第42話 廃れ神

 時間にして、およそ十分弱ほど後。わたし達三人は、再び妖刀使いの鎧武者と相対していた。


「あのヤロー、本当に律儀に待っていやがったな。まあ黙ってても強くなるんだから超ヨユーって事か?」


 鎧武者は、広場の隅で相談しているわたし達に近づいては来なかった。

 灯夜の話では、あいつは【門】を守るために召喚されたのだという。それもあるのだろうが、おそらくは【門】と一定以上の距離が開くと霊力の供給に支障が出るのだろう。


「だ、大丈夫かな樹希ちゃん? あのあやかし……【すたれ神】と言っても、神は神なんでしょ?」


 ――――【廃れ神】。それはいわゆる付喪神の一種だ。かつて多くの人間の信仰を集め、神そのものとしてまつられた神器。

 しかし何らかの理由でその信仰を失い、打ちてられたものは……【廃れ神】となる。


 あの鎧武者の本体である刀。最初に見た時は普通の刀に見えた、と灯夜は言った。それを信じるなら、その時点ではあくまで刀の範疇はんちゅうに収まる程度の霊力しか持っていなかったのだろう。


 しかし、【門】からの霊力によって生み出された鎧武者によって抜き放たれた時、刀の放つ妖気は信じられない位に高まっていたという。


 清浄なる神器のそれではない、禍々しい妖気。それこそが、あの刀が【廃れ神】である証拠。

 神として崇め奉っていた物さえも、用無しと見れば放り出す……そんな身勝手な人間達への憎悪こそが、あの妖刀の持つ本質なのだ。


 廃れたるとはいえ、一度は神に至った器。人や妖では扱い切れぬ【門】の力を注ぎ込んでも、なお充分な容量があるという事なのか。


「神は神でも、人に害を成すのなら敵よ。荒ぶる神を鎮めるのも、古来から術者の役目なのだから」


「そうそう。ガッツリ作戦も立てたし、いけるだろ。多分!」


 時間が経てば経つほど、その力を増す【廃れ神】……しかしその貴重な時間を割いてでも、わたし達は作戦を練る必要があった。

 無暗矢鱈むやみやたらに突っ込んで、勝てる相手じゃないのだ。


「で、でも……ぼく達だけで上手くいくのかなぁ?」


「弱音を吐いても事態は好転しないわ。そもそも、上手くいかせる為に作戦を立てたんでしょうが。ここでしくじったら、この学園はおしまいなのよ」


 わたしはここに来る前、作戦室で先生達と今後の対応について軽く話してきたのだが……正直なところ、状況はかんばしくない。

 現状で戦えるのは、結局わたし達三人の霊装術者のみ。【門】を閉じる為の術者は何とか確保できそうだが……あの門番を排除しない限りは近づく事もできない。


 そして困った事に、学園の上層部からは事態の早期解決の為には手段を選ぶなという命令が出ている。早い話が、増援として現在謹慎中の“あの人”を使えという指示だ。


 ――――冗談じゃない。“あの人”に任せたらそれこそ【門】どころか、学園そのものが壊滅しかねない。妖の手に落ちるよりはマシかもしれないが、それではあまりに救いが無さすぎる。


 増援が来るまでのタイムリミットはおよそ一時間。それを過ぎたら、事態はもうわたし達の手を離れてしまう。それまでに、何としてもあの門番を倒さなければならない。


「さあ、そろそろ仕掛けるわよ。二人共、手順は分かっているわね?」


「おう! 任せとけ!」


「や、やっぱり不安だよ~」


 一応正規の術者である愛音と違い、見習いの灯夜は圧倒的に経験が浅い。明らかに格上の相手に敢えて挑まなければならないような状況では、尻込みするのも無理からぬ事だろう。

 ――――しかし。


「覚悟を決めなさい、灯夜。あなたはこの作戦のかなめなの。あなたがいなければ……いえ、わたし達の誰が欠けても、成功はあり得ない」


 見習いであっても、彼は霊装術者。普通の術者では代わりにならないのだ。その役目は果たしてもらわなければ、困る。


「今、ここが正念場なの。新学期早々、通う学園を失いたくは無いでしょう?」


「う……うん、頑張るよ!」


「それじゃあトーヤ! オレが戻ってくるまで、イツキを頼むぜ!」


 愛音が身をかがめ、いつでも飛び出せる準備を整えた。それに合わせて灯夜が両腕を開き、空気の流れを収束させていく。


「いくわよ、作戦……開始ッ!!」


「り、了解~!」


 わたしの合図と共に、灯夜がまず風を放つ。激しい旋風が地面を削り、大量の土煙を巻き上げて広場を覆いつくした。

 彼の風は鎧武者の結界には通用しないが、それによって起こされた土煙なら有効だ。こちらの動きを隠す目くらまし。まずはこれが……第一段階。


「よし! イツキ、先にくたばったら許さねーかんな!」


「そう思うのなら、さっさと戻ってきなさい! あまり長くは持たないのだから」


 へいへい、とつぶやきながら愛音は煙の向こうへ消えた。彼女に“ある物”を調達してもらう事、これが達成されてようやく第二段階だ。


 そして、わたしの役目は……その間、鎧武者の目を引き付けておく囮。これは愛音ではなく、わたしでなければならない。

 そうでなくては、この作戦は成立しないのだ。


「……どの道、消耗の度合いは大差ないわ。ここは、わたしがやり遂げないと!」


 土煙の中、わたしは鎧武者との距離を詰める。雷華の霊力はまだ回復していないが、わたし自身の体力はほぼ万全。回避に徹すればしばらくの間、時間を稼ぐくらいは可能なはず。


