第2話 黄金の連休

『灯夜、アイネ! 二人共、そろそろ上がりなさーい!』


 室内のスピーカーから響く、蒼衣お姉ちゃ……巡査の声。それを聞いたぼくの頭に浮かんだ言葉は……ただ一言「助かった」である。


「えー、なんだよこれからって時にー」


『なんだじゃないわよ。あんた達、そろそろ帰らないと門限に引っかかるでしょ!』


 ……ここは第二モニター室。四方院家別邸地下にある、警視庁あやかし対策支部に置かれた様々な特殊設備のひとつだ。


 通称「練習場」――――縦横十メートル、天井までの高さも五メートルある結構な広さの部屋である。


 壁も床も白いタイルのような物で覆われたここは、並の銃器や爆弾などでは壊れないくらい頑丈な上、術者が用いる攻撃術式にも耐性があるというスゴイ部屋だ。

 四方の壁には照明の他にも複数の監視カメラが設置してあり、それがモニター室という名の由来でもある。


 人目に触れない地下深くにあって、かつ広くて頑丈な部屋。その理想的な立地条件のおかげで、この部屋はぼく達魔法少女――――正確には霊装術者の訓練の場所として使われているのだ。


「ちぇー、もうそんな時間なのかよ……ようやくアロなんとかスパークの完成が見えてきたところだったのに」


「愛音ちゃん……それもう完全に格闘技の練習じゃないよね?」


 赤毛のおさげ髪を揺らし、物足りなさそうに大きく伸びをする少女……彼女は愛音あいねフレドリカ・グリムウェル。ぼくと同じく、この妖対策支部に所属する霊装術者である。


 ぼくに格闘技の基礎を叩き込むと息巻いていた彼女。しかし最初の数分でぼくに全くその才能が無いと分かると、後はなし崩し的に技の練習……というか、ぼくを相手に一方的にプロレス技をかけまくる遊びに没頭してしまったのだ。


 確かに、「やめて」と言い出せなかったぼくにも責任はある。少なくとも、愛音ちゃんは善意でぼくを誘ってくれたのだし……最後まで付き合うのは友達として当然だと思ったのは事実だ。

 ……まあ、技がかかる度に絡み合う手足、押し付けられる柔らかい感触。そして、間近で感じる女の子の吐息……それが嬉しくなかったとは言い切れないのだけど。


 そう。彼女が何気なく抱きつき、複雑な順序で関節を極めていたのは……同じ女の子ではない。このぼく、月代灯夜は……まごうことなき男の子なのだから。


「それにしてもトーヤ、お前もう少し鍛えたほうがいいぞ? カラダも硬てーし、そんなんじゃあこの先オレの特訓の相手は務まらないぜ?」


「うう……ごめんなさい」


 愛音ちゃんは、ぼくが男の子だなんて夢にも思っていないだろう。この秘密は学園内でもほんの一握りの人間しか知らないトップシークレット。

 男子にしてはたぐいまれなる霊力を持ったぼくを、妖を阻む天御神楽学園の結界内にかくまうためには、必要不可欠な嘘だったのだ。


 友達に隠し事をしている、というのは正直心が痛いけれど……この嘘がなければぼくはここに居なかっただろうし、愛音ちゃんと友達になる事も無かったと考えると、うーん……色々と複雑なのであった。


 それはさておき、練習場を出たぼく達は、まっすぐロッカールームに向かう。そこに併設されたシャワー室で汗を流してから帰るのが、ここ最近の日課になっているのだ。


 え、女の子と一緒にシャワーはヤバイんじゃないかって? いえいえご心配なく。ここのシャワーは完全個室型で、脱衣場とシャワー室が一体化した個室が計四室、横並びに配置されている。

 この対策支部ではそもそも大勢の人が同時にシャワーを使う事がないため、運動部の部室のような広いシャワー室は必要ないのだ。


 というわけで、ぼくは個室で安心安全にシャワーを浴びることができるのである。鍵もかかるから、万が一にも他人の侵入はあり得ない。

 まあ、天井と壁の間にはわずかな隙間があるのだけど、流石の愛音ちゃんもそこからのぞいては来ないだろう……たぶん。


 手早く体操着を脱ぎ、降り注ぐ熱いシャワーの雨に身を委ねる。ああ、今日も色々な事があった――――抜き打ちの漢字テストに、各教科から出された大量の宿題……流石は名門校だけあって、こういった所は中々に容赦ない。


 ぼくはそこそこ勉強は出来る方だと自負していたのだけれど、中学生になってからはその自信も揺らいで……いや、ダメダメ! 思い出したら気分が沈んできた。せっかくの癒しタイムなんだから何かこう、もっと楽しい事を考えなくちゃ!


