第84話 変貌のミイナ、決別の竜姫

【前回までのあらすじ】


 某六十階建てビルの屋上で対峙する主人公、月代灯夜と蟹坊主・冨向入道……そして紅の竜姫。


 冨向に騙されていた事にショックを受け、くずおれる竜姫。その前に現れたのは、彼女が倒した筈の不知火ミイナであった。

 決着を望むミイナが放つ火炎から竜姫をかばおうと間に入る灯夜だったが、力及ばず諸共に吹き飛ばされてしまう。


 ビルから転落する竜姫を間一髪で救った灯夜。しかし彼女はそんな灯夜に、改めて決別の意思を告げるのだった――――!!



◇◇◇



「――――や、止めてください。落ち着いて、ぼくの話を聞いてください!」


 思索の果てにようやく口から出たのは……目の前の人物をいさめるにはあまりにも頼りない、ありふれた文句に過ぎなかった。


 ……地上六十階の高層ビル、その屋上での思わぬ再会。しかし、今の彼女はぼくの知っている姿とは――――荒っぽいが優しい、頼れる先輩の姿とは大きく変わってしまっている。


 露出過多のコスチュームに、その身に絡みつくようにして燃える炎……それは彼女が霊装術者であるなら、わからなくもない格好だ。かく言うぼくもフリルのついた学芸会の衣装にはねまで生やしているのだから文句は言えない。


 けれど、奇妙な違和感を感じるのはその炎の色だ。鮮やかなオレンジ色が、外側にいくにつれて黒々と染まっていく。不完全燃焼の煙や煤とは別物の、まさしく黒い炎。

 当然、自然界にこんな炎は存在しないはず。だとしたら……あれは彼女の契約したあやかしの性質によるものなのか?


「……誰だ、お前は? どこの術者か知らないが、そこの妖はあたしの獲物だ。手出しするなら容赦はしないぜ?」


 ぞっとするように冷たく、敵意に満ちた声。ミイナ先輩はぼくの事を覚えていないのか!?

 やっぱり今の先輩は何かが“違う”。見た目だけでなく、内面までもぼくの知っている彼女とは……どこかズレているのだ。


「トウヤよ、さっさとねい! ここはもう、お主の居てよい戦場ばしょではない!」


 紅の竜姫が、ぼくの体を押しのけるようにして前に出た。彼女はもうミイナ先輩を敵として認識している……話の流れから推測すると、二人はぼくが冨向ふうこう入道に捕らわれていたあたりで、すでに一戦交えているようだ。


「フッ、そいつの言う通りだ。あたしは自分の邪魔をする奴を許さない……術者だろうが何だろうが、まとめて焼き尽くすだけだ!」


 言うが早いか、先輩の両手に握られた火球が倍の大きさにふくれ上がった。黒く燃えさかるそれからはすさまじい熱気と同時に……冷たい手で心臓をわし掴みされるような悪寒が漂ってくる。

 そう、この悪寒だ。ぼくの知っている先輩と今の先輩の一番大きな違いは、この禍々まがまがしい気配。まるで地獄の底からあふれ出したかのような……この世の者ならぬ邪悪な妖気!


 ダメだ! 背筋を駆け抜ける恐怖と共に、ぼくは確信した――――この人と竜姫を戦わせてはいけない!


「やめてください、先輩! 不知火ミイナ先輩!」


「トウヤ、いかん!」


 もうなりふり構ってはいられない。ぼくは竜姫の制止を振り切り、先輩の目前へと躍り出た。


「ぼくです、月代灯夜です! 天海神楽学園のっ!!」


 熱気を浴びて、噴き出る汗が目に流れ込む。けれどその歪んだ視界の中で、先輩の表情は……確かに変わった。


「お前は……あの時のお嬢様か? どうしてお前がここに――――!?」


 驚きに目を見張るミイナ先輩。良かった、とりあえず思い出してくれたようだ。ぼくはほっと胸をなでおろし、あらためて彼女に語りかける。


「聞いて先輩! 先輩とこの子の間に何があったかは分からないけど、この子は敵じゃない! 少なくとも、悪い妖じゃないんだよっ!」


 ちゃんと話さえできれば、きっと分かってくれる。ぼくの知っている先輩なら……きっと。

 彼女は粗暴ではあっても、所構わず暴れ回る戦闘狂じゃない。学園の子猫たちの面倒を見たり、絡まれているちかちゃん達を助けてくれたりする優しい先輩なのだから……


「この子は他の妖にだまされていた……そう! 被害者なんだ! だから先輩が戦う必要なんて、もう――――」


 けれど、ぼくの言葉は突然のヒステリックな哄笑にかき消された。何を思ったか、先輩はいきなり大声でわらい出したのだ!