『お嬢様、来ます!』


「分かっているわ!」


 雷華の警告から間を置かず、煙を裂いて飛び出して来る刀の切っ先。不意打ちなら一撃必殺となるだろう、神速の突き。


 だが、その凶刃がわたしを捉えることは無い。二度、三度と振るわれる斬撃も空を切るばかり。如何に速くとも、来るのが分かっていれば避ける事はできるのだ。


 確かに、互いに土煙で視界を奪われた状態では、気配で相手の動きを察するしかない。しかし……


「大きすぎるのよ。貴方の気配ちからは!」


 そう。【門】からの膨大な霊力を吸い続けた【廃れ神】には、もはやその膨れ上がった気配を抑える術がない。今や目をつぶっていても、わたしには奴の動きが手に取るように分かる。

 強大な力が、一転して足枷となっているのだ。


「これなら、意外といけそうね……あの子はやっぱりこういったサポートにこそ向いているわ」


 自分の術は通用しない……先程はそう嘆いていた灯夜。しかし、直接攻撃に限らなければいくらでもやり様はある。

 前衛をベテランに任せ、後方支援に徹するスタイルこそが、今の彼に相応しい立ち位置。前を任せるには頼りないが、背中を預けるには充分だ。


『――――! 何か、仕掛けてきます!』


 今まで終始無言だった【廃れ神】が、唐突にぐおお、とえた。大量の霊力が右手……そこに握られた刀に集中していくのが分かる。


「まさか、本当に衝撃波でも飛ばして来るんじゃないでしょうね!?」


 漫画じゃあるまいし……とは思うが、相手が相手。万が一という事もある。【廃れ神】が刀を真横に振り抜くのと同時に、わたしは大きく跳躍した。


 足元を走り抜ける剣風は、流石に人体を切断する程では無かったが……舞い上がった土煙を薙ぎ払うには充分だった。


「しまった!」


 炎のような鎧武者の双眸そうぼうが、わたしの姿を捉えた。無防備な落下中を狙って、禍々しく輝く刀身が迫る!


「樹希ちゃん、危ない!」


 間一髪、わたしの体を突風が打ち、【廃れ神】の間合いの外へと吹き飛ばした。


「助かったわ灯夜! 案外、いい仕事をするじゃない!」


 咄嗟の反応にしては出来過ぎな援護だ。妖への攻撃は躊躇ちゅうちょするくせに、人助けとなれば一瞬の迷いも無い。


『向き不向きが極端なのですね。あの方、訓練次第では化けますよ?』


おおむね同意だわ。けれど……」


 着地したわたしは、再度武者の間合いに向け走る。その脇を灯夜が操る風が追い抜き、治まりかけた土煙をもう一度巻き上げる。


「この場をしのがなけりゃ、鍛えるも何もないわ!」


 【廃れ神】の攻め方には変化が生じていた。わたしの気配の方向に辺りをつけて剣風を放ち、土煙が薄れた所に本命の斬撃を打ち込んでくる。


 二度手間ゆえの時間差でなんとか避けることはできるが、それもあと一、二分が限度だろう。一太刀ごとに増していく剣速についていけなくなるのは時間の問題だ。


「くっ……まだなの愛音! いつまで油を売っているつもり!?」


 わたしが思わず不平を漏らした、丁度その時。背後から伝わるずるずると重い物を引きずる気配が、第二段階の達成を告げた。


「待たせたなイツキ! 準備はいいぜぇ!」


 期は……満ちた。今こそ、雌雄しゆうを決する時!


「いけるわね、雷華!」


『はい。獣身通はこれが最後の一回、次はありませんよ?』


「分かっているわ! 獣身通……天狐!!」


 了、と短く応じる声と共に、わたしの霊装に変化が生じた。頭の上から一対のまっすぐな獣耳が伸び、腰の後ろからは太い尻尾が生える。どちらもふさふさの黒い獣毛で覆われた、霊獣・ぬえの身体の一部だ。


 折しも【廃れ神】の刃が土煙を切り払い、爛々らんらんと燃える眼がこちらを睨み付ける。烈火の様な踏み込みが地面を穿うがち、疾風のごとく返された刀は狙いあやまたずわたしに伸びて――――



 その喉元に、ざっくりと食い込んだ。

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