第45話 踏み出す勇気

【前回までのあらすじ】


 ゴールデンウイークに、クラスのみんなと池袋へ遊びに行く約束をした灯夜君。しかし、よりにもよって同じ日に小学生時代の友達、ちかちゃんに渋谷へ誘われてしまいます。

 悩んだ末にダブルブッキングを決行した彼は、替え玉役の雷華さんとの入れ替わりを駆使し、池袋と渋谷をせわしなく行き来することに。

 

 午後からの自由行動中、不思議な女の子……通称“お姫様”と仲良くなり、某六十階建てビル最上階の展望台にやって来た灯夜君たち。しかし、そこにはちかちゃん一行も観光に訪れていたのです。

 このまま鉢合わせしてしまえばダブルブッキング計画は崩壊。焦る灯夜君の思惑をよそに、外では妖の仕業と思われる火事、展望台の中でも人々が霊力を奪われて倒れるという異常事態が次々に発生!


 そして、“お姫様”と向き合って立つ……不吉な気配をまとった謎の男。今まさに、事態は風雲急を告げていたのです――――!



◇◇◇



「放せっ! 放せと言っておろうに! 貴様はいったいなんなのだー!」


 静まり返った展望台フロアに響き渡る、幼い女の子の声。赤いドレスの飾り帯を掴んで持ち上げられ、手足をばたばたさせているのは……ぼく達をここに連れて来た“お姫様”その人だ。


「ジタバタするんじゃねェ。分かってるんだぜ……今のオマエが力を使えねー事は」


 そして、彼女を持ち上げているのは……紫のスカジャンを着た白髪頭の男の人。子供とはいえ人ひとりを片手でなんて、細い身体からは考えられない怪力の持ち主である。


 周囲で大勢の人が倒れているという異常事態に加え、目の前で繰り広げられているこの光景……ほんの数分の間に起きた目まぐるしいほどの変化に、ぼくの頭はすっかりオーバーフロー状態になってしまっていた。


 それは想定外にして常識外。平和な日常が瞬時にして裏返る、現実感を伴わない恐怖。楽しい夢がなめらかに悪夢へと変わりゆくような……突然の急展開。


 ――――落ち着け、落ち着いて状況を整理するんだ。スカジャンの人の耳に入らないように、ぼくは静かに深呼吸をした。

 ちょうど柱の影になる位置にいたお陰で、彼はぼく達……ぼくと恋寿ちゃん、及川さんの存在には気付いていない。


 本当は、すぐにでも“お姫様”を助けに行くべきだと思う。あの男の人からは……何か嫌な気配を感じるのだ。けれど、それと同時に頭の中に生まれた疑問が、飛び出そうとするぼくの足を押し止めていた。


 まず、倒れている人たちはみんな霊力を奪われている。これはたぶん何かの術による物で、展望台全体……もしかしたらビル内のもっと広い範囲がその影響下にあると考えるべきだろう。

 そしてぼく達が意識を保っていられるのは、元々の霊力が一般人より高いからだ。恋寿ちゃんと及川さんは起きているのがやっとなのに、ぼくにはほとんど影響がないというのも、この霊力の総量が関係していると思われる。


 と、なればである。元気に手足を振って抵抗する“お姫様”も、それを軽々といなすあの男の人も……ぼくと同等以上の霊力を持っている事になるんじゃないか?


 そこが不思議なのだ。男の人の方は確かに只者ではないオーラを発しているけど、“お姫様”からはそういった力は感じない。

 彼女の霊力はせいぜい人並み程度だったはず。ならばなぜこうして平気でいられるのか?


 ……分からない。そもそも情報がぜんぜん足りないのだ。霊力を奪ったのが誰なのか、どんな術によるものなのかだって、ぼくには見当もつかないのだから。 


「さーて、どうしたものかなァ? 見つけちまった以上は放っておくワケにもいかねェ。ビルの外にでも捨てられりゃ簡単なんだが、それも無理になっちまったし……」


 男の人の周りの空気が、冷たく張り詰めていくのがわかる。彼と“お姫様”の関係……これもまた謎のひとつ。知り合い同士には見えないけど、何かしら因縁があるんだろうか?

 分かるのは、あの人が“お姫様”を大事に扱う気がないという事。そして、彼女を助けに行ける者が――――この場でまともに動ける人間が、もうぼく一人しかいないという事だ。


『しるふ、まだなの? 早く来てっ!』


 こんな状況で頼りにできるのは、やっぱり一心同体のパートナーしかいない。

 ぼくとその契約妖怪であるしるふの間には、常時見えない絆というか意識のバイパスが繋がっている。ぼくが厄介事に巻き込まれたとなれば、いち早く駆けつけてくれるはずなんだけど……


『ふえぇ、ダメだよとーやぁ! なんか壁みたいなのがあって中に入れないんだよ~!』


『か、壁だって!?』


 言われて振り返ると、窓と黒煙たなびく空の間に透明な壁がはりめぐらされているのが視えた・・・。これもまた何者かの術によるものなのか?