「フ、フフフ…………アーッハッハッハ!! 天海神楽の……月代! なるほど、そういうカラクリだったか!」


「せ、先輩!?」


「あのクソ先公の身内なんだろう、お前は! 無害なお嬢様に見えて、ちゃっかり“こちら側”の人間だとはなぁ!」


 ぼくを睨み付ける、昏い炎を宿した瞳。それは笑顔と呼ぶにはあまりにも凶暴な、殺気に満ちた表情だ。

 笑うという行為の原点は、肉食獣が牙をむく行為……そんな一文を思い起こさせる、先輩の恐ろしい形相。


「フッ、そう考えればあたしなんかに近づいて来たのも納得がいく。目的は監視か? こんな都会で偶然出会うなんて、普通に考えたらあり得ないからな」


 なっ、先輩は何を言っているんだ……!? これではまるで、ぼくが蒼衣お姉ちゃんの命令で彼女を見張っていたみたいじゃないか!


「フフ……結局は同じか。お前もあたしの力を利用したいだけの……クソみたいな奴らと同類って事かぁ!」


 先輩を取り巻く妖気が膨れ上がり、物理的な圧力をともなってぼくの身体を押し返す。紅の竜姫が見せたものとは正反対の、それは激しい拒絶の意思表示!


「これ以上、くだらんお喋りに付き合ってはいられん! この不知火ミイナは邪魔者に容赦しない……そう言ったはず!」


「そんな……誤解だよ先輩! お願い、話を聞いて!!」


 ぼくの言葉に耳も貸さず、上昇を始める悪魔めいた姿。暗雲に覆われた空に舞い上がった黒い炎の少女は、両手に握った火球を頭上でひとつに重ね合わせると、己の身体ほどの大きさとなったそれを……こちらに向けまっすぐ投げ放った!


「先輩っ! どうして――――」


「ええい、下がれトウヤ!」


 強引に割り込んだ竜姫が、その鱗で形作った半透明の盾を火球に向けてかざす。間一髪で盾に当たった火球は閃光と共に砕け散り、激しい轟音と爆風をまき散らした。


「うわあっ!!」


 盾越しでも伝わるすさまじい衝撃に、ぼくは思わず頭を抱え込んだ。先輩は本気だ――――こんな、当たれば無事ではすまない攻撃を躊躇ちゅうちょなく打ち込んでくるなんて。


「これで解ったであろう、トウヤよ。今のあ奴は何を言おうと止まりはせぬ。目の前の敵を……わらわを倒すことしか頭にないのであろう」


「うう、先輩はこんな事をする人じゃないはずなのに……」


「お主にも視えるであろう、あの尋常ならぬ妖気が。あれは最早弁舌の通じる相手ではない。あ奴を鎮められるのは、同等かそれ以上の力を持つ者だけよ」


 竜姫の背中の羽が、ばっと大きく開かれた。戦うつもりなのだ……紅の竜姫は。


「ダメだよっ! これ以上戦って霊力を失ったら、君の体は――――」


 この世界では強大な妖であればあるほど、力を使う事による消耗が激しい。伝説の【竜種】ともなれば、その消耗は直接命に関わるものになるだろう。

 その上、彼女には冨向入道の呪いが掛かっている。一見平気に見えても、いつ限界が来るかわからないのだ。


「あ奴を痛めつけ、焚きつけたのはわらわだからのう……最後まで付き合ってやらねば、無粋に過ぎるというもの」


 ふわり、と異形の少女の身体が浮き上がる。止めなければ……けれど、どうやって? ぼくの言葉では、彼女たちを動かすことはできなかった。力ずくにしたって、ふたりのどちらにも及ぶとは思えない。


「トウヤよ、お主はここで見ておれ。なぁに、わらわとて人間ごときに倒されてやる義理はない。軽くひねって格の違いを教えてやるまでよ……」


「待って! 行かないで……“お姫様”!!」


 背中に浴びせられたぼくのひきつった叫びに、竜姫はゆっくりとぼくに振り向いた。豪奢ごうしゃな蜂蜜色の髪が波打ち、穏やかな笑みを浮かべた少女の横顔を鮮やかに彩る。

 ……それはまるで美術館に飾られた名画のごとく、神々しく幻想的な光景。


「金輪際、わらわをその名で呼んではならぬ。言うたであろう……わらわはお主の姫ではないと」


 けれど、その絵の題名は……『別れ』。美しくも物悲しい、決別の瞬間を描いたものに他ならない。


「今度こそさらばだトウヤ。お主は……よき臣下であったぞ!」


「ま、待っ――――」


 飛び去る彼女を呼び止めようと口を開くも……続く言葉が出てこない。“お姫様”と呼べないのなら、ぼくは彼女を何と呼べばいいんだ?

 “紅の竜姫”? それは異名にはなり得ても、ひとりの少女の名前として相応しいとは思えない。



 そう、ぼくは知らなかった。彼女の本当の名を……助けたい少女の名前ひとつさえ、いまだ知らないままだったのだ――――――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る