第39話 憂鬱なる空の旅、1

 夕焼けの赤い空もすでに遠く、窓の外の世界は闇のとばりに包まれていく。


 はぁ、と何度目になるか分からない溜息をつきながら、わたしは正面の座席に座った人物に目を向けた。


 ――――銀髪に蒼い瞳、そして陶磁器のように白く透き通った肌。地味なパーカーにジーンズといった、およそ不釣り合いな服装をしていながらも……美しい。


 そう、美しいのだ……忌々しい程に。


「……いい加減、何か話してくれないかしら。このままだんまりを続けても、お互いの為にならないわよ」



 ここは、地上数百メートルの空の上。四方院家御用達のヘリは、思いがけない客人を乗せて飛び続けている。


 ひとりは、ウンディーネに憑依された少女。わたしの“拆雷”さくみかずちに打たれて意識不明になった彼女は、今は仮設ベッドの上にベルトで固定され、点滴やら酸素マスクやらでとりあえずの救護措置を受けている。


 ……ウンディーネを捕える為とは言え、申し訳ないとは思う。だが、あやかしに取り付かれる者は大抵、自身の心に大きな隙を持つ者だ。そう考えれば、自業自得の結果とも言えるだろう。


 問題は、もうひとりの方だ。明らかに日本人ではない、美しすぎる少女。あんな田舎の小学校に居たのが不思議な位に現実離れした容姿には、さすがのわたしも驚いたものだ。


 妖に共感、同調する子供は、どこか常人離れしていると言うが……この少女はその典型といったところか。



 ――――これでもう少し協力的だったら、可愛気もあっただろうに。


 そう、シルフの契約者である彼女はこのヘリに乗せられて以来、こちらが何を聞こうが一言たりとも口を開こうとしないのだ。

 唇を横一文字に結んだまま、視線はわたしの背後……ベッドの上の少女に向けられている。


「……あのね、何度も言うけど、あの時はあれが最善の方法だったの! あのままウンディーネを逃がしていたら、もっと多くの被害が出ていた筈よ」


 わたしが浴びせる言葉に身じろぎもせず、彼女はベッドの上を見つめ続けている。


「あなたのお友達には可哀想なことをしたけど……これでも一応、手加減はしたのよ? 命に関わるような事は絶対にないんだから!」


「そんな事言われてもネ~。モロトモにドカーンした事実に変わりはナイからネ~」


 ……わたしを苛立たせる理由のもうひとつが、これだ。


「何度も言うけど、風の精霊シルフ。あなたには何も聞いてないわ」


「ふーんだ。聞かれなきゃ喋っちゃイケナイなんて決まりはナイもんネ~だ!」


 無口な少女と契約したシルフは、彼女の代わりとばかりに軽口を叩き続けている。こいつがそういう性格なのか、それとも風の精霊そのものがアレなのかは分からないけど……わたしを不愉快にしている事実に変わりはない。


 ――――ヘリに乗り込んでから、もう一時間くらいは過ぎただろうか。わたし……四方院樹希しほういんいつきは未だ、身のある情報を得られずにいた。



 逃亡した四体の精霊……既に捕縛したノームとサラマンダーに加え、ウンディーネとシルフ。これで全てを確保したことになる。

 しかし、ついに犠牲無しとはいかなかった。二人の少女が精霊と契約を結んでしまったのだ。片方は強制的に、もう片方は……おそらく自身の意思で。


 知っての通り、一度結ばれた契約は解除できない。二人は今後一生、妖に憑かれた者として生きていく事になる。

 精霊を封じたところで、契約そのものは残る。そして、一度妖と契りを交わした者は他の妖を引き付ける――――元々高い霊力を持った者が、更に契約によって潜在的な霊力を引き出されるのだ。本来所有権を主張すべき者のいないそれは、妖達にとってまさに恰好のエサと言えるだろう。


 これは、失態だ。都会の真ん中で精霊を解き放ってしまった上層部だけではなく、それを無事収拾できなかった……わたしの。


 だからこそ、二人について詳しく知る必要がある。自分が出した犠牲に、正面から向き合う為に。


 ……だと言うのに。事の詳細を知っているであろうシルフと契約した少女は、かたくなに口を閉ざしたままだ。こちらがこんなに……殊勝な面持ちでいるというのに。


「……仕方がない。風の精霊シルフ、あなたに聞くわ。あなたは事故に紛れて逃げ出した四体の精霊のうちの一体、で間違いないわね?」


「ナニも聞かないんじゃなかったノ~」


うるさい! あなたは質問にだけ答えればいいの!」


 まったく、へらず口だけは上等なんだから……わたしはこういった四六時中ヘラヘラしている薄っぺらな相手とは、どうにもそりが合わない……っていうか殴りたい。


「どうなの? あなたは逃げ出した四体のうちの一体で間違いないの?」


「え~。そんな二日も前のコト覚えてないヨ~」


「……覚えてるじゃない。わたしは事故が二日前だなんて一言も言ってないのだけど」


 あっ、と慌てて両手で口を押さえるシルフ。見た目通り、思慮に欠けた精霊ヤツね。



 ――――そうなると、シルフと少女が契約したのはこの二日間の内という事になる。しかしウンディーネとの戦いの一部始終を見た限りでは、これがつい最近契約したばかりの素人とはとても思えない動きだった。


 冷静に相手の攻撃を見切り、的確な防御からの反撃。まるで熟練した古参の術者のような手際だ。最後の詰めの甘さにさえ目をつぶれば、すぐにでも実戦で使えるレベルではないか。


 ……欲しい。彼女ならきっと頼りにならない先輩方よりもいい仕事をしてくれるに違いない。この業界は慢性的に人手不足なのだ。才気溢れる若手は、喉から手が出る程に欲しい。


「な、ナニその目つき……なんかイヤラシイ事でも考えてるノ?」


 おっといけない、彼女を欲する思いが顔に出ていた様だ。


「……コホン、とりあえず、名前が知りたいわ。その子の名前……あなたは知っているんでしょ?」


「フン! 知ってても教えないヨー。とーやの名前なんて絶対教えてあげないんだカラ!」


「とーや……それがその子の名前ね」


 ああっ、と再び両手で口を押さえるシルフ。まったくもって思慮の浅い……


「それじゃあ、ここからが本題よ。その子……とーやさんはどうしてあなたと契約したの? ウンディーネと戦っていたという事は、ただの興味本位では無い筈よね?」


「え? あうぅ、それはぁ……」


 まぁ二回も失言した後だ。流石のシルフも言葉を選ぶか。


「さぁ、答えなさい……まぁ友達の為とか、そういった理由なんでしょ?」


 わたしがシルフを問い詰めた、その時。


「答える必要はないよ、しるふ」


 楽の音のごとく澄んだ、美しい声。一瞬機内に響くローター音をも忘れさせるような、かぐわしい調べ。じっと口をつぐんでいた少女が、ついに発した一言。


 ……しかしその言葉には、強い否定の意思が込められていた。


「魔法少女は……正義の味方じゃ、なかったんだから」

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