第75話 憎しみの胎動

【前回までのあらすじ】


 ついに決着の時を迎える、紅の竜姫と不知火ミイナの死闘。竜姫の放った灼熱の閃光はミイナを飲み込み、池袋の街に大きな破壊の爪痕を残す。


 しかし灯夜の優しさに触れ、人を殺す事をためらう竜姫はあえてミイナに止めを刺さず、独りその場を立ち去るのだった。

 

 ……荒廃した街に残された、傷付いたミイナ。彼女の安否は果たして――――!?




◇◇◇



 ……地獄絵図というのは、まさにこのような光景を言うのだろう。


 ほんの数刻前までの整然とした街並みは、今やどす黒い煤に汚れ見る影もない。立ち並ぶビルに窓ガラスは無く、アスファルトの道路は所々砕けてめくれ上がっている。


 中でも凄まじいのは、大通りをえぐった一直線の巨大な爪痕だ。まるで数千、いや数万度の火炎にあぶられたかのような破壊の跡。

 一体いかなる存在が、これ程の破壊を行ったのだろうか? これと同様の惨状を生み出すには、少なくとも軍隊並みの火力が必要となる筈だ。


 それだけではない。街路に散乱する無数の肉塊……かつて【火の精霊サラマンダー】と呼ばれていた者たちの哀れな残骸もまた、この地獄を演出している要素のひとつであった。

 その身にまとっていた炎の残滓ざんしか、ばらばらに四散した後も弱々しく火のともあやかしむくろ


 死屍累々ししるいるいの無惨な有様……とは言え、この状態も精霊にとって厳密には“死”ではない。【火の精霊】という個としての存在で居られなくなった彼等は、これから精霊力の最小単位にまで分解され、ばらばらに拡散していくのだ。


 それは、再び世界の構成要素の一部に戻るという事。彼等はそこから永い時を経て新たな精霊や、より上位の霊的存在へと変化していくのだ。


 【火の精霊】は火に還る……この場に残された残骸たちも熱量と共に霊力を放出し尽くし、不可視のエレメントへと回帰していく筈だった。


 ――――しかし。


 骸から立ち昇る白煙に、乱れが生じていた。幾筋ものか細い霊力の筋が、街のある一点に向けて流れていくのだ。その行く先はまっすぐえぐり取られた道路の先、紅の竜姫の熱線によって穿うがたれたビルの、更に向こう側。


 この死に絶えた街で唯一、まだ命ある者が存在している場所に向けて……精霊の残り火たちは集いつつあったのである――――。


 


 ――――少女は、夢を見ていた。暗闇の中を深紅の炎が吹き荒れる度、崩れゆく廃虚に断末魔の絶叫が木霊する。地に伏したしかばねを火炎が舐め、あっという間に黒々と炭化した塊へと変えていく。


 それは、まさに悪夢としか言いようのない光景。だがその目を覆いたくなる惨劇を目の当たりにして、少女は……ミイナは微笑わらっていた。


「フッ……暴力は、より大きな暴力によってねじ伏せられるか。あたしは、ようやく手に入れたってワケだ……誰にも邪魔されずに生きていく為の力を!」


 ……難民キャンプを襲撃したテロリストたちは、ほぼ一瞬で壊滅させられていた。【炎の魔人イフリート】との契約を果たしたミイナの力は、近代兵器のそれを物ともせず荒れ狂い……襲撃者は残らず自らが虐殺した難民たちと同じ運命を辿ることになったのだ。


「これで、あたしはあたしのやりたい事ができる……まずは、この土地で受けた恩でも返すとしようか」


 ミイナがキャンプで過ごしたのはほんの半年程であったが、その日々は彼女が初めて味わった“普通の日常”だった。母国では得られなかった、あたりまえの平穏な毎日。

 だが、それを与えてくれた者たちはもう居ない。ならば、せめて彼等が望んでいた願いを……自分が叶えてやろう。


「焼き尽くしてやる……この地をむしばむ敵どもを!」


 そしてミイナは、勢力拡大を続けるテロリスト国家へ抵抗する現地の義勇兵に加わる事になる。子供とは思えぬ状況判断能力と生死の狭間を嗅ぎ分ける野生の勘、そして関わった部隊を勝利に導く強運……戦場は、彼女の持つ能力を十二分に活かせる場所であった。