 こうなっては、もう外部からの救援は期待できない。


「やっぱり、ここで消えてもらうしかねェか。悪いがこっちも仕事なんでね……」


 “お姫様”を吊り上げたまま、男の人が反対の側の手をポケットから出した。そして指先を揃えた手刀を形作ると、先端を彼女の白い首筋へと向ける。

 まずい! やっぱりあの人は“お姫様”を傷つけるつもりなんだ! もう理由がどうとか考えてる余裕はない。今すぐ止めないと、大変なことになる!


 その時、ぼくのスカートの裾が不意に引っ張られた。見れば、恋寿ちゃんが……今にも泣き出しそうな顔をして首を振っているではないか。

 ……行っちゃダメ、と言いたいんだろう。あの二人の間に何があろうと、それはあの二人の問題。ついさっき出会ったばかりのぼく達が、関るべき事じゃないと。


 それは、たぶん正しい判断だ。恋寿ちゃんだって、できる事なら“お姫様”を助けたいだろう。けれど、今出ていったところで何ができる?

 いくら人より霊力があっても、ぼく達はそれを有効に使うすべを知らない。できるのは、それこそ止めてとお願いすることぐらい。


 それで許してもらえるなら良い。だが、あの男の人の雰囲気を見るに……それはあまりに甘すぎる考えだ。うっかり怒りを買って暴力を振るわれる可能性はかなり高いだろう。


 今出て行けば無事では済まない。だから、恋寿ちゃんはぼくを止めた。自分の手の届く範囲で最も多くを救う選択肢を、彼女は選んだんだ。

 それが結果として、“お姫様”を……もうひとりの友達を見捨てる事につながるとしても。


 恋寿ちゃんの頬を、ひとすじの涙が伝う。片方を助けるために、もう片方を犠牲にする……そんなつらい選択をしてまで、彼女はぼくを救おうとしてくれた。

 

 ――――胸の中に、ぽっと暖かい火が灯ったのを感じた。ぼくが抱えていた、不安や恐れといった重荷。それがふわりと浮き上がって消えていく。


「ありがとう、恋寿ちゃん……」


 ぼくは、ひとりじゃない。心配してくれる人が、助けてくれる人がいる。それは、とても嬉しい事なんだ。だから、ぼくは――――


「……けど、ごめん!」


 ぼくは、柱の影から一歩踏み出した。そう、ぼくにもいるんだ……助けたい人が。恋寿ちゃんには申し訳ないけど、ぼくはここで立ち止まっちゃいけない。


 手の届く所に、助けられるかもしれない人がいる。だったら迷う必要なんてない。たとえ傷付くことになっても、行かずに後悔するよりはずっといい。


「ええい放せ下郎! 貴様なんぞ、わらわが本気を出せば……」


 ……渋谷でちかちゃん達が危ない目に遭っている時、ぼくはこの一歩が踏み出せなかった。ミイナ先輩に助けられ、何事もなく済みはしたけれど……ぼくはあの時の事がずっと心に引っかかっていたんだ。


「うるせェな。いい加減黙りやがれ――――」


 魔法少女の力がなければ、月代灯夜は弱虫のままなのか? しるふと契約したあの日から……何も変わっちゃいなかったのか?


「止めてっ!」


 弓矢のように引き絞られた手刀が、放たれる寸前でぴたりと止まった。ゆっくりと首だけで振り返った男の人の視線が……突然現れたぼくの頭からつま先までをめるように移動していく。


「……何だ、オマエ? 冨向の手下……ってツラじゃねェが」


 不機嫌を隠そうともしない、ざらざらと乾いた声。男の人が放つこごえるような冷たい眼光に射抜かれて……心臓がびくりと震える。


「やっ、止めて……下さい! こんな小さい子に、酷いですよ!」


 それでも、ぼくは勇気を振り絞って声を上げた。まずは、自分の意志をハッキリ伝えないと。言葉が通じるのなら、話し合いで解決できる可能性だってゼロじゃない。


 ――――そう思っていた、けれど。


 ぼくの言葉を聞いた男の人は、無表情のまま数秒沈黙した後……うつむいて肩を小刻みに震わせ始めた。やがてそののどから、空気が漏れ出るかすれた音が流れ出す。

 それが、彼のわらい声だと気付いた時……ぼくの全身に例えようのない怖気おぞけが走った。 


「小さい子? 酷い? オマエ、もしかしてコイツが見た目通りのガキだとでも思ってやがるのかァ~?」


「……え?」


 その時、ぼくは“お姫様”が、つらそうに顔を歪めるのを見た……吊り上げられたままの体ではなく、心に生じた痛みをこらえるような表情を。


あやかしなんだぜ、コイツは! 可愛らしく化けてるだけの……そう、正体不明の化け物って奴だァ!」

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