第51話 エピローグ・終わりと始まり
あの夜から一週間と数日が過ぎ、ぼくは無事、小学校の卒業式を迎えることができた。
色々な出来事があった、この学校での生活。良い事もあれば……悪い事もあった。
転校してきた都合で二年と半分くらいしか居られなかったけれど、それはぼくにとってかけがえのない時間であり、大切な思い出になるだろう。
……まぁ、最後になってずいぶんなどんでん返しがあった事は否定できない。あの出会い――――しるふとの文字通り運命の出会いが、ぼくの人生を大きく変えた。
今はまだ、そこまでの実感はないけれど……あの時、樹希ちゃんが別れ際に言った言葉が……棘のように心に刺さっている。
そう、あの時……助け出された後で緊張の糸が切れたのか、意識を失った静流ちゃんを抱えて湖岸に降り立ったぼくに、彼女は言った。
「……取り敢えず、今日の所は見逃してあげるわ。家に帰ってゆっくり休みなさい。悔しいけれど、あなたはそれなりに役に立ってくれたから……まぁ、ご褒美といった所ね」
「あのっ、静流ちゃんは……」
「彼女はわたしが責任をもって病院に連れて行くわ。
「でも……」
戸惑うぼくに、樹希ちゃんは空の一点を指し示した。星のように小さな光。それがゆっくりとこちらに近づいてくる。
「迎えのヘリが来たわ。早い所退散しないと、面倒な事になるわよ?」
「面倒な事?」
「あなたのように、術者でもないのに妖と契約を成立させた人間はレアケースなのよ。捕まれば精密検査やら何やらで今夜は眠らせて貰えないでしょうね」
流石にそれは辛い。全力の全力を超えて突っ走ったせいで……ぼくの疲労は限界を突破している。早く休まないと明日起き上がってこれなくなるだろう。
「安心して。見逃すのは今夜だけよ。うちの情報部がすぐにあなたの身元を特定してくれるわ。いずれ日を改めて挨拶しに行くから、覚悟しておく事ね」
情報部とかあるんだ……確かに、ぼくみたいな目立つ子はすぐに特定されてしまうに違いない。今ここで逃がしても、さほど問題ではないという事か。
「――――どの道、あなたはもう逃げられないのだから。わたしからも……妖と関わる運命からもね」
厳しくも、どこか悲しそうな眼でぼくを見つめながら、彼女はそう言った。
妖と関わる、運命……しるふと契約する事で変わってしまった、ぼくの運命。いつか、この選択を後悔する時が来るのだろうか……
でも、少なくとも……それは今じゃない。静流ちゃんを助けられただけでも、ぼくにとっては意義ある選択だったのだ。
その静流ちゃんは……しばらく入院する事になったけど卒業式前には無事に退院し、卒業生代表として見事なスピーチを披露してくれた。
聞いた話だと彼女は地元の公立中学校には行かず、他県の全寮制女子校に進学するとの事。その筋では有名なお嬢様学校らしい。
静流ちゃんの進路について、ぼくなんかがどうこう言える立場じゃないけど……せっかく仲直りできたのに、会えなくなるのは寂しい。
「そうね、毎日会えなくなるのは確かに寂しいわ……けれど、今生の別れって訳じゃないんだから。その気になれば会えるし、SNSなんかで近況報告するのもいいわね……月代君、スマホはある?」
卒業式の後、校庭の桜の樹の下を、ぼくと静流ちゃんは……小学生でいられる時間を惜しむように、ゆっくりと歩いていた。
「今は持ってないけど……お
「じゃあ私の連絡先教えるから、スマホ買ったらすぐに連絡して! SNSの設定とか聞きたいでしょ?」
舞い散る早咲きの桜の花びらの中で、きらきらと輝くような笑顔の静流ちゃん。
転校してきてから色々な出来事があったけど……彼女とまたこうして仲良しになれた事が、今は一番嬉しい。
「それじゃあ、またね。静流ちゃん」
「ええ……また、近いうちに会いましょう。絶対!」
こうして、ぼくの小学生時代は幕を閉じた。そして、四月からは中学生としての生活が始まる。
期待と同時に不安もあるけど、がんばっていこうと思う。何があろうと、全力でぶつかってみる。そうしなければ……始まらないという事をぼくは学んだのだから。
