第32話 白昼のカースタント
【前回までのあらすじ】
渋谷の街で大規模な召喚術を行った妖を追い、奔走する天御神楽学園の術者たち。
集団行動を嫌う不知火ミイナは、自らの勘だけを頼りに妖の手掛かりを追う。
現場付近で怪しい動きをしていたチンピラを締め上げ、妖のアジトの情報を得た彼女は、そこで人狼・犬吠埼昇の襲撃を受けるもこれを撃退する。
途中で偶然出会った灯夜たちのピンチを救いつつも、ミイナは逃げる犬吠埼を追い続ける。高架橋上で渋滞した高速道路において、ついに二人は対峙するのだが……。
◇◇◇
「わわっ、あわわわ――――!」
己に向かって投げつけられた、タクシー運転手の身体。悲鳴をあげながら迫るそれを、不知火ミイナは一歩身を引いて回避した。
いつもなら造作なく払いのける所だが……今の彼女の右手は炎の鉤爪と化している。
――――こいつは、ただの運転手。妖に利用された被害者に過ぎない。ならば……これ以上
受け身を取れず、アスファルト上を無様に転がる哀れな運転手を
その車体は、彼女が運転手を避けるため身体を引いたその間に渋滞の列を抜け出し、路肩を猛然と走り出していた。
「フッ……この期に及んで、まだ逃げるつもりか」
一連の騒ぎを目撃した周囲の車から、何事かという驚きの視線が注がれる中……ミイナはタクシーを追って走り出す。
常識で考えれば、生身で自動車に追いつける筈は無い。だが、それでも彼女は走る。渋滞で塞がった道路の上で、いずれ車が失速するのを期待したのだろうか?
……いや、違う。黒く硬い路面を蹴る瞬間、彼女の足元に散る火花と……その度にぐんぐん加速していく細い身体。
不知火ミイナは、あくまで自分の足で追い付くつもりなのだ。
妖と契約し霊装を果たした術者は、その妖の持つ妖力を自在に扱うことが出来る。術者自身の力に加えて、人外の身体能力と妖力を併せ持つ……それが霊装術者という存在である。
しかし、それは決して万能とイコールではない。強大な力を行使する霊装時には、避けられないデメリットもまた生じるのだ。
その最たるものこそ……霊装した姿が“目立ちすぎる”事である。
奇抜で派手なコスチュームは元より、身体を縦横に走る輝く呪紋は黙って立っているだけでも人目を
自身と妖の存在を
ミイナは、そういった不具合に対して幾つかの対応策を編み出していた。右手を炎の鉤爪に変える術に、今用いている……足の接地面で爆発的に空気を燃焼し、その勢いで加速する術。
それらは彼女が、霊装する事なく契約した妖の力を引き出している証拠。本来であれば専門の師範の下で学ぶそれを、ミイナは独学でマスターしていた。
……彼女自身が生き延びる上で、必要な技術だったからだ。
「――――本当なら手加減抜きでぶちのめしたい所だが、生憎ここは人目が多すぎる。また生配信でもされたらたまらないからな」
彼女にとっての最優先事項は、もちろん妖を仕留める事であったが……その為には、
もっとも、理解した上で無視することも少なくはないのだが。
「ほら、追いつくぞ? 命が惜しいなら、もっと本気で逃げてみろッ!」
ものの一分も経たないうちに、彼女は先行するタクシーに追い付いていた。高速道路とはいえ、路肩で出せるスピードには限界があるのだ。
犬吠埼の不安は、残念ながら的中していたようである。
「クソ、なんてこった! 真っ直ぐの高速じゃ逃げ場もねえじゃねーか!」
組長付きの運転手を務めた事もある犬吠埼だが、高速道路の路肩を爆走するのは流石に初めての経験だった。それに加え、追手は生身で車に追い付くような化け物だ。
この屋根の剝がれた旧式のタクシーで逃げ続けるのも、そろそろ限界だろう。
「せめて、どこか分岐でもあれば……って、うおッ!」
不意にタクシーの車体が激しく揺れた。そして、背後で揺らめく熱気と……殺気!
