第36話 魔法少女、誕生!

 そこは、美しい国だった。


 どこまでも高く伸びた木々と、その隙間から差すまぶしい程の木洩れ日。

空にはしるふに似た羽をもった妖精たちが踊り、陽気な歌声が絶えることなく続いている。

 そして地平線の彼方まで続く……一面の花畑。ぼくなんかの貧弱な語彙では表しきれない、ただただ美しい世界。


 たぶん、しるふの記憶なのだろう……契約の儀の影響で、一心同体となったぼくにイメージが流れ込んでいるのだ。


 風が花びらを巻き上げて、ぼくの周囲は花霞に包まれる。これがしるふの故郷、妖精の国の風景なのだろうか。こんな景色を見せられたら、人間世界にある自然がひどく残念なものに思えてくる。


『……や…とーや~』


 しるふの呼び声を聞いた、丁度その時。

ぼくは見た……桜色の花霞に包まれて、静かにたたずむ後姿を。長い黒髪を風になびかせながら、ゆっくりと振り向いた女性……それは、ぼくのよく知っているひと。


「――――お母さん!」


 近づこうとするぼくを阻むように花びらは渦を巻き、視界のすべてを桜色に染めていく。そして……



『とーや!』


 頭の中から響く声に、はっとして目を開けると……そこは元いた校庭の片隅。いつも通り、何も変わりない風景だ。


『どーしたのとーや、もしかして変身酔い?』


「いや、お母さんが……って、変身!?」


 そうだった。ぼくは変身したのだ……正確には契約だけど。となると、どうしても気になるのは……


 ぼくは覚悟を決めて自分の体を、特に腰のあたりを確認する……よ、よかった。スカートじゃない!


『アタシはスカートのほうが良かったナー。やっぱフリフリじゃないと……』


 なんとか寸前でのイメージ変更が間に合ったみたいだ。しるふには悪いけど、ここは譲れない。


 ぼくがまとっている衣装は、中世ヨーロッパの王侯貴族をイメージしたものだ。

 縁に金の刺繡の入ったブルーの上着に、下はかぼちゃパンツ的に大きく膨らんだ太もも丈のズボン。腰には細緻に装飾された短剣が差さっている。腕と足は薄いブルーのタイツ状の生地に覆われ、その先は同じ意匠のグローブとブーツ。頭には申し訳程度の大きさの王冠コロネットが乗っている。


 そう、これは王子様の衣装……あの学芸会の時ぼくがデザインし、静流ちゃんが身に着けたそれを手直ししたものだ。


 咄嗟とっさに思いついたのがこれしかなかったとは言え、まさかぼく自身がこの衣装を着ることになろうとは……日頃女の子の衣装ばかりデザインしていた報いだろうか。

 しかも微妙に修正が間に合わずフリフリのフリルが残っていたりする。これは多分、十人中十人が女の子の服だと思うんじゃないかなぁ……


『ダイジョーブ! バッチリ似合ってるから! だれも男の子だなんて思わないヨ!』


 体の内側から聞き捨てならない言葉が響いてくるのに合わせて、手足にある刺青状の紋様がきらきらと脈動する。これはぼくのデザインには無かったもので、多分強制的に生じる類のものなのだろう。

 紋様の中を流れるきらめくエメラルドグリーンの光の粒。そういえば例の魔法少女にも同じような紋様があったっけ。


「……ところでこのデザインって、後から変更とかできないのかな?」


『ゴメン無理~』


 ……はぁ、予想してた通りの返答ありがとうございます。とりあえずスカートじゃないだけ良かったと……思おう。


『それよりサ、やりたいコトあるんでしょ?』


 そうだ。今は見てくれなんか気にしてる場合じゃない。こんな姿になったのは、そうしなければならない理由があるからだ。


「うん。いきなりだけど、やらなきゃいけないからね」


『ヨーシ。それじゃあとーや、まずは目を閉じて風を感じてみて!』


 しるふの言った通りにすると、途端に体の中を風が吹き抜けるような感覚に襲われる。いや、感覚そのものが風に溶け込んでいるのだ。こんなの、仮契約の時には無かったのに。


『次は、目を開けて風を“視て”』


 恐る恐るまぶたを開けたぼくの眼に飛び込んできたのは、仮契約の時に見たのとは全く異なる世界の姿だった。

 濃さの異なる、蒼い流れ。前に視た時はぼんやりしていた空気の流れがハッキリと視認できる。簡単に言えば、“風の通り道が視える”のだ。


 手を伸ばして、細い空気の流れに指先をひっかけてみる。微風は指に引かれてくにゃりと曲がり、そのまま指にそって流れていく。


 ぼくは指先に神経を集中して、念じてみた。か細い空気の流れはその細さを保ったまま加速し、空中をジグザグに駆け巡る。その軌道まで含めて、すべてぼくが念じた通りに。



 ――――仮契約した時もその不思議な力に驚かされたけど、これはそれ以上だ。

 周囲に在る空気の流れ、その全てを、今ぼくは掌握している。これが風の精霊がもつ真の力だと言うなら……ぼくはとんでもない力を手にしてしまったのかもしれない。


『どう? とーや。アタシの真の力は!』


「……これなら、いけるかも。ううん、絶対うまくいく!」


 昔、お母さんが言っていた言葉がある……「正しい事をするときは迷うな」と。

 もしそれで間違ったとしても、後で後悔なり謝罪なりすればいい。自分が正しいと思った道を貫く事。それが自分の人生を生きるという事なんだって。


 その話を聞いた時はいまいちピンと来なかったけれど、今ならわかる気がする。ぼくはぼく自身の選択で、もう戻れない道を……けれど、信じた道を歩み出すのだ。


 それに、ぼくはひとりじゃない。大切な友達のしるふと、この世に流れゆく風のすべてが、ぼくの味方なのだから。


「行こうしるふ! これがぼく達の初陣だよっ!」


『アイアイサー!』


 頭の内側から鳴り響く威勢のいい声に勇気をもらいながら、ぼくは最初の一歩を……


 踏み出した、つもりだった。


 ――――後にして思えば、風の精霊にとっての一歩とは、すなわち空を駆ける一歩なわけで。


 一歩踏み出したつもりのぼくの体は、いきなり空高く舞い上がってしまったのだ。


 それも、生半可な高度じゃない。校舎の屋上をはるかに越えて、なお高く……気がつけば、下に広がるは一面の白い曇。たった一歩のつもりが、なんと曇の上まですっ飛んでいたのだ!


『ちょっととーや、気合入れスギー!』


「ご、ごめん……」


 仮契約の時にコツはつかんだつもりだったけど、なまじ大きな力だけにコントロールが難しいって事か……それに、今になって気付いたけど、ぼくの背中にはいつの間にかしるふと同じようなはねが生えている。サイズ比率もしるふのそれと変わらない、立派な翅だ。こんな高度まで上がってしまったのは多分、この翅を計算に入れてなかったせいなのだろう。


 それが分かったなら、今度はうまくやれる。この力でウンディーネから静流ちゃんを救い出すのだ。


「今度こそ、いくよしるふ!」


 目指すは雲海の下、水の精霊ウンディーネが待つ屋上。ぼくは翅を羽ばたかせ、一直線に空を駆け降りた。

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