがオチだ。


「中枢を切り離せればもしや、と思ったのだけど……」


 奴の中枢のある頭部、その額の位置には憑依された少女が囚われている。頭部を胴体から切り離し、湖の水との接点を断てば一瞬でも隙が生まれるのでは……


 しかし、その予想は甘かったようだ。今の奴は直接触れずとも周囲の水を操作できる程に霊力を高めている。物理的に接点を断つにはそれこそ一瞬で中枢をはるか遠くまで吹き飛ばす必要があった……獣身通・王虎の力を持ってしても、足場の無い空中では土台無理な話だ。


『お嬢様、こうなったら致し方ありません。人質を巻き込む事になっても、ウンディーネはここで倒すべきです』


「……駄目よ」


『先程とは状況が違います。このまま手をこまねいていれば、いずれ近隣の住民だけでなく報道機関もこの場に押し寄せるでしょう。そうなればもう私達では手に負えません。

被害の拡大はもちろん、あやかしの存在を広くおおやけにしてしまう事になります』


「それでも、駄目よ!」


 雷華の言うことは正論だ。本来、妖は普通の人間には視認できないものだが……今回のウンディーネのように自然物と一体化している場合は別だ。あの馬鹿でかい異形の姿を大勢に目撃されては最早、言い訳のしようがない。


 妖と、それを討つ者の存在は隠されなければならないのだ。それは遥かいにしえからの鉄則。命に代えても、守らなければならない掟である。


 しかし、それに従ってしまえばあの子に……灯夜さんに合わせる顔がない。真の術者の力を見せるなどと大見得を切った手前、やっぱり手に負えませんでしたなどとは言えるはずもないのだ。


『もう意地を張っていられる余裕はないのですよ。 使用つかいましょう……“奥の手”を』


 ――――奥の手。 確かにあの術ならば、有利地形にいるウンディーネにも通じるだろう。しかし……


「あの術だって巻き込まれたら無事では済まないのよ!? そんな事になったら、わたしはあの子に……」


『それでも、雷術を当てるよりはマシな筈です。あの方には後で一緒に謝りましょう』


 ……許してもらえるとは、思えないけれど。しかしもう、迷っている時間はない。


「やるしか……ないというの」


 “奥の手”の効果範囲はそれなりに広い。ゆえに人口密集地等では使い難い術でもあるが、湖の上ならば問題ないだろう。

 ただ、水中に逃げられてしまうと厄介なのだが……そうなる前に仕留めればよいだけだ。


 わたしは首を巡らせ周囲を確認する。逃げ遅れた一般人がまだいるかもしれない……だが安全を確認する間もなく、視界を横切ったのは水面を走る一陣の疾風だった。


「あの子、まだ――――」


『どうやら諦めの悪い方がもう一人、いらっしゃるようで』


 ため息をつくような、それでいてどこか嬉しそうな雷華の思念。


 ウンディーネを遠巻きにぐるぐると周回を続ける灯夜さん。そのスピードは周を重ねる度に増していく。その勢いは水面を切り裂くだけに留まらず、やがて湖には大きな渦が生じ始めていた。


「まさか……いえ、いくら何でも霊力がもたないわ!」


『でも、あの方はやるつもりですよ。お嬢様、ここはひとつ、あの方の賭けに乗ってみては如何いかがでしょう?』


 旋回半径が狭まるごとに、増していく彼女の速度。その姿は渦巻く旋風と巻き上げられた水飛沫の中でさらに加速を続けていく。


 ――――ウンディーネを中心として生じつつある、巨大な竜巻。わたしは今、その只中に居るのだ。


 確かに、うまくいけば犠牲を出さずに済むかもしれない。しかし、これは危険すぎる賭けだ。あの子はいくら霊力があるとは言え、術者として未熟なことに変わりはない。


「雷華、そういえばあなた……さっきからずいぶんとあの子の肩を持つけれど、何か根拠でもあるの?」


『根拠は……ありません。ただ、予感がするのです』


「予感?」


 雷華らしからぬ不明瞭な物言い。当惑するわたしに、彼女は更に続けた。


『漠然とした予感ですが……あの方は“特別”なのではないか、と』


 特別――――わたしも初めてあの子を見た時から……空を駆け舞い踊るその姿を目にした時から、只者ではないと思ってはいたが……


「普通ではない、というのは確かだけど……あなたがお墨付きをつける程のモノとは思えないわ」


 それでも現在までの総合評価としては、将来有望な駆け出し術者の域を出ない。特別とまで言うのはいささか性急ではないのか。


「あの子より高い霊力を持つ者も、練達の術を持つ者もいる。なのに何故……あの子が特別だと思うの?」


『私は今まで多くの術者を見てきました。ですが、あの方からはどの術者とも“違う”力を感じます。何か……そう、期待させてくれる力を』


「期待、ですって!? あの子が都合よく奇跡でも起こしてくれると言うつもり?」


 わたしの問いに、雷華はくすりと微笑んだように見えた……いや、そう感じた。


『はい。何故ならあの方は既にひとつ、奇跡を起こしていますから』


 わたしははっと気付いた……雷華が言おうとしている事に。


『あの方が……あの美しさが存在する事が、もう奇跡なのですよ』


 ――――はぁ、とわたしはため息をついた。確かに、あの美しさは奇跡という他ない。一度奇跡を起こした者のほうが、そうでない者より期待に値するというのも分からないでもない。


「一本、取られたわね……いいわ、乗ってあげる。その代わり……」


 素人に命を託す。四方院の巫女としては不本意な選択だけど……


 わたしは再びウンディーネへと突進する。あの子の“準備”が整うまで、奴の注意を引き付ける。それが今出来る最大の援護だ。


「しくじったら、承知しないんだから!」

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