 ……そういえば、昼間に会ったあの高等部のセンパイ。最初は怖い人かと思ったけど、不良っぽい外見に似合わず、割と話しやすい人だったっけ。




 ――――深い森の中の空き地で、子猫たちに囲まれながらほがらかに笑う彼女。猫が好きな人に悪人はいないとよく言うけれど……それは案外、間違ってないのかもしれない。


「センパイがこの猫たちに、ミルクを上げていたんですか?」


「ああ……だがあんまり毎日やってると、こいつらは野良として生きていけなくなる。寮暮らしの身じゃ飼ってやる訳にもいかないし、自立してもらわなきゃ困るんだよ。だから……たまにだ」


 そう言いつつ、持参したパックの牛乳を小皿に注ぐセンパイ。なんだかんだで過保護気味になってしまう気持ちは……すごく分かる。


「ところでお前、この場所の事は誰にも言うなよ。下手に知れ渡ると色々と厄介なんでな……ここはあくまで【猫の楽園】。あたし等人間が荒らしていい場所じゃ無い」


 まっすぐぼくの眼を見ながら、そう念を押す彼女。確かに、この場所の事が広まってしまえば、きっと多くの生徒が猫を求めて押し寄せて来るだろう。

 そうなってしまえば、ここはもう楽園ではなくなる。猫たちにとって安心できる場所がまたひとつ、この地上から失われてしまうのだ。


「分かりました……でも、あの……」


「言いたい事は分かるぜ。『またここに来てもいいか』って事だろう?」


 う、図星だ……


「構いやしない。お前はこいつらにも好かれてるみたいだからな……だが、毎日入り浸ったりはするなよ? こいつらとは、たまに遊んでやる位が丁度いい距離感なのさ」


 ぼくよりほんの少し……けれど、確かに大人であるセンパイの言葉は深い。ただ可愛い可愛いと猫を追い回していた自分が、何だか恥ずかしく思えてきたよ……




 ――――その後彼女から森の出口を教えてもらい、ぼくは無事寮へと帰還する事ができた。そして愛音ちゃんに誘われて練習場に向かい……現在に至る。


 あ、そういえばセンパイに名前を聞くのを忘れていた……っていうか、ぼく自身名乗ってもいなかったじゃないか。こいつは、うっかりにも程がある――――


「……トーヤ、おいトーヤ。聞いてんのかー?」


「えっ、な、何?」


 壁越しに呼ぶ愛音ちゃんの声に、ふと我に返る。


「ナニじゃねーよ! 休みだ休み、明日からゴールデンウイーク――――それは黄金の弱み!」


「そのウイークは違うよっ!」


 そう、明日からいわゆる春の大型連休が始まる。それは入学してから約一か月、ぼく達が待ちに待った……中学生になって初めての黄金週間ゴールデンウイークだ。


「んな細けぇこたぁーどうでもいいッ! とにかく休み! 連休なんだよーッ!」


 ハイテンションにわめく愛音ちゃん。まあ、騒ぎたくなる気持ちも分かる。最近は妖関連の事件もないし、この連休はたっぷりと羽を伸ばすことができるだろう。


「そして明後日あさっては……分かっているよな、トーヤ」


 ……明後日。ゴールデンウイークの中でもこの二日目は特別な日だ。なぜなら、それはぼく達一年S組の有志が――――


「うん。分かっているよ愛音ちゃん……この日のために、みんなでスケジュールを調整したんだからね!」


 ――――初めて学園外へと“遠征”する、その記念すべき日なのだから。

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