第36話 天を衝く光柱

 背の高い木々の間をぬって、早春の冷たい風が吹き抜けていく。


「気の毒だが、邪魔をされる訳には……ん?」


 広場の中央、大きな石碑の前に立っているのは、ベージュのコートとお揃いの帽子に身を包んだ男の人。男子禁制のこの学園内に、居るはずの無い存在。


 その彼がぼくの姿を確認するや、不意に言葉をつぐんだ。帽子の影でよくわからないけど、ぼくの姿を……頭のてっぺんから爪先まで、凝視しているように見える。


「……!?」


 言うまでもないが、今のぼくは魔法少女の姿。ふりふりのフリルで飾られた王子様風の衣装に、背中からはしるふ譲りのはねまで備えている。

 ……よくよく考えてみれば、ぼくがこの姿を見せたのは樹希ちゃん達同業者と相手にしてきた妖達、それ以外にはごく少数の目撃者がいるだけだ。


 つまり、何が言いたいかと言うと……大の大人、それも男の人にこうして正面から凝視されるのは、は、初めての経験なのだっ!


『とーや! 何モジモジしてるノ!』


「だ、だって……」


 しるふがツッコミたくなるのもわかるけど、こう面と向かってガン見されたら恥ずかしいに決まってるじゃないかっ! まさかとは思うけど、男だってバレたりはしてないよね!?


「……いや、失礼。君がまるで妖精の姫君のように美しいのでね、つい見とれてしまったようだ」

 

「……え?」


 なんか、褒められた? それも結構ロマンチックな例えまで使って! どうしよう……なんか嬉し恥ずかしい。声も洋画の男優さんの吹き替えみたいに渋くて、ぼくが女の子だったら一発で有頂天になってしまっていただろう。


 けど、駄目だ。ぼくはぶんぶんと頭を振ってうわついた思考を追い出した。ぼくは男の子だし、あの人は不法侵入者なのだ。

 そう、ぼくが今しなきゃいけない事は――――


「あ、あのっ! あなたは……その、何者っ! ですか……」


 あう、本当はもっと厳しく問い詰めなきゃなのに、初対面の人相手だとどうしてもしどろもどろになってしまう……これはコミュ障の悲しい性だ。


「申し訳ないが、それは明かせないな。正確には……まだ明かすべき時では無い、という事になるがね」


 そう言いながら、コートの男性は石碑に近づいていく。いけない! ぼくの頭の中で警笛が鳴り響いた。


「ま、待って! それ以上近づかないで下さぃ……」


 強く警告するべき場面なのに、言葉が尻すぼみになってしまう。自分より年上の人を強い口調で制するなんて、そういえば初めてかもしれない。


「それも聞けないね。大人には仕事ってモノが有る。それが何であれ、請け負ったからには……果たさなきゃならない」


 ぼくに背を向けたまま、男性は手袋をした手で石碑に触れた。


 どうする!? 駆け寄って止めるか? いや、魔法少女になっているとはいえ、ぼくの腕力は生身の時と大差ない。大人の男性を止めるなんて無理だ!


『風だよとーや! 風で吹っ飛ばすんだヨ!』


 確かに、この広場には充分な空気の流れがある。人一人吹っ飛ばすくらいは造作もないだろう……けれど、


「あ、相手は人だよ!? あやかしじゃない! 生身の人相手に術を使うなんて、そんな事――――」


「……有り難う。君の優しさに感謝するよ」


 振り返った男性の後ろで、石碑が音もなく崩れ始める。砕かれたんじゃあ無い。まるで分解されたかのごとく、石が細かい砂となって流れ落ちていくのだ!


 そして、次の瞬間。どぉん、と大気を震わす轟音と共に、石碑のあった場所から弾けるように光が吹き上がる。

 まっすぐに天を突き刺し、辺りを煌々こうこうと照らすそれは……金色の光の柱。


「そんな……まさか、これは!」


「スピリチュアル・エナジーホール……この国で言うところの【門】さ」


 【門】!! 確かにこの湧き上がる霊力は【門】のものだ。しかし、これはあまりにも大きすぎる! ぼくが立ち会った時に見たそれとは、規模からして大違いじゃないか。


「別に、驚くほどの事じゃあない。元々この土地は太い龍脈の真上に位置していてね。ここの様に幾つもの大きな【門】が封じられているのさ。それが……ここに学園が置かれた理由のひとつでもある」


 そうか……大きな【門】がいくつも存在する場所だからこそ、学園という柵で囲って外界から厳重に隔離する必要があったのか。学園の中なら妖は近づけないし、何かあってもすぐに術者たちが駆けつけられる――――


「もっとも、残念ながら今は学園の主な術者……すなわち四方院家の面々は出払っている。土蜘蛛の皆が頑張ってくれたからね。他の名家の術者も幾らかは残っているだろうが、そのほとんどは戦闘向きじゃあない」