 加えて要所で【炎の魔人】の力を用いる事で、ミイナは本職の兵士顔負けの戦果を上げていったのだ。


 ……やがて、転機が訪れる。それは彼女が戦場に身を投じてから、一年が経過しようとしていた頃であった。


 中東から世界に混乱を広げていたテロリスト国家の勢力に、陰りが見え始めたのだ。大国の積極的な軍事干渉が始まり、連日の空爆によって構成員の多くを失った彼等は各戦線で後退を余儀なくされた。

 義勇兵たちもこれを機に攻勢を強め、熾烈な戦闘の末、遂に敵勢力を国境外へと追い返したのである。


「終わった、のか……」


 少年兵部隊の指揮を任されるまでに至っていたミイナは、久方振りに訪れた平和にようやく安堵を覚えていた。


「これで、こいつ等が戦う理由は無くなる。難民たちだって自分の故郷へ帰れるんだ。あたしの戦いも、やっと終わる……」


 その晩、駐屯地で行われたささやかな祝宴の中で、彼女が自分と部下たちの今後について思案に暮れていた時だった。上空から爆音が響き、見上げると爆撃機の編隊がちょうど駐屯地の真上を通過する所だった。


「政府軍の爆撃機? こんな時間にどこへ……」


 ミイナの問いへの答えは、すぐに明らかになった。通過する爆撃機の胴が開き、魚類のような形をした大量の内容物をばら撒き始めたのだ!


「っ!? 伏せろ――――!!」


 彼女が叫ぶのと、駐屯地が閃光と爆炎に包まれるのは同時であった…………。



「……何故だっ! どうしてあたし達を爆撃した! 言えっ!!」


 生き残ったのは、ミイナただ一人であった。予期せぬ友軍からの爆撃により、彼女の所属する義勇兵団は応戦する間もなく全滅していた。


 墜落した爆撃機のパイロットの首を締め上げながら、ミイナは吠えた。誤射などではないのは分かっている。爆撃機は明らかに彼女たちを狙い、執拗に爆撃を繰り返したからだ……霊装したミイナによって叩き落とされる瞬間まで。


「違う、からだ……俺たちと、お前たちは……」


 虫の息のパイロットが語る言葉にミイナは最初困惑し、そして驚愕きょうがくした。爆撃は紛れもなく政府軍の指示で行われたものであり、その目的は……異民族の排除。


 ……この地では、古来より複数の民族が主権を争っていた。武力によって政権を奪い合っていた彼等は、テロリスト国家という外敵の脅威に対抗する為、一時的に共闘を余儀なくされていたのだ。


 しかし共通の敵との戦いが一段落したならば、彼等は再び敵同士に戻る。皮肉にも、一時の共闘がもたらす平和より……祖先より連綿れんめんと受け継がれる抗争の再開こそが、彼等の悲願であったのだ。


 ミイナと共に戦った義勇兵たちの多くは、現政府と対立する民族。それが……突然の攻撃の理由だった。


「ふざ……けるなッッ!!」 


 ――――テロリストたちを駆逐しても、戦いは終わらなかった。むしろこの地においては、戦乱こそがあるべき日常であったのだ。


「あたしの戦いは、無駄だったっていうのか……平和の為にと、同じ子供たちまで巻き込んで――――」


 力は、より大きな力によってねじ伏せられる。ミイナの願いは……歴史という抗いようのない巨大な力によって押し潰されたのだった――――。




「――――力。力だ…………もっと、大きな力。くだらない連中の言う事を、まとめてひっくり返せる力を」


 どんな理不尽をもねじ伏せる、圧倒的な力……ミイナは手を伸ばす。怒りのままに、更なる力を求める。


「もっと、力を……このバカバカしい世界を、根こそぎ変えられるような力を!」


 だが、足りない。怒りだけでは届かない。言葉にならない焦燥に魂を焼かれながら、彼女はなおも求めた――――怒りを超える力を。


 ……それは、彼女の内側にあった。思っていたよりずっと近くで、蠢動しゅんどうし続ける黒い塊。ミイナが自覚するずっと前から、それは魂の片隅をじわじわと焦がし続けていたのだ。


「力を……あたしの邪魔をするクソ野郎共を、一匹残らず地獄に叩き落とせるだけの力を!」


 その力の名は……“憎しみ”。ミイナの行き場のない怒りが積み重なって生まれた、くらく凝り固まった情念の塊。

 彼女自身の魂を塗り替える程のそれに、不知火ミイナは手を伸ばす。



 灼けつく塊に指先が触れた時、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。けれど、彼女は……


 ためらう事なく、その塊を……憎しみの黒き炎を握りしめた――――。

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