第50話 エピローグ・日常へ……ただいま!

 ぼくが目を覚ましたのは、それから丁度三日後のお昼過ぎだった。


 壁も天井も、ベッドのシーツまで真っ白な部屋。そこが病院だというのはすぐに理解できた。天御神楽学園の中にはそれなりの規模の病院があって、あやかし事件関連の特殊な患者を受け入れていると聞いたことがある。


「外傷は特になし。すぐに意識が戻らなかったのは、霊力を急激に消費した時によく起きる症状ね。まあ、何事もなく目覚めてくれて良かったわ」


 そう言いつつ、毎日様子を見に来るのは面倒だから、と付け加えるのは、連絡を受け駆けつけてくれた樹希ちゃんだ。


 あの夜を境に、頻発していた妖事件の件数は激減したという。大規模な【門】の開放があった影響で、溜まっていた龍脈のエネルギーが放出されたおかげらしい。

 樹希ちゃんも久しぶりに激務から解放されて、ぼくのお見舞いに来るような余裕もできたのだと言う。けど、それも一時的なものらしく……今後どうなるかは不透明だとか何とか。


「そうだ! あれからどうなったの? 高等部の人が来て、なんかきな臭い雰囲気になったみたいだったけど……」


 ぼくが意識を失う寸前、現れた二人の魔法少女。樹希ちゃんの様子を見るに、あまり良好な関係では無いように見えたのだ。


「……何も、無かったわよ。仕事がないと分かったらさっさと帰っていったわ」


 樹希ちゃんはそれだけ言って、もうその話題には触れようとしなかった。彼女の様子から察するに、何もなかった訳ではないようだけど……少なくとも、誰かが怪我をしたりといった嫌な展開にはならなかったんだと思う。


「しるふはどうしてる? あと、愛音ちゃんとノイちゃんも」


「あのシルフなら何事もなかったようにそこらで遊んでるわ。愛音達も一応ここの病院に運ばれたけれど、翌日の昼には退院しているし」


 良かった……っていうか、それじゃあぼくが一番重症だったのか。確かによく寝たなぁとは思うけど、何日も意識が無かったって実感は薄い。


「ところで灯夜。今回無事で済んだのはたまたま運が良かっただけ、それは理解しているんでしょうね?」


 いつもの、少し怖い顔でぼくの目を覗き込んでくる樹希ちゃん。はい、言いたいことは分かってます……自分でも、無茶をやったという自覚はあるから。


「うん。でも、あのままだったら樹希ちゃん達も危なかったし……高等部の人に任せたら学園に被害が――――」


「それでも、よ! わたし達なら自分の身くらい守れるし、周辺一帯の避難は済んでいたからそっちの被害も問題無かったの。仮に学園が焼け野原になったとしても、人命には替えられないでしょう?」


 樹希ちゃんの言うことはもっともだ。命を賭けた勝負に、今回は勝てたけど……そうでない結末も当然あり得た。そうなれば、ぼくの命は無駄に増えた犠牲のひとつに数えられていたことだろう。


「ごめん……なさい」


 あの時は、そうするしかないと思っていた。ぼくがやらなきゃって思って実行した。けれど周りから見れば、ぼくの行為はぼくという命を危険に晒す事に他ならない。

 自己犠牲とはいっても、犠牲には変わりないのだ。


「――――灯夜。一応聞いておくけど……あなた、まだ続けるつもり?」


「えっ?」


 静かに、そう問いただす樹希ちゃん。その表情にすでに怒りの色はなく、澄んだ瞳はただまっすぐにぼくを見つめている。


「止めても、いいのよ? 確かにこっちは人手不足には違いないけれど……それでも、嫌と言う人間を無理に働かせたりはしないわ。あなたが望むなら、妖退治なんかに関わらなくてもいい。普通の生徒として平穏に暮らしていく道だってある、という事よ」


 ぼくがこの学園に来る時に、同じような事を聞かれた覚えがある。天御神楽学園に通い、その庇護下に入る……それはすでに決定事項で他の選択肢は無い。

 けれど、妖退治に協力するかどうかは別だ。もちろん、協力した方が有難いのだろうが……


 そもそも未成年者を最前線で働かせるのは色々と問題が多いのだ。現状、妖対策のための人員が足りていない――――そもそも妖の存在そのものが隠されている為、それに関する法的整備が行われておらず……昔からのしきたりに従ってまだ幼い術者が駆り出されている。

