第19話 深夜の乱入者
風に乗って飛び続け……十数分は過ぎただろうか。
街の灯りも次第にまばらになり、今ぼくの眼下に広がっているのは草の生い茂る広大な平地だ。
遠目には未開の原野に見えなくもないけど、ちょくちょく道路が走っている所を見ると別にそんな事はないようだ。休耕地ってやつだろうか?
そして正面からは、黒々とした山脈がどんどん近付いてくる。
ぼくがつかんでいる風の流れは、その山々を越えた先まで続いている。どうやら、途中で乗り換える必要はないみたいだ。
『ところでとーや……ずいぶん遠くまできちゃったケド、帰らなくていーの?』
しるふの問い掛けに、ふと我に帰る。初めての飛行体験に夢中になっていたせいで、肝心な事をまだ話していなかったのだ。
「ごめんしるふ、言い忘れてたけど……ちょっと行きたい場所があるんだ」
『ナニソレー! 楽しいトコ?』
今のしるふは憑依状態、ぼくと一心同体になっている。顔を見ることはできないけど、期待を込めた目で見つめている表情はなんとなく想像できた。
「いや、楽しいっていうのとはちょっと違うけど……せっかく飛べるんだし、行ってみようかな……って。たしか、そこの山を越えたらすぐだったはず――」
『すぐって、こんな真っ暗な山奥になにが……あ』
山々の隙間に隠れるように、その施設はあった。
背の低い木々やベンチ等が配された中庭を囲むように、L字型をした三階建ての建物が二棟。深夜なこともあって、明りが灯っているのは入口と一階の一部だけだ。
『ここって……ガッコー?』
「違うよ。ここは病院。ケガをしたり病気にかかった人がくるところなの」
しるふが学校と間違えるのもなんとなくわかる。確かに、建物の作りは似ているかも。けれどここには広い運動場も体育館も、当然ながらプールも無い。
今が昼間だったとしても同じくらい静かで……喧騒とはまるで縁の無い場所なのだ。
『ビョーインか~。とーやってばいつの間に難病におかされて――』
「いや、ぼくじゃないから! 健康だから!」
『じゃあなんでこんなトコに来るの~? 友達がいるとか?』
興味津津といった様子で覗きこんでくるしるふ……を想像しながら、
「友達じゃないけど、ぼくの大事な人だよ」
そう、大事な人。病院が家から遠く離れた山奥にあるせいで中々会えないけれど、ぼくにとってかけがえの無い人がそこにいる。
「ここには……ぼくのお母さんが入院しているんだ」
その薄暗い病室にベッドは一つしかなく、隣に置かれた機械――多分健康状態をモニターしているのだと思う――が放つ淡い光が、この部屋の唯一の光源だった。
ベッドの上には、一人の女性が横たわっていた。
彼女の名は、月代藍。 歳は三十代半ばくらい……長い入院生活がなければ、もっと若々しく見えただろう。
かつては腰まであった黒髪は手入れの都合で短く切り揃えられ、当時の面影は――ぼくの思い出の中の姿とは、だいぶ変わってしまっている。それでも、この人がぼくの母親であることは間違いない。間違えたりは、しない。
彼女は、今も変わらず眠り続けていた。以前訪れた時と同じように……医療機器に繋がれたままで。
『とーやのお母さん? あの酔っ払いのヒトは違うの?』
「蒼衣お姉ちゃんのこと? うん、あの人はお母さんの妹にあたる人なんだよ。近いけど違うね」
それに彼女は一応まだ20代だ。ぼくみたいな大きな子供がいる歳じゃない。
『ふーん……ところでとーや、いつまでココでこうしてるの?』
「あ、もうちょっとだけ見ていたいかな……って、もしかしてこの体勢つらかったりする?」
そう、ぼく達の現在の状況はというと……病院の壁にへばりついて窓から中をのぞき込む、まるで不審者のような有様だったりする。
それも三階の窓で――しるふの力で体が軽くなっているからこそ可能な芸当だけど、見られたら不審じゃすまないような気がしないでもない。
『それもあるけどー、なんで中に入らないの? お母さんに会いに来たんでしょ?』
「えっと、病院には面会時間っていうのがあって……要するにこんな夜中じゃ中に入れてもらえないんだよ」
『えーナニソレー! せっかく会いにきたのにひどくないー!』
ぼくだって、できれば昼間に来たかったけど……この病院は家から結構距離がある。
一応最寄り駅から直通のバスが出ているのだけれど、例によって一時間に一本あるか無いかなので学校の帰りに寄るのはなかなかに厳しい。
一度自転車で行こうとした事もあったけど……遠い上に山越えがきつくて断念した覚えがある。
「それに……中に入っても、見てるだけなのは同じだから」
『え、ドユコト?』
それは、お母さんがこんな人里離れた山奥の病院に入院している理由のひとつ。
「お母さんは、ずっと眠り続けているんだ……この病院に来る前から」
――――「あの事件」があった日から、ずっと。
『それって、起きないってコト? 前からっていつからー?』
しるふは例によって興味津津に聞いてくるけど、ぼくは彼女にどこまで話したらいいのか少し悩んでしまう。
本当の事を包み隠さず……だと、ちょっとばかし陰惨な話になってしまうからだ。というか、聞かされて気持ちのいい類の話じゃない。
『ねー何黙ってんのー! 教えてよとーやぁ』
とりあえず事件の事はなんとなくぼかして、お母さんの現状だけ説明しよう……
そう考え、手短に言葉を選んでいた時だった。
背後から突然、ぼん、という破裂音。それと同時に、ゆらめくオレンジ色の光が辺りを照らし出した。
『ひゃっ! 何ナニ!?』
驚いて振り向いたぼく達が見たのは、中庭の真ん中付近にあった建物……小さな小屋くらいのサイズのそれが、激しく燃え上がっている光景だった。
「――火事!? そんな突然、なんで……」
それだけでは終わらない。火に包まれた小屋の唯一の出入り口であろうドアが唐突に弾け飛び、中から炎の塊が転がり出した。
最初は人かと思った……けれど、違う。人のカタチはしているけども、その下半身からは二本の脚のほかに蛇のようにうねる太い尻尾が生えていた。
そして何より、体が火に包まれているというのに、そいつは苦しむ素振りさえ見せないのだ。
燃える人影が踊るようにゆらゆらと歩き出すと、それに呼応するかのように周囲の立ち木に火が灯る。瞬く間に広がりゆく炎の中で、そいつは確かに――笑っていた。
『アイツは……サラマンダー!』
頭の中に響くしるふの声。目の前で繰り広げられた非現実的な光景から、不意に意識が引き戻される。
「サラマンダーって……もしかして!」
ぼくの記憶が確かなら、あの怪物は――――
『四大精霊の中でイチバン危ない、火の精霊だよっ!』
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