第37話 妖術・黒ノ呪獄

「クソ……どうなってやがんだ、コイツは!」


 俺、すなわち【がしゃ髑髏どくろ】の我捨がしゃの前にあるのは……闇。


 右も左も、頭の上まで真っ暗闇だ。さっきまでの夜の闇とは違う、僅かな光の存在も許さない――――それは全き暗黒。




 つい先程、空中から四方院のガキに攻撃を仕掛けた刹那。膝をついたヤツの足元から真っ黒い煙が吹き出し、瞬時にその姿を覆い隠したのだ。


「煙幕!? そんなチャチな術でッ!」


 俺は構わず、背中から生えた骨腕――――妖怪【がしゃ髑髏】の本来の腕でヤツの居た辺りを薙ぎ払うが……案の定、手応えは無い。着地してその姿を追おうとするも、煙幕が瞬く間に視界を閉ざす。


「チッ……何処どこへ行ったァ!」


 吠えながらも、俺は冷静に気配を探る。これも【がしゃ髑髏】の能力で、近くに存在する生者の居所を感知できるというものだ。

 近ければ近い程情報は正確になり、種族や大まかな身体のサイズ等も分かってくる。


 だが、周囲にそれらしい気配は一切無い。探知の範囲を広げても、結果は同じ。俺の周りには、ただ物言わぬ闇が広がるだけだった――――




「まさか……逃げやがったのか?」


 可能性としてはあり得なくも無いが……俺はすぐにその考えを捨てた。ヤツには飛行の術があったはず。逃げる気ならばどこまでも飛んで逃げられるじゃねえか。


 それがわざわざ煙幕を張ったという事は、反撃への布石と見て間違いない。ヤツはすぐ近くに潜んで、こちらがスキを見せるのを待っているのだ。


 瞬間、頭の後ろで殺気が弾ける。咄嗟に身をかがめた俺の頭の上を、ヤツの蹴りが稲妻のように駆け抜けていった。


「――――ヤロウ!」


 蹴りが飛んで来た方向へ骨腕を振るも、その指先は虚しく空を切る。再び集中して気配を探るが……やはり周囲には蟻の子一匹居やしない。


 何かが……おかしい。ヤツが仕掛けてくるその瞬間まで、気配どころか物音ひとつ聞き取れねえなんて。

 普段の俺なら有り得ねえ事だ。ついさっきまでは地面の下からでもヤツの居場所を正確に把握できていたっていうのに……

 まさかこの暗闇、視界だけじゃなくヤツの気配までも消していやがるのか!?


 ――――二撃、三撃。防戦一方の俺を嘲笑うかのようにヤツは攻撃を繰り返す。間一髪のところでかわしちゃあいるが、このままではジリ貧だ。何とかして反撃の糸口を掴まねえと。


「しゃあねェな、俺の主義には反するが……」


 ここはヤツの攻撃を敢えて受け、カウンターを叩き込む以外ねえ。いくら霊力を上乗せした所で、ヤツの体格では俺を一撃死させる程の打撃は放てねえはずだ。


「一撃の重さならコッチが上だ。さあ、来やがれ!」


 感覚を限界まで研ぎ澄まし、俺は待つ。寸前まで気配が掴めないとはいえ、ギリギリで反応する事はできる。

 ヤツが次仕掛けて来た時、それが年貢の納め時だぜ。


「……どうした、来い! 怖じ気づいたのかァ?」


 攻撃が……止んだ。こちらの狙いがバレたのか? だとしたら、ヤツの次の一手は――――


「――――!!」


 突如として、背筋を走る悪寒。妖としての能力ではない、俺の人間の部分が放った警鐘けいしょう! 反射的に地面を蹴ると、一瞬前まで立っていた場所が閃光と共に激しく爆ぜた。


「おおッ!」


 爆風に吹き飛ばされ、俺は硬い地面をゴロゴロと転がる。あれは……雷術! さっき工場を瓦礫の山に変えたのと同じ術か!


「そう来るかよ……チィ!」


 骨腕を使って跳ね起き、すぐにその場を飛び退く俺の背中を新たな爆発の衝撃が打つ。


「クソ! これじゃあカウンターも糞もねえッ!」


 走りだそうとした、その真正面の闇から飛び出した蹴りが頬を掠める。骨腕を地面に突き立て転倒を防ぐも、更なる連撃が俺を襲う。


 ――――どうなってやがる? ヤツの動きがさっきよりも速い。いや、俺の動きが鈍っているのか? 寸前で反応できていたのが、どうにも追いつかなくなってきている。

 既に回避する余裕はなく、受け流してクリーンヒットだけは避けているものの、それだっていつまで続くか分からねえ。


 それに、打撃の合間に放たれる雷術が曲者だ。打撃なら受けられても、コイツは不味い。うっかり浴びたら一発で致命傷……これでカウンター待ちは封じられちまった。


「畜生! 可愛い顔してヤル事がえげつねーぜ!」


 雷術は見てからじゃあ避けられねえ。となると必然、常に移動し続ける必要がある訳だが……それは同時に、ヤツの打撃の雨に自ら突っ込む事をも意味する。

 俺にとっちゃあ無明の暗闇だが、向こうはこちらの居場所を正確に掴んでいやがるのだ。


 骨腕のガードの上に、ヤツの踵が叩き付けられる。人間のそれの数倍の強度を誇る骨がみしみしと軋み、それを支える足元がクレーター状に沈み込んだ。


「いや、ちょっと待てよ!?」


 どう考えても、威力が増している! スピードだけじゃ無く、パワーまで上がるなんて有り得ねえだろ!