「捕まえたぞ、犬野郎……鬼ごっこもここまでだな!」
サイドミラー越しにちらりと映ったのは、炎の鉤爪を後ろのトランクに食い込ませ、車体に取りついた少女の姿。
――――
最早ここまでか。絶望に染まりゆく彼の視界……しかしその端に待ち望んでいたものの姿を認めた時、犬吠埼昇は雄叫びと共にアクセルを踏み込んだ。
「ええい、ままよ!」
そして荒々しくハンドルを切り、侵入禁止の看板が置かれた側道に突っ込む。がしゃんと柵を跳ね飛ばすと、タクシーは無人の高架上を加速していく。
道に横幅が出来たため、左右に振る動きも大きくできる。猛然とスラロームを繰り返しながら、疾走する犬吠埼の車。
「いい加減落ちやがれッ! しつこい女は嫌われるぞッ!」
「お前こそ、男のクセにいつまで逃げ回るつもりだ!」
平行線を辿る二人の会話。犬吠埼のハンドル捌きはミイナを振り落とすには至らないものの、彼女が車内に乗り込む隙を与えない。
だが、その拮抗した時間は長く続かなかった。側道の先に三つの分岐が現れたのだ。
一つは再び元の高速道へと合流する道。もう一つは資材の輸送に使うのであろう、高架の下へ向かう搬出入路。
そして最後の一つは行き止まり……途中ですっぱりと切れた建設中の道だ。
「だったら、選ぶ道はひとつ!」
追い詰められたとは言え、渋滞の列に戻るなど論外だ。限界まで沈み込んだアクセルペダルを更に床に押し付けて、犬吠埼は高架を下る出口へと車を向けた。
「景気よく飛ばしてるところ悪いが……そろそろ年貢の納め時だな」
……ぎしり。犬吠埼の背後で、リアシートのスプリングが軋む。蛇行運転を止めた為、ついにミイナが後部座席への乗車を果たしたのだ。
「ドライブは飽きたってかァ? 奇遇だな……俺もだ!」
それを待っていたかの様に、彼は勢い良くハンドルを切った。最高速度での方向転換に、タイヤが抗議の悲鳴を上げる。
「……っ、落ちると思うか!」
激しい挙動に晒されるも、易々と振り落とされるミイナではない。左手と両足を車内で突っ張り、彼女は右の鉤爪を振りかぶった。
「……ああ。落ちるんじゃねェぞッ!」
ミイナが鉤爪を振り下ろした、その刹那。運転席に犬吠埼の姿は無かった。車体が向きを変えるのと同時に、彼はドアから身を躍らせていたのだ。
運転手を失ったタクシーは斜めに車体を滑らせながら……行き止まりの柵を跳ね飛ばし、虚空へと舞い上がる。
「――――!!」
屋根の無い車はスローモーションのように放物線を描くと、橋脚の角に正面から激突した。
車体の前半分がぐしゃりと潰れるも、なお勢いを失うことなく落下し……派手にバウンドした後、数回転がってようやく動きを止める。
そして数秒の沈黙の後……裏返しのまま轟音と共に炎に包まれた。
「エクストリームだ。これで死ななきゃ、人間じゃねェ」
高架の上、切れた道路の端から……犬吠埼は燃え盛るタクシーの残骸を見下ろした。あのまま高架を降り、下の一般道でカースタントを続行したところで、彼が逃げ切れる可能性はほぼゼロだっただろう。
だから、彼は賭けに出た。その本能の導くままに、現状で取り得る最善手を選び取ったのだ。
――――しかし。
「……フッ、酷い言われ様だな?」
犬吠埼の足元に亀裂が走り、その奥から噴き出した火焔が爪先を舐める。転がるようにして後退した彼の前で、炎の鉤爪が道路の縁を掴む。
「ぬか喜びかよ……この化け物女が!」
まるで何事もなかったように、軽々と這い上がってくるミイナの姿を見ながら……犬吠埼は荒々しく唾を吐き捨てた。
「妖風情に化け物呼ばわりされるとはな。その言葉……高く付くぞ?」
冷たく言い放ちながらも、ミイナは不敵な微笑を崩さない。それは、彼女が学園では決して見せる事のない……心からの
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