第77話 残酷なる真実

【前回までのあらすじ】


 ついに魔法少女に変身した主人公、月代灯夜と蟹坊主・冨向入道との対決は、某六十階建てビルの屋上へと戦いの場を移していた。


 新たな技“風の網”で冨向の自由を奪う灯夜。追い詰められた冨向は、彼に取り引きを持ち掛けてくる。

 自分を見逃せば人間側に付いても良いと言う冨向であったが、灯夜は紅の竜姫を救う為、あえてその要求を蹴るのだった…………。



◇◇◇



 ――――地上から立ち昇った煙に染められたかのように、空はいつしか灰色の曇に覆われていた。暑さを感じるほどだった五月の陽射しは、その向こうから熱のない光だけを池袋の街に振りまいている。


 ぼくと捕らわれたあやかしが対峙する……某六十階建てビル、その屋上。


「……どうした、冨向ふうこう入道! 早く障壁を解くんだっ!」


 ――――冨向入道。袈裟をまとった禿頭の僧侶を装っていた彼の正体は、背中に大きな甲羅を背負い、そこから八本の脚と一対のはさみを生やした恐ろしい姿の妖だった。


 しかし、その全身はぼくの生み出した“風の網”に捕らわれて、今は手も足も出せない状態にある。そんな状態でもまだ言う事を聞きたくないのか、彼は悔しげに歯ぎしりしながらこちらを睨み付けているのだ。


「は、早くしろっ! じゃないと……本当に真っ二つだぞ!」


 冨向の目の前には、ぼくが放った風の刃によって刻まれた一直線の亀裂が走っている。彼はそれとぼくの顔に視線を行き来させた後、眼をつぶって深くため息をついた。


「わ……分かった。言う通りにしてやろう。だが、その前にこの網を何とかして貰わんとな。起き上がらせてもくれぬのでは、術を解くどころではないわ」


 苦しそうに額から脂汗を流しながら、そう答える冨向入道。ああ、言われてみればその通り。身動きできないんじゃ何もできないよね。


「妙な動きをしたら、すぐにまた動けなくするからね!」


 厳しく言い放ちつつもぼくは慎重に風の網をゆるめ、彼が動けるギリギリまで隙間を広げてやった。すると冨向はぼくに苦い顔を向けながら、立ち上がりしぶしぶといった様子で印を結ぶ。


「……かつ!」


 そのひと声と共に、周囲から鋭い亀裂音が走ったかと思うと……ビルを包んでいた不可視の障壁は、瞬く間に粉々に霧散していた。


『やった! 中のみんなももう安心だネ!』


「そうだねしるふ。とりあえず、問題のひとつは解決だ!」


 障壁の術が解かれれば、ビルの中の人達はもう霊力を奪われる事はない。放っておいてもしばらくすれば自然に目を覚ますはずだ。

 さて、次の問題は……


「ようし……今度は、あの竜の姫様から力を奪う術を解くんだ!」


 冨向入道が、お姫様――――今は紅の竜姫へと姿を変えた彼女に掛けた術。本人に気付かれぬようにじわじわと霊力を奪い、死に至らしめる呪いを解かせなければ。


「く、くくく……小娘よ、貴様はどうやら何も分かっておらぬようだな」


 しかし、冨向はぼくの要求にあざけるような言葉を返してきた。竜姫から力を奪うのは彼の最終目的。それを阻まれるのは我慢ならない事だというのはぼくにも分かる。


「何を言ってもムダだぞ! 言う通りにしなければ、このままお前は――――」


「貴様はあの“竜”を救いたいのだったな。ならば問うが、儂が術を解いたところで……あ奴が助かると本気で思っておるのか?」


「……えっ!?」


 どういう事だ? 竜姫の命が危ういのは、そもそも冨向が掛けた術のせいじゃないか。それさえ解けば彼女は……


「くく、やはり知らなかったようだなぁ。ならば教えてやろう。あの竜の小娘はな……儂の術などなくとも、どの道長くは生きられぬのよ」


「な、何だって!?」


「【門】から現れた異界の妖のほとんどはな、こちらの世界では霊力を余計に失うことを知らずに消耗し、数日と経たぬ内にくたばるのよ。例えそれを知ったところで結果は同じ……霊力を抑えるすべを身に付ける頃には、消滅寸前まで衰弱しておる事だろうて!」


 ――――ぼく達の世界では、この世ならぬ存在である妖は大きく力を制限される。それについては知っていたつもりだけど、【門】から現れた妖がそんな末路を辿るだなんて……


「ふふふ……それが伝説の【竜種】ともなれば、消耗の度合いも桁違いよ。何せ術によって【門】を無理矢理広げなければべないような奴だからの。人の姿に化身してようやく一日、そうでなければ……恐らく一時間と持たなかったであろうな」


「そ、そんな……」


「あの小娘は、むしろ感謝するべきなのだ。儂と出逢わなければ、ここまで生き長らえる事は出来なかったのだからなぁ~!」


 ひーっひっひ、と甲高い笑い声が響き渡る。冨向が……あいつが言っている事はめちゃくちゃだ。そもそも術で召喚されなければ、彼女はこんな目に遭わなかった。感謝もなにも、すべての元凶はあの冨向自身じゃないか!


「まったく馬鹿な奴よ……見ず知らずの儂の言葉をあっさり信じおって。何が高貴なる血だ! あ奴は他の妖が自らにかしずき、尽くすのが当たり前とでも思っておるのか。何の見返りもなく元の世界に帰してやるなどと、そんな都合のよい話がある訳なかろう!」


 ぼくの気持ちなんてお構いなしに、なおも冨向の哄笑は続く……いや、待てよ?


「そうだ、帰せばいいんだ……元の世界に!」


 紅の竜姫はこの世界では生きられない。それが定めだとしても、元いた世界に――――【竜種】が存在している世界に戻る事ができるのなら。


「そうすれば、彼女の命は助かるはず。冨向入道、お前は知っているんだろ! 喚び出した妖を元の世界に戻す方法を!」


 一縷いちるの望みをけたぼくの問い掛けに、しかし冨向は冷笑で応える。


「ふん、そんな物は無いわ。この現世うつしよに喚ばれた妖が向こうに帰るすべなど、最初から有りはせぬ。仮に有ったとして、あの【竜種】の世界に【門】を繋げるのにどれだけの妖力が要ることやら……第一それだけの力があれば、こうして貴様如きに屈してはおらぬ!」


「な、何だって!? それじゃあお前は、できもしない事を彼女に約束したって言うのか! そんな……そんな事って!」


 ――――この世界に召喚された時点で、紅の竜姫の運命は決まっていた。それが、残酷なる真実。


「ふはは、そうよ! 少し考えれば解るような噓を、あ奴は疑いもしなかったわ! あのような愚か者が誇り高き【竜種】だなど片腹痛い。儂の術はな、死にゆくあ奴の力を少しでも世の役に立てようという崇高なる志によるものよ! 力とは、それに相応しい者の手にあって初めて価値あるものとなる。そう、この儂の……冨向入道のような――――」


「……その話、まことであるか」


 その時、不意に響いたのは……甘美なれども熱のこもらない、寂しげな少女の声。


「!」


「げっ、貴様がどうして此処ここに――――!!」


 同時に振り返る、ぼくと冨向。二つの視線が交錯した、その場所には――――


たばかったのか、富向……きさま、わらわを謀ったのか!」



 他ならぬ、紅の竜姫本人の姿があったのだ――――。

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