第76話 取り引きは危険の香り

【前回までのあらすじ】


 某六十階建てビル最上階の展望台で囚われの身になっていた主人公……月代灯夜。静流の助けにより縛めから解き放たれた彼は、ついに蟹坊主・冨向入道と対決することになる。


 愛音との訓練で身に付けた霊力のコントロールにより、新たな技“風の網”を編み出した灯夜。冨向の自由を奪い、誰もいない屋上へと戦いの場を移すのだった……。



◇◇◇



「――――ぐえっ!」


 身動きが取れないままの冨向入道が、コンクリートの床に転がされカエルのような悲鳴をあげた。


「お、おとなしく観念するんだっ! ぼくの“風の網”からは逃げられないぞっ!」


 六十階ビルの、ここは屋上。今は立ち入り禁止となっているようで、人の気配はまったくない。

 まあ、万が一の事を考えて誰もいない場所を選んだのだから、人が居てもらっては困るのだけど。


「ぐぐ……こんな所に連れてきて、儂をどうするつもりだ!」


 うつぶせのままもがきながら、不快感たっぷりにわめき散らす蟹坊主・冨向入道。けれど、彼がこのビルの人達にした事は許せるものではない。

 どうするもこうするも、まずは掛けた術を解いてもらわなければ。


「み、みんなから霊力を奪うのを今すぐやめろ! そしてこのビルの障壁を解くんだ!」


 それが現時点での最優先事項。このまま霊力を奪われ続ければ、ビル内のみんなの命が危ない。それに、障壁の術が解除されなければぼくも含め誰も外に出られないし、助けに来てもらう事もできないのだ。


「儂に術を解けと言うのか! ぐぬぬ……」


 冨向入道の顔が苦悩に歪む。彼にとって、この障壁は守りの要……言わば生命線だ。これを解除してしまえば、今までおこなってきた悪事の数々がすべて水泡に帰してしまう。


「駄目だ……それだけは出来ぬ。そんな事をすれば、儂はお終いではないか」


 ここまで追い込まれても動けないところを見ると、彼にぼくの“網”を自力で破る力は本当にないのだろう。彼は今、生殺与奪の権利をぼくに握られているわけだ。

 もはやぼくに従う以外、彼に道はない……はずなのだけど、あちらは今もすごい目つきでこっちを睨んでいる。


 そう、足りないのだ……彼に言う事を聞かせるには、まだ一手足りない。そして、その一手とは――――


『こんなになってもまだナマイキな口を聞くなんてっ! とーや、コイツちょっくら痛めつけてやろうよ!』


 それは“脅し”……素直に従わないと痛い目を見るぞという事を、こちらが態度で示さなければならないのだ。


「うーん、そうは言ってもなぁ……」


 動けない冨向入道はただゴネているだけだ。しるふの言う通り軽~く痛めつけてあげれば、きっと言う事を聞いてくれるはず。野望も陰謀も自分の命には替えられないのだから。


 ――――しかし。しかしである。その軽~く痛めつけるという行為が、ぼくにはどうにもハードルが高い。こうして身動きできない相手をさらに傷つけるなんて……いや、そもそも相手を傷つける事自体、ぼくとしては避けたい行動なのである。


 こんな時でも、樹希ちゃんや愛音ちゃんならためらわず手を下せるのだろうけど。「素直になるまで電圧を上げてあげるわ。脳が焦げる前に降参することね」とか「そのカニ脚を一本ずつもいでやるぜ。フフフ何本まで耐えられるかな~?」とか……


 ああっ駄目だ、ぼくにはそんな残酷なことはできないっ! 人にはどうしても、向き不向きという物があるのだ!


「と……取引だ、【妖遣あやかしつかい】! 儂と取り引きせい!」


「え、取り引き!?」


 ぼくが躊躇ちゅうちょしている間に、冨向入道は先手を打ってきた。身体は動かせずとも頭は回るという事か……向こうも必死なのだ。


「そうだ。今しばし……今しばしこの儂を見逃すのだ。さすれば、貴様とその仲間を障壁の外へ出してやってもよいぞ?」


『なにソレ!? そんなの取り引きになってないじゃん!』


「だ、駄目だよ! ここに囚われている人達を残していけるわけない!」


 あまりに身勝手な要求に、ぼくとしるふはこぞって反論する。さすがにこれじゃあ交渉の余地がない。


「まあ聞け! 本来ならば、儂が目的を達するには夜中までここに籠る必要があった。だが……事情が変わったのだ」


「事情が、変わった……?」


「そう、あの竜の娘が予想以上に暴れて力を使ってくれたお陰でな。恐らくあと半刻……一時間もすれば、儂は望む力を手にする事が出来る。その程度の時間ならば、囚われている者達も無事で居られる筈だろうて」


 冨向入道の真の目的……それは紅の竜姫から妖力を奪い、我が物とする事。ビル内に人を閉じ込めるのは障壁を維持する霊力を得るためであり、それ自体が目的という訳ではない。


「その後は、そうだのう……何ならこのまま貴様達人間に下ってやろうか。どの道もうあやかしからも追われる身、敵を同じくする者同士手を組むというのも良いだろう。どうだ、悪い話ではあるまい?」


 彼がもし言う通りにするのなら、確かにこの場でもう被害が出る事はない。ぼくもすぐに外の応援に行けるし、冨向入道がこちらの味方に加わったら、妖たちの動向に関する重要な情報だって得られるかもしれないのだ。


 ――――けれど。


「……駄目だ。その取引には応じられない」


 この話を聞いたのがぼく以外の誰かなら、一考の余地ありと考えただろうか? だけど……ぼくにはそれに応じられない理由があった。


「応じたら……“彼女”は助からない。冨向入道、あなたに目的を果たさせるわけにはいかないんだ!」


 彼の目的が達成されれば、そのとき紅の竜姫は間違いなく命を落とすだろう。伝説の妖とは言っても、彼女からは冨向入道のような悪意は感じなかった。それに何より、彼女はもうぼくと心を通わせた――――大切な友達なのだ。


「くっ、そう言えば友達だの何のと言っておったな……餓鬼め! 下らぬ情にほだされるとは、愚かしいにも程が――――」


 がりりっ! 冨向入道が言い終えるより早く、その目の前の床が大きく削り取られた。深さは三十センチ、長さは屋上の端まで届くその亀裂を穿うがったのは、ぼくが放った風の刃によるものだ。


「おとなしく障壁を解け、冨向入道! 次は……当てるっ!」


 この威力なら、蟹坊主の硬い甲羅をものともせずに両断できるだろう。それを理解した冨向の顔がさっと蒼くなる。


「け、結局は力押しという訳か! おのれぇ……」


 ぼくだってこんな事はしたくない。けれど、やらなければ犠牲が出るとなれば話は別だ。ぼくには救いたい人達がいる。救うために戦うと決めたから、ここにいるんだ。

 そのためには……妖を倒す事から、いつまでも逃げてはいられない。



「さあ、言う通りにするんだ! ま、真っ二つにされたくなかったら、なっ!!」


 少し上ずった声をごまかしつつ、ぼくは精一杯の恫喝どうかつを放つのだった――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る