「――――でさ、とーや! チュウガクセイって……ナニ?」
愛用の湯桶で泡風呂に浸りながら、今夜も元気に質問攻めをしてくるしるふ。ぼくは頭を覆った泡を洗い流しながら、
「うーん……何て言ったらいいんだろう? 小学生の上位版というか……レベルアップして進化した感じ?」
そう答える。ここは例によって月代家の浴室……ぼく達はいつものように夕食後のお風呂を頂いていた。
しるふは相変わらず好奇心旺盛で、毎日いろんな所を飛び回っては見聞きした事をぼくに話し……なぜなにどうしてと質問を繰り返す。
――――一般常識から少しマニアックな事柄まで。毎日説明していくうちに、ぼく自身もなんだか博識になったような気がしてきた。
「そーいえばさー、来ないねアイツ」
「アイツ?」
「アイツよアイツ! 例のマホーショージョ!」
ああ……樹希ちゃんの事か。言われてみれば、あの夜からもう一週間以上も経つというのに、全く何の音沙汰もない。
てっきりすぐに現れるものだと身構えていたのに、なんとも拍子抜けだ。
「流れでなんか味方っぽくなってたケド、きっと捕まったらあんなコトやこんなコトとかされちゃうに決まってるんだカラ!」
「でも、一応は正義の味方だし、そこまで酷いことはしないんじゃないかな…………たぶん」
そんなとりとめのない会話の最中、ぴんぽん、と玄関のチャイムが鳴った。
「ダレか来たヨとーや!」
「ああ、
……お姉ちゃんの事だ、またべろんべろんに酔っぱらっているのだろう。帰ってきてくれるのは嬉しいけど、ちょっと複雑な気分だ。
「はいはい、今開けますね……」
お
「……ただいま、母さん」
蒼衣お姉ちゃんの声。あれ、今日はもしかして
「お帰り蒼衣……あら、その子はだあれ?」
「あー、これはあーしの教え子で……」
「四方院樹希と申します。月代先生にはいつもお世話になっております」
――――聞き覚えのある、女の子の声。もしかしなくても……樹希ちゃん!?
「ところで、月代灯夜さんはご在宅でしょうか?」
「灯夜ちゃんなら、今お風呂に入ってるけど……」
「失礼します」
「あ、ちょっと! 待てってばイツキー!」
のしのしと廊下を歩く音が――――脱衣場の前で止まる。
「――――き、来たよとーや! キターー!」
そ、そんな……キターと言われてもどうしようもないんですけどっ!
「探したわよ、灯夜さん。まさか月代先生の身内だったとはね……」
がらり、と脱衣場の戸が開く音。木製の引き戸には当然カギなど無い。
「情報部が見つけられない訳だわ。そうよ、見つかる訳がない」
すりガラスの向こうに映る……少女の影。
「まさか……性別を偽って、男子として登録していたなんて!」
えっ! 偽るも何も、最初からぼくは男子で――――ああ、ぼくはずっと樹希ちゃんに……女の子だと思われていたのか。ぼくの人生においてはよくある事だけど……
「でも、それもここまでよ。わたし自身の目で、真実を暴いてあげる!」
樹希ちゃんがガラス戸の取っ手に手をかける。
アッーそれはやばい! ぼくは咄嗟に飛び出して、戸が開くのを阻止せんと手を伸ばす……
がらっ。伸ばした手の先で無情にも戸は開け放たれ、白い制服に身を包んだ黒髪の少女の……ドヤ顔と目が合った。
「ほら! やっぱり女の子じゃない。先生ったらわたしにまで噓を、つかなく、て……も……」
静流ちゃんの視線はゆっくりと下がり……ぼくの、あの部分に固定される。
――――たっぷり数秒の、気まずい沈黙が流れた後、
「…………き、きゃあぁぁぁぁぁアーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
ご近所にまで響き渡る、盛大な悲鳴。お風呂場の中で反響するそれに脳を揺さぶられながら……ぼくは思った。
悲鳴を上げるべきなのは、むしろぼくの方なんじゃないのか? と…………
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