 いつの間にか、男性の手には一振りの刀が握られていた。鮮やかな朱色の鞘に収まった日本刀。彼はそれを……光の柱の前にかざす。


「だから門番を置けば……誰も手出しは出来なくなる。折角開けた門だ。簡単に閉じられては面白くないからね」


 ごうごうと唸り、立ち昇る霊力の柱。そこから溢れた光の筋が、一本、また一本と刀に絡みついていく。やがてそれは……刀を掴んだ一本の腕へと変わっていた。


「後は“彼”に任せるよ。私は、荒事が苦手なんでね……」


 男性は刀から手を放すと、くるりと身をひるがえし森へ向かって悠然ゆうぜんと歩き出す。


「ま、待って! あなたは……あなたは人間でしょ! どうしてこんな事を……どうして妖の味方なんてするの!?」


 ぼくの必死の問い掛けに、彼は一瞬立ち止まり……


「言ったろう? これは仕事なんだ」


 そう答える。信じたくない。信じたくないけど……あの人は妖と通じている。今夜の事件そのものが、彼を学園に忍び込ませる為の陽動だったのだ。


 妖を阻む結界も人間相手には何の力も持たない。要所要所に監視カメラがあるとはいえ、広大な敷地内からたった一人の侵入者を見つけるのは困難だ。

 これは学園の防備の死角を突いた……巧妙な戦略。


 そして、あの人は学園内の【門】を見つけ、開いた。現れては消える小規模なものとは桁違いの大きさの【門】。これ程強大な霊力を放つそこからは、当然……


 がしゃり、という金属音と共に、光の柱の中から一歩、また一歩と踏み出して来たのは……まるで戦国時代から迷い込んだかのような甲冑かっちゅう姿の鎧武者。


 兜に三日月型の前立てがある以外は、装飾の少ないいかにも実戦用の赤黒い鎧。その手にはあの男性が持っていた朱鞘の刀を握り、顔にはめられた面頬めんぼおの奥から漏れる暗い炎のような輝きは、それが紛れもなく人外の者である事を証明していた。


 ――――学園に張られた結界は妖の侵入を阻む。しかし、それも学園内の門から現れた妖に対しては……無力。


 そう。すべてが最初から綿密に練られた計画。術者の総本山、天御神楽学園を崩壊へと導く……恐るべき罠の真相!


「それでは御機嫌よう、我が麗しの姫君。また逢える日が来る事を祈っているよ」


「あっ! 待って――――」


 背中越しに手を振りながら、男性は暗い森の中へその姿を消す。咄嗟に追いかけようとしたぼくの前に、立ちふさがる……禍々しい妖気を放つ鎧武者。


「何の妖かは知らないけど……」


 ぼくは周囲の風を集め、束ねて一陣の旋風を紡ぎ出す。この妖、手加減できるような相手じゃ……無い!


「そこを、どいてっ!」


 強烈な突風を鎧武者めがけて放つ。人一人どころか、軽自動車くらいまでは吹き飛ばせる威力の暴風だ。重い甲冑を身に着けていても、これは耐えられるものじゃない。


「!?」


 ぼくが想像したのは、鎧武者が木の葉のように舞い上がる姿。そうでなくても、腰を落としてその場に踏ん張るくらいの事はするものだと思っていた。


 だが……現実ははるかに想定外。ぼくが放った突風は、鎧武者の目の前で突然掻き消えてしまったのだ!


『ウソ! 効いてない!?』


「くっ、もう一度だ!」


 再び突風を放つ。こっちへまっすぐ歩いてくる鎧武者の、少なくとも足止めくらいになればと――――

 しかし結果は同じ。ぼくの風は相手に届くことなく、直前で霧散してしまった。


「ぼくのコントロールが甘いの? いや、でもさっきまでは普通に使えてたのに……」


『違うよとーや! アイツを良く見て!』


 言われて、ぼくは鎧武者に意識を集中する。そして……視た。鎧武者を中心として球状に広がる、それは霊力の壁。強力なそれが、ぼくが操る風の侵入を阻んでいたのだ!


「防御の術……結界!? だとしたら、ぼくの攻撃は全部――――」


 全部、効かないってこと? そんな、それじゃあどうやってこの妖と戦えばいいの!?


 激しく焦るぼくの様子を尻目に、鎧武者は一歩ずつ歩みを進めてくる。そして、ぼくとの距離が五メートルを切ったあたりで立ち止まり……鞘に入った刀を正面にかざす。

 ゆっくりと引き抜かれる刃から、更に濃い妖気のようなものが溢れ出すのを見て、ぼくの背筋に冷たい汗が走った。


 これは、やばい。静流ちゃんに憑依したあの巨大ウンディーネでさえ、これほどの妖気を発してはいなかった。


『と、とーや……アレ……』


 しるふが示したのは、今もとめどなく吹き上がる光の柱。そこから何本もの霊力の枝が生じ、その流れはすべて……あの鎧武者の身体へと繋がっていた。


「まさか……【門】の力を直接取り込んでいるの!?」


 そんな、馬鹿な! 樹希ちゃんから聞いた話では、人も妖も【門】の力を制御する事はできないはずなのに!


 抜刀を終えた鎧武者が、朱色の鞘を放る。それがからん、と乾いた音を立てて転がるのが速いか。

 ぼくの眼前に、ぎらぎらと輝く刃が飛び込んできた。


「!!」


 咄嗟に後ろに飛んだぼくの鼻先を、鋭利な切っ先がかすめる。逃げ遅れ、切断された銀色の前髪の先端が……光を反射しながらスローモーションのように舞い散っていく。


 息をつく暇もなく、次の斬撃の態勢に入る鎧武者。これはあまりにも、分の悪い戦い――――


 気が付けばぼくは、その渦中へと巻き込まれていたのだった。

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