「おいおい、コイツはまさか……」


 そういえばさっきから妙に体が重い。俺がこんな短時間でへばる訳がねえんだが、今はまるでフルマラソンの最中のような疲労がのしかかっている。

 そして、それに反比例するかのようにヤツは力を増していく……俺の頭の中で、恐ろしい仮説が首をもたげた。


「……吸ってやがるのか、俺の霊力ちからを!」


 この暗闇、ただ術者の身を隠す程度のモノだと高をくくっていたが……冗談じゃない。これは中に居る敵の霊力をじわじわと吸い取り、術者の力に上乗せする……とんでもない術だったのだ!


「やべえぞオイ……って、ぐあッ!」


 眼前で雷光が弾け、俺は数メートル後ろに吹っ飛ばされた。背中に激しい衝撃を感じると同時に、バラバラに砕けた木製の柵が辺りに飛び散る。


「痛てて……これは工場の周りにあった柵か。って事は――――」


 俺は骨腕を引っ込め、代わりに生身の両手をポケットから出した。


「コイツを出す時は、本気マジにやる時って決めてたんだがよォ――――」


 そして、走り出す。直角に曲げた腕をガシガシと振って、全力疾走だ!


「まさか、本気で逃げる羽目になるたァな!」


 そう、俺は逃げた。今回の仕事は四方院相手の“時間稼ぎ”……それならもうこの辺りで充分だろう。このまま続けたら霊力を吸われて干乾びちまう。


 あの術のヤバイ所は、その仕組みを理解した時には既に手遅れだって事だ。コッチは霊力を失い、逆に向こうは力を増す……理不尽極まりない、まさに初見殺し。


みずちの旦那をしてヤバいと言わせるだけの事はあるぜ……確かに、並の妖がこの術中にハマったら生きちゃあ帰れねェ」


 ただ一つの希望は、この闇の結界が完全に閉じられてはいないという事だ。俺が走っている足元は、間違いなくさっきの工場の前を通るアスファルトの道路。

 どこか異空間に飛ばされたって訳じゃない。走れば走っただけ移動はできるのだ。


 しかし、いくら走っても闇が晴れる気配は無え。こんな強力な結界を広範囲に張れるとは思えねえから、恐らく結界の中心であるヤツ自身が俺を追ってきているのだ。

 こう見えても足には自信があったんだが……これも霊力を吸われた影響か。全く振り切れる気がしねえ。


「クソッ! もう少しだってのに……」


 あと少しで“例の場所”に辿り着く。最後の力を使って加速しようとした俺の隣に、突然気配が飛び込んできた。


「テメエ、この俺に追いついて――――」


 真横を走る、巫女姿の少女。その爛々らんらんと輝く双眸そうぼうがこちらを睨む。「絶対に逃がさない」という意思を込めた、強烈な殺意の視線!


 次の瞬間、目にも止まらない速さの衝撃が俺の身体を真横へ弾き飛ばす。ロクに防御もできない状態で受けた……今までで最大の打撃。


「ぐはッ!!」


 やべえ。アバラを何本かやっちまった……折れた骨の再生は出来ても、内蔵へのダメージは専門外だ。それに、走ってる間にもかなり霊力を持っていかれてる。


 何とか立ち上がろうとする俺の目の前で、かつん、と音を立てるハイヒール。俺を見下ろしながら、四方院の巫女がその口を開く。


「お前は逃がさない。今、この場で……潰す!」

 

 一辺の情けも無い、それは処刑宣告。ゆっくりと振り上げられるすらりと細い脚、その狙いは……


 俺が覚悟を決めた、その時。闇を貫き突如として押し寄せたのは――――濁流! まるで洪水のような水流が一瞬で四方院の巫女を闇の中へ押し流していく!


「手を伸ばせ、我捨!」


 聞き覚えのある声にうながされ、俺は水流から差し出された手を掴んだ。


「まさか、あんたが直々に来てくれるたァな……みずちの旦那!」


「幽玄が目的を達した。我等は退くぞ!」


 水流に乗って、逃れる先は“例の場所”――――道路を越えた先にある広い川。水妖達が待つ俺等の逃走経路だ。


「悪いなァ四方院! 今夜の遊びはここまでだ!」



 そして、次に遭った時は……覚えてろよ?

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