 特に霊装術者は十代の子供にほぼ限られる為、倫理的に問題があっても黙認されているのだという。


 でも、それだって強制ではない。少なくとも、本人の同意無しには働かせる事はできないのだ。適した法がなくとも、無法は許されないというわけである。


「ぼくは、止めないよ。ぼくの力で、できる事があるうちは……ね」


 何度も危険に晒され、命さえ危ない状況に置かれもした。けど、ぼくの気持ちは変わっていない。


 あんな事はもうこりごりだ。そう思わない訳じゃないけど……だから止めるという発想には至らない。次があれば、もっと上手くできる。いや、できるようになりたいと思う。

 逃げるより、立ち向かいたい。それが魔法少女になったぼくの目標なのだ。何もできなかった、弱い自分に戻るつもりは……ないから。


「はぁ、そう言うと思ってたわ……けど、次からはあんな無茶は勘弁して欲しいわね。まああなたの事だから、同じような状況になれば同じ事をしそうではあるけど……」


 ため息をつきながら、そう話す樹希ちゃん。耳が痛い……確かに、ぼくってそういう所あるからなぁ。


「そうなる前に、無茶が無茶にならない程度には鍛えておくことね」


 どこか呆れたような、樹希ちゃんの笑顔。そうだ、ぼくは強くならなきゃいけない。多少の無理や無茶を通せるくらいには、強くなるべきなのだ。


 ――――それも、可能な限り早く。今回の事件を見ればわかるように、現実は厳しい。ぼくが一人前になるまで、妖達は待っていてはくれないのだから。


「そういえば、あなたのクラスの子がお見舞いに来ていたわね。あの綾乃浦って子よ」


 神妙になったぼくの様子を気遣ってか、樹希ちゃんが話題を変える。


「静流ちゃんが……」


「先生がぼやいていたわ。何でもあなたが欠席した理由について、凄い剣幕で食いかかってきたとか……あとほら、そこに置いてあるそれ」


 樹希ちゃんが指さしたのは、ベッド脇のテーブルの上に置いてあった写真立てだ。


「最初は花を持ってこようとしたみたいだけど、この病院は衛生上の問題で生花はNGなのよね。だから、せめて気分だけでも……だそうよ」


 そこには、咲き誇る向日葵ひまわりの写真が収められていた。見ているだけで元気になるような、鮮やかな黄色。


 そういえば、静流ちゃんにはずいぶんと心配をかけてしまっている。あんな事を言って別れた後に即入院してるんじゃ……それこそ、どう言い訳したらいいのか。


「さて、起きたのならさっさと退院するわよ。必要な手続きはもう済ませてあるから、後は挨拶していくだけでいいわ」


 傍らにあるロッカーを開けて、中からハンガーに掛かった制服を取り出す樹希ちゃん。それをぼくのベッドに放ると、彼女はつかつかと出口に向け歩いていく。


「ちょ、樹希ちゃん!」


「外で待ってるから早く着替えなさい。それとも……ここで見ていて欲しいの?」


 いたずらっぽく笑う彼女に、ぼくは慌てて首を振った。




 受付での軽いやり取りを終えて、ぼく達は病院を後にした。学園の敷地内にあるといっても、その敷地自体が結構な広さだ。寮までの距離はそれなりにある。


「ひとりで帰れるわね、灯夜? わたしは別邸いえに寄ってから行くわ。作戦室の様子を見るついでに、少し汗を流していきたいの。この間の一件で……わたしもまだまだ未熟だって、痛感させられたから」


「訓練していくって事? だったら、ぼくも――――」


 そう言いかけたぼくを、樹希ちゃんは片手を上げて制する。


「馬鹿ね。病み上がりのあなたを連れていける訳ないでしょ。鍛えろと言っておいて何だけど、今日まではゆっくり休んでおきなさい」


「でも……」


「その代わり、明日からは容赦なくいくから覚悟しておくことね。まずは、人並みの体力をつける所から始めましょうか? ふふふ……」


 何だか不穏な笑みを浮かべている樹希ちゃんと別れて、ぼくは本来の寝床――――橘寮へと戻ることにした。よくよく考えたら、あそこにはまだたったの一泊しかしていないんだっけ。

 戻るとか帰るとか言うのも、何か変な気分だ。


「うおっ、トーヤ! やっと帰って来やがったか!」


「お疲れ様、なんだよ」


 寮のロビーで出迎えてくれたのは、愛音ちゃんとノイちゃんだ。数日前にあんな修羅場をくぐり抜けたばかりだというのに、二人共まったく疲れた様子はない。

 ……プロの術者にしてみれば、あの位は日常茶飯事なのだろうか? 流石にあんなのがしょっちゅう来られたらたまらないんだけど。


「こーしちゃいらんねぇ、オレはクラスの皆を呼んでくるぜ! とりあえず出所祝いだ!」


「そんな、大袈裟な……っていうか、出所ってなに!?」


 ぼくのツッコミを待たずに、愛音ちゃんが階段を駆け上がっていく。その後ろ姿を眺めていると……胸の中に暖かいものがこみ上げてきた。


 そうだ。ここにはぼくを待っていてくれる人がいる。愛音ちゃんやノイちゃん、静流ちゃんを始めとするクラスのみんなも。

 ここは、ぼくが帰ってこれる場所。これから始まる……日常という名の物語。その舞台なんだ。


「ただいま、って……言うべきなのかな?」


「だったら……おかえり、だよ」


 思わず呟いたぼくに、そう答えてくれるノイちゃん。表情の変化がわかりずらい彼女だけど……このときは、わずかに微笑んでいるように見えた。


「あ、ありがと…………そ、そうだ! ノイちゃんって、その……この前、猫に変身してたよね?」


 会話を途切れさせるのもアレだし、折角だから聞いておこう。周りに誰もいない事を確認して、ぼくは彼女に問いかけた。

 ――――愛音ちゃんが魔法少女に変身する時、ノイちゃんが見せた変化がずっと気になっていたのだ。


「うん。ノイは使い魔だからね。由緒正しい家系の黒猫なんだよ……妖の種類で言うと、ケット・シー」


 なるほど。ケット・シー……どこかで聞いたことがある気がする。たしか猫の妖精……って、まんまだねコレ。


「……ノイもトーヤに聞きたいことがあるんだけど、いい?」


 きらきらと輝く金色の瞳が、ぼくの顔を覗き込む。何だろう、彼女がぼくに聞きたいことって?


「いいけど……なに?」


「トーヤは男の子なのに、どうして女の子の格好をしてるんだよ?」


「…………え?」


 静まり返ったロビーに、聞き返すぼくの間抜けな声が木霊した。




 そう。ぼくの日常さいなんの物語は、まだ始まったばかりだったのである…………。

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