第43話 荒ぶる水霊

「とりあえず、全員無事で何よりといった所かしら」


 ぼく達――変身したぼくと樹希ちゃん、そして操縦席にいたメイドさん二人は、湖に着水したヘリを捨て岸辺に移っていた。


 びっくりした事に、樹希ちゃんもまた空を飛ぶことができたのだ。

短い呪文を唱えると背中に黒い翼が生え、そのまま自由に空中を羽ばたき駆ける……流石は魔法少女。なんでもありといったところか。


 あれ、それじゃあそもそも、ぼくが頑張った意味ってほとんど無いんじゃ……


「あなたもよくやったわ。素人にしては上出来よ」


 でも、樹希ちゃんが褒めてくれたからこれはこれで良しとしよう。


「さて、問題はこれからよ。人ひとり飲み込まれている以上、ウンディーネの奴を野放しにする訳にはいかないわ」


 そうだ。何としても静流ちゃんを救い出さなきゃいけない。けれど、


「この広い湖の中から、どうやって……」


 どうやらここはダム湖のようで、見た限り結構な広さがある。深さもそれなりにあるはずだから、捜索するとなるとかなりの手間と時間を取られるだろう。


「奴が逃げに徹したなら、不味い状況になるわね……けれど、わたしが奴なら」


 樹希ちゃんがそう言ったのとほぼ同時に、湖の水面が弾けた。そして数本の太い水の柱――屋上プールでぼく達を襲ったものより、更に太い――が凄い勢いで立ち昇り、その勢いのまま放置されたヘリに叩き付けられる。


 轟音と共に凄まじい水しぶきが上がり、バラバラになったヘリの破片を巻き散らした。


「――――わたしが奴なら、仕返しのひとつもせずに逃げたりしない」


 収まりかけた水煙の中で、水面が盛り上がり……やがて水で形作られた女性の姿へと変貌していく。

 ぼくが学校の屋上で見たのと同じ光景。しかし、今度のそれはスケールが違った。


 思わず見上げる程の大きさ……全高数十メートル、ちょっとしたビル位の高さはあるだろうか。


 そう、プールの水を操りぼく達と戦った時のウンディーネ……あの時の力は、まだ完全じゃなかったのだ。


 静流ちゃんに憑依して得た霊力と、それを存分に生かせる大量の水。その両方を得た今の姿こそが水の精霊ウンディーネの真の全力。その双眸そうぼうに怒りをほとばしらせて迫る、まさに狂乱の女神だ。


「あなた達はとりあえず安全な所まで逃げなさい。奴はわたしが何とかするわ」


 湖岸の建物――――別荘か何かだろうか?――――を巨大な腕で手当たり次第に破壊しながら、ウンディーネはこちらに近づいてくる。確かに、ここに留まるのは危険だ。


 メイドさん達が一礼して背後の森へ走り去る。だけど、ぼくは引くわけにはいかない。


「何をしているの! あなたも逃げるのよ!」


「嫌だ。ぼくは静流ちゃんを助けるんだ……ぼくだって、今は魔法少女なんだから」


 そう言い返したぼくに、樹希ちゃんはつかつかと歩み寄ると……いきなりぼくの胸倉を掴んで、


「あのね、今がどういう状況か分かってる? もう素人がどうにか出来るレベルじゃ無いのよ!」


 真剣な眼差まなざしで睨み付けながら、そう言い放つ。


「それともまさか、わたしの腕が信用できないとでも言うつもり? だったら見てなさい。真の術者の力がどれ程の物か、教えてあげるわ!」


 そう言うや否や、黒い翼を羽ばたかせ舞い上がる樹希ちゃん。確かに、雷の術を得意とする彼女からすれば、水の精霊は相性の良い相手だ。たとえひとりでもあの巨大なウンディーネを倒す自信があるのだろう。


 けれど、それはぼくが逃げていい理由にはならない。ここで逃げてしまったら、そもそも魔法少女になった事自体が無駄になってしまうじゃないか。

静流ちゃんを助け出す。その為に少しでも力になれる事があるなら、ぼくは……


「ぼく達もいくよ、しるふ!」


『当然ネ!』


 大地を蹴って、再び空へ。湖の上空で風をつかんで……って、あれ?


 風が、視えない――――その時になって、ぼくは気付いた。空気の流れが全く視えなくなっている! ついさっきまではしっかり視えていたのに……

 まさか、水にかったせいで感覚が鈍ったとか?


『違うヨ、とーや! ココは、この湖の上には……』


「この湖の上が、どうしたっていうの?」


『風が無いんだヨ……この湖の上には』


 ……え?


『なんでかわかんないケド、ここにはゼンゼン風が吹いてないノ! 無いモノはつかめないし、視えもしないんだヨ!』



 ――――盲点だった。風をつかんで操る能力は、屋外では常時使える物だと……ほぼ万能の能力だと思っていたけど、それは間違いだった。

 つかめるのは、あくまで“風”……動きのある空気の流れであり、“空気”そのものでは無かったのだ。


 今思えば、ヘリを受け止めた時うまく風をつかめなかったのもそのせいだ。あの時空中にあったのはヘリ自身が巻き起こした風だけ。他の風などそもそも存在していなかったのだから。


 そうなると……今のぼくが操れるのは体を中心とした直径二メートル、すなわち手足が届く程度の範囲の空気だけという事になる。空は飛べるけど、それだけだ。


「これじゃあ精々、的になるくらいしかできないじゃないか!」


 静流ちゃんを救い出す。その為に得たはずの魔法少女の力なのに、肝心な所で役に立たないなんて……



 下ではすでに、樹希ちゃんとウンディーネの戦いが始まっていた。無数の蝕腕が繰り出され、黒翼の魔法少女に襲いかかる。

 流石この道のプロを自称するだけあって軽々と回避しているけど、蝕腕一本の威力だけでもプールで戦った時とは桁違いなのだ。一度でも被弾すれば即、致命傷になりうる。


 どうする? 出ていけば確かに、的を分散するくらいの役には立つだろう。しかしその程度の頼りない援護を、樹希ちゃんは望むだろうか。

 逆に彼女の集中を乱してしまうのではないか? 文字通りの足手まといになってしまわないだろうか?



 躊躇と葛藤を繰り返すぼくを尻目に戦いは続き……やがて一条の雷光が目の前を駆け抜け、ウンディーネへと炸裂した。

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