第83話 届かざる想い

【前回までのあらすじ】


 某六十階建てビルの屋上で対峙する主人公、月代灯夜と蟹坊主・冨向入道。


 灯夜の新たな技“風の網”で自由を奪われた冨向は、紅の竜姫はこの世界では長くは生きられず、また彼女を元の世界に帰す方法も存在しない事を明かす。

 タイミング悪く居合わせた竜姫はそれを聞いてしまい、冨向の裏切りと繰り返し浴びせられる罵声に大きなショックを受けてしまう。


 更に竜姫との決着を望むミイナまでもが現れ、混沌を極めていく状況の中、灯夜の運命はどこへ向かうのか――――!!



◇◇◇



 ――――先輩が、ゆっくりとこちらに手を伸ばす。無造作に開かれた掌で渦巻く黒い炎を見た時、ぼくは彼女が何をするつもりなのかを瞬時に理解した。


「やめて、先輩!!」


 咄嗟に叫ぶも、間に合わない。ごう、と勢いよく放たれた火炎は……膝をつきうなだれる竜姫に向け、まっすぐ向かっていく!


 ぼくはすべり込むように竜姫の前に立ちはだかると、冨向を捕らえていた風の網をほどき、圧縮空気の壁へと再構成する。一から生成している余裕はすでに無い。

 そして、完成したばかりの壁を押し寄せる炎の奔流に向け振りかざした。


「くうっ――――!」


 空気の壁越しに、衝撃と熱波が伝わってくる。ギリギリで防御したとはいえ、火炎の勢いはすさまじい。黒と眩しいオレンジ色の混ざった、それはまるで業火の洪水。

 ダメだ、これはそんなに長くは持ちこたえられない!


「お、お姫様! しっかりして! このままじゃ危ないんだよっ!?」


 いまだうつむいたままの竜姫に、ぼくは必死に呼びかける。裏切られたのはショックだろうけど、今はそんな事を言ってもいられない。

 いくら伝説のあやかしでも、こんな無防備な状態で攻撃を受けたら無傷ですむわけがないのだ。


「お姫様……うう、もう持たないっ!」


 圧縮空気の壁が限界に近づいている。急ごしらえのせいもあって、叩きつけられる火炎の勢いに押し負けそうだ。

 このままでは……というところで、ようやく竜姫がぼんやりとした顔でこちらを振り向いた。


「……トウヤ、か?」


 まるで今になって初めてぼくを認識したように、彼女は惚けたような目でぼくを見つめてくる。


「よ、良かっ――――」


 その瞬間だ。限界を迎えた空気の壁が弾け、灼けつくように熱い突風がぼくと竜姫を吹き飛ばした。


「うわああ――――っ!!」


 ぐるぐると回る世界の中で、ぼくは四枚のはねを広げて必死に身体を安定させようとしたが……それが成功する前に何か硬いものに背中から叩きつけられていた。

 これは……鉄柵か? どうやら屋上の端っこまで大きく跳ね飛ばされてしまったらしい。


 痛みにくらくらしながら顔を上げると、すぐ隣には……ひしゃげた鉄柵に半ば埋まったような竜姫の姿があった。ぼくと違い頑丈な彼女の激突は、柵の強度の限界を超えてしまったのだろう。 


「……お姫様!?」


 めきめきと、金属のきしむ嫌な音が響く。竜姫がぶつかった事で、柵そのものが外れかけているのだ!


「あっ!」


 危ない! そう思った次の瞬間、竜姫の体は歪んだ柵と一緒に屋上から投げ出されていた。



 ……その刹那の事は、実は自分でもよく分からない。けれどぼくの身体は脳が思考するよりも早く手を伸ばし、落ちゆく彼女の手首を捕まえていたのだ。

 がくん、と今はぼくよりも大柄な竜姫の全体重がかかり、腕が抜けそうな痛みが駆け巡る中……ぼくはひたすらにその手を離さない事だけに集中する。


 直後、今度は背後からけたたましい悲鳴が聞こえてきた。腹ばいになったまま、可能な限り首をひねって後ろに向けると、なんと上半身炎に包まれた冨向ふうこう入道がよろめきながら歩いてくるではないか!


