第13話 綾乃浦静流という少女
と、ここまでならただの不幸話でしかない。まだ続きがあるのだ。
「王子役をやりたい人、いませんかー?」
先程まで盛りに盛り上がっていたのがウソのように、男子一同は静まり返っていた。
……彼らはその時になってようやく、自らの首を絞めていたことに気付いたのだ。お姫様と対になる王子役。【眠れる森の美女】においてはクライマックスに姫とのキスシーンもある王子役。
実際にはフリをするだけにしても、小学生男子にとってキスは相当なプレッシャーだ。ましてや、その相手が同じ男子ときては……
立候補者は出なかった。押し付け合うような単発の推薦はいくつかあったものの、役を引き受ける者は誰一人現れなかった。当然である。男同士でキスシーンなど演じようものなら、卒業まで男色家の
悪化する事態に焦った先生から「姫が男子なのだから王子は女子が演じてはどうか?」との提案があるも、名乗り出る女子は居なかった……男子が姫役よりはハードルが低いとはいえ、流石に抵抗があったのだろう。そもそも王子役が似合うような凛々しい女子などクラスにそうそう居るものではない……
ただひとり――――綾乃浦静流を除いては。
後から聞いた話だけど、クラス委員長の彼女は委員会の仕事との兼ね合いもある為、今回の劇では役を演じるつもりは無かったらしい。
けれど、当時から大人びた雰囲気を漂わせ、クラス委員も積極的に引き受ける彼女は……いざという時に頼りになるクラスの切り札的存在だった。女子だけではなく男子も、先生までもが期待の視線を向ける中、彼女は静かに椅子を引き立ち上がった。
「……誰もやらないのなら、私が王子役をやっても文句はないですね?」
そう言い放つ彼女に、クラスは沸いた。
「た、助かったー!」「さすが委員長!」「綾乃浦さんが王子様……ステキ……」
安堵の空気が場に満たされはじめたその時、ひとりの男子――副委員長の藤見君がそれに待ったをかけた。
「ち、ちょっと待って! 綾乃浦が抜けたら委員会はどうするんだ! ぼく一人じゃどうにも……」
「副委員長にお任せします。人手が足りないなら誰でも手の開いている人を使ってくれて構いません。」
一瞬の躊躇もなく答える綾乃浦さんを見て青ざめる藤見君。彼女の強いリーダーシップには有無を言わせない強引さがあった。時に理不尽な押し付けにも見えるそれは、しかしクラスの皆に概ね受け入れられていた。多少強引でも、明確な指示を出してくれるのはありがたい……自分で判断し、その結果に責任を持たなくてよいのだから。
「委員会の仕事は副委員長でもできます。私の、委員長の仕事は……クラスの誰にもできない仕事を引き受ける事ですから。」
綾乃浦さんはそれだけ言うと再び席に戻った。彼女は今までもクラスの誰もやらない、やりたがらない仕事を自分から引き受けている。委員長として少々ワンマンな振る舞いが許されるのもそういった実績があるからだ。
かくして問題は解決し、その後の役割分担まで滞りなく済んでクラス会は閉幕した。続くホームルームも終わり、生徒たちが一斉に席を立つ喧騒の中、彼女――綾乃浦静流はぼくに話しかけてきた。
「なんだかおかしな事になってしまったけど、劇が終わるまでお互い頑張りましょうね」
そう言って微笑む彼女。ぼくが彼女とまともに話したのは、この時が初めてだった。
正直言うと、ぼくは綾乃浦静流のことを【怖い女の子】だと思っていた。実際彼女は他人に対して厳しく、特に男子に対しては苛烈ともいえる態度をとっていたから。見た目はともかく男子であるぼくは、彼女に怒られないかが心配でならなかった。
だが実際接してみると、彼女は思いのほか……というと失礼かもしれないが、優しい女の子だった。彼女はぼくが困っている状況を正確に見抜き、的確にフォローに回ってくれたのだ。クラス内で孤立しがちなぼくに積極的に話しかけ、時には他の生徒達との間を取り持ってくれたりもした――――劇の練習中はもちろん、それ以外の時も。
ぼくは嬉しい反面、なんだか申し訳ない気分になってしまった。これでは劇の外までお姫様のような高待遇ではないか。
だから、思い切って聞いてみた。どうしてぼくの為に、ここまでしてくれるのかと。
夕日が差し込む放課後の教室で、綾乃浦さんはぼくの言葉に……目を丸くしていた。
「あなたが自分から他人に話しかける所……始めて見たわ」
そう言ってくすくすと笑う彼女。自覚がないでも無いけど、ぼくはそこまで引っ込み思案に見えていたのだろうか。
「けど、いい傾向ね。まずは自分の話を聞いてくれそうな相手から。少しずつ範囲を広げて慣れていけばいいのよ」
相変わらずぼくの心配をしてくれている彼女。それはとても嬉しいことだけど……
ぼくは質問を繰り返した。やっぱり、理由がわからない。彼女がぼくの為にここまでする理由が。一方的に優しくされているだけで、ぼくは何も彼女の役に立っていない。これでは不公平だ。
綾乃浦さんは顎に手を当て、少し考え込むような仕草の後、くるりと背中を向けながらこう言った。
「強いて言えば……保険よ」
想定外の答えに困惑するぼくに、彼女はなおも続けた。
「私はあなたを、月代灯夜君をこのまま放置すると、クラスの運営に支障が出ると考えたの。特に今回の劇の配役、あれは酷いと思ったわ……男子ときたら、本当に後先考えずに……」
背を向けたまま肩をふるふると振るわせる彼女。正面から見たらきっとすごく怖い顔をしているのだろう。
「あなたがもし登校拒否にでもなったら、劇は配役からやり直し。スケジュールはメチャクチャだわ。そうならない為にも、私が逐一フォローに回り、機会を見て月代君の自立を促す。クラス内の不和も改善されて一石二鳥。そうよ、これは十分に必要な事。クラス委員長として当然為すべき正当な義務なのだわ!」
なんか変なスイッチでも入ってしまったのか、熱く語り出す綾乃浦さん……最近は二人で話す機会も増えていたけど、この日の彼女は特に饒舌だった。
「だからあなたが気にすることなんて無いの。そうね、劇が終わるくらいまでにはクラスのみんなと……まぁ、この際女子だけでもいいわ。ちゃんと打ち解けてくれれば問題ない。これはクラスのためでもあるんですからね」
……まぁ、感謝してくれるなら、それはそれでありがたいけど。振り向きながらそう呟き、ぺろりと舌を出す彼女。その表情はぼくが感じた最初の印象とはずいぶん違っていた。
毅然として厳しい、【怖い女の子】……けれどその厳しさは理不尽なそれではなく、あくまで理に適ったものだ。ぼくの前での彼女は、とても優しくて世話好きな女の子。見た目通りの大人びた話し方をするけれど、中身は普通の女の子。
そんな彼女……綾乃浦静流は、いつしかぼくの憧れの存在になっていた――――
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