「冨向、ダメだ! そっちへ行っちゃ――――」


 ……思わず叫んだ声が、果たして届いたかどうか? それを確かめる間もなく、冨向は柵の外れた屋上の端から足を踏み出し……そのまま真っ逆さまにビルの壁面を転がり落ちていった。


「ぎゃああぁ――――!」 


 思わず耳を塞ぎたくなる、恐ろしい悲鳴。それが遠ざかっていく間、ぼくはただ目を閉じているしかなかった。

 実際には、ほんの数秒の間だったのだろう。けれどぼくにとって……その時間はまるで永遠にも等しく感じられた。



「…………トウヤ、トウヤよ」


 鈴が転がるような少女の声に、ぼくははっとして目を開いた。それと時を同じくして、腕に掛かる重みがふっとやわらいでいく。


「トウヤよ。お主、忘れておらぬか? わらわが飛べるという事を」


「あっ!」


 腕の先を見下ろせば、背中の羽を羽ばたかせ浮遊する紅の竜姫。よくよく考えてみれば、ビルから放り出されたくらいでどうにかなる彼女ではない。

 夢中で助けようとしたぼくの行為は、むしろお節介に過ぎなかったのだ。


「ごめん……」


「何を謝っておる。臣下があるじを救うのは、別に良からぬことではあるまい」


 言いながら穏やかな笑みを浮かべる彼女。身体は成長していても、その表情は小さな“お姫様”であった頃と変わっていない。


「しかしまさか、お主が術者であったとはな。只者では無いと、なんとなく思ってはいたが……」


 けれど、その笑みはすぐに……まるで自嘲するかのように寂しげに曇る。


「まさか、わらわを狩る側の人間だとは。流石に、そこまでは読めなかったのう」


「……え!?」


 ゆっくりと、しかし確かな意思を持って……竜姫はぼくの手を振り払った。


「冨向が何事か企んでおるのは薄々気付いておったが……ふっ、お主までとは。つくづくわらわは、縁というものに恵まれぬ」


 術者が、彼女を狩る側の人間……そうか! 竜姫はぼくが、彼女を狙う敵の一味だと思っているのか!


「ち、違うよ! ぼくは君の敵なんかじゃない――――」


 慌てて事情を説明しようとするぼくの前で、紅の竜姫はくるりと背中を向けた。それは……彼女の無言での意思表示。


「わらわの敵になりたくない、というのは……おそらく本心なのだろうな。退治するべき相手に思わず情が移ったか。お主は……優しいからの」


「待って、“お姫様”! ぼくの話を聞いて!」


 そう叫びながらも、ぼくには彼女を説得できる上手い文句が思いつかなかった。彼女にとって、人間の術者はまごうことなきかたき。【竜種】を絶滅に追いやった憎むべき存在なのだ。

 その一人であるぼくの言う事など、本来ならば聞くに値しない雑音にすぎない。


「トウヤよ。わらわはお主の姫ではない。その忠義は、同じ人間に向けられて然るべきもののはず。ならば、これ以上わらわに関わっては……お主自身の立場が危うくなるであろうが!」


 それでもその上で、彼女はぼくという人間を悪しからず思ってくれている。ぼくが他の術者たちと彼女との間で、板ばさみになる事まで心配してくれるのだ。

 けれどこれでは、これではまるで――――


「わらわには最初から、味方など居なかった……ただそれだけのこと。滅びゆく【竜種】には、相応しい末路というものよ」


 まるで彼女自身が、犠牲になる事が前提みたいじゃないか!


「――――別れの挨拶はもうその辺でいいだろう。そろそろ、続きを始めたいんだがな」


 はっとして振り向くと、そこには黒い炎をまとった少女が――――ただならぬ殺気を放つミイナ先輩の姿があった。

 その両手にはすでに燃え盛る火球が握られており、竜姫の反応次第ではすぐにでも攻撃に移るつもりであろう。


「……去るがよい、トウヤよ。あ奴はわらわとの一騎討ちを望んでおる。ここに居れば、味方であろうと巻き込まれるぞ」


「そ、そんな……」


 あのミイナ先輩が、事もあろうに竜姫を狙っているなんて……大切な友達と尊敬する先輩が、ぼくの目の前で殺し合いを始めようとしているなんて!


 知らず知らずのうちに奥歯が震え、がちがちと音を立てていた。これは、どう転んでも最悪の事態。

 そして残念な事に、この場にそれを止められるのはぼくしかいないのだ。けれど……



 頭の中を渦巻くのは、形にならない想いの断片ばかり。一体、何を言えば二人を止められるというのか!?

 焦るばかりで、まったく言葉が出てこない。ぼくは、自分がコミュ障であることを……心の底から呪わずにはいられなかった――――。

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