第80話 因縁のふたり
【前回までのあらすじ】
西池袋にて今も続く、裏切りの妖・栲猪と四方院樹希の戦い。ビル街を己の庭のように駆け巡る栲猪の戦法に、樹希は苦戦を強いられていた。
そして使命に従い栲猪を討つか、同族として彼に加勢するかの狭間で苦悩する阿邪尓那媛。そんな彼女の思いを知りつつも、蛟の命を果たすべく戦場へ身を投じる【がしゃ髑髏】の我捨。
それぞれの思惑が入り乱れた戦いは、果たしてどこへ向かうのか――――!?
◇◇◇
「――――何っ!?」
「むぅ……!」
それはわたしにとって、そして奴にとっても想定外の一撃だったのだろう。
……蜘蛛の糸を巧みに操り、瞬時に視界から消える
何を思ったか、奴は攻撃を止め身を
確実に命中していた蹴りを、何故直前で自ら外したのか? わたしが疑念を抱いた次の刹那には、その答えは明らかになっていた。
……わたしの目の前、本来の軌道なら栲猪が居た筈の場所を鋭く
「チッ、攻める瞬間くらいは隙を見せてもいいだろうによォ~」
遠くかすかなぼやきと共に針は制止し、伸びたのと同じ勢いで縮んでいく。その声と技に……わたしは覚えがあった。
「――――【がしゃ
背の低いビルの屋上に立つ、がりがりに瘦せた上半身裸の男。見間違えはしない。彼こそは人間への
「何のつもりよっ! まさか、わたしの邪魔をしに来た訳じゃないでしょうね!?」
彼はわたしと同じく、栲猪を――――彼等にとっての裏切り者を標的にしている男だ。そう考えれば、この場に現れた事自体は不思議ではない。
しかし、彼が今このタイミングで現れた意味……それ次第では、状況は更に悪い方向へ転ぶ事になる。
素早く周囲を確認し、わたしは我捨のいる屋上へと降り立った。充分な間合いを開けて警戒しつつ、白髪頭の両目を睨み付ける。
「オイオイ、俺たちは休戦中だろ? そんなに殺気立った眼で睨まないでくれよ」
「貴方がその休戦とやらを
……数時間前、高田馬場の駅で我捨と遭遇したわたしは、不本意ながら彼と取引を行っている。お互いの休戦も、その時に交わされた約束事のひとつであった。
しかし、この休戦協定には『双方の合意の元に即座に破棄できる』との
「俺もそうしたいのは山々なんだが、生憎今日は星の巡りが悪くてな……ここでアンタとやり合える程、余裕に満ち溢れてるワケでもねえのさ」
コーヒーショップでのやり取りの時とは異なり、我捨の言葉には若干の歯切れの悪さが感じられる。よくよく見れば裸の上体は煤で汚れ、黒革のボトムスにも焦げや切れ目が生じている……恐らくどこかで既に一戦交えて来たのだろう。
そして、それが楽勝とは言い難いものである事も容易く想像できた。
「じゃあ何の用? わざわざ出て来たからには、それなりの理由があるんでしょう?」
そう。我捨が漁夫の利を狙うつもりであれば、こうしてわたしの前に現れる必要は無い。決着が着くまで傍観していればいいだけの話だ。
「ああ。一番の理由はな……アンタじゃあの栲猪に勝てないって事だ」
「何ですって!?」
『落ち着いて下さい、お嬢様!』
勿体ぶった態度からの唐突な侮辱に、抑えていた感情が爆発する。雷華の素早い制止がなかったら、わたしは我捨に掴みかかっていただろう。
「まあ聞けよ! 何もアンタが弱いとか負けるとか言ってるワケじゃねえ。ただ『勝てない』……栲猪のヤツを相手にするには、アンタの能力は相性が良くねえんだよ」
わたしのリアクションに焦りでもしたのか、慌てて言い直す我捨。子供をあやすように両手を広げた仕草が、わたしを更に苛立たせる。
「…………何が言いたいの?」
「アンタだってもう分かってんだろ。お得意の雷術じゃ、あのヤロウを捉え切れないって事に」
――――悔しいが、図星だった。わたしの扱う雷術は、数多くの攻撃術式の中でも頭ひとつ抜けた速度を誇っている。“
しかし……常に動きを止めず予測困難な軌道を取る栲猪には、まず術の照準が定められない。動きの先読みも何度か試したが、その度にまるで背中に眼がついているかのごとく避けられている。
「まっすぐ追っても追いつけねえし、カウンターを狙おうにも向こうは巧みにタイミングをズラしてくる。噛み合わねえんだよ。真正面からゴリ押すアンタと、攪乱と奇襲に特化したヤロウのスタイルは」
「くっ……」
「そして、俺に使った例の切り札も奴相手にゃ分が悪い。アレは手前より遅い相手にしか通用しねえ術だ……栲猪相手に使っても、距離を取られてお終いだからな」
それは雷華の……霊獣・
「けれど、嚙み合わないと言うなら栲猪だって同じよ! 単発の奇襲だけではわたしに大したダメージは与えられない。こんな戦い方をしている限り、奴がわたしを倒すことは出来ないわ!」
「そこが、あのヤロウの
『まさか、それでは栲猪の本当の狙いは……』
雷華の思念に戦慄の色が走る。これ程の実力を持った相手が、何故こんな消極的な攻めに終始しているのか――――戦いの最初から棘のように引っ掛かっていた疑問の、それが答え。
「そうよ。ヤロウの狙いは最初から“時間稼ぎ”なのさ。のらりくらりと持久戦に持ち込んで、悪名高い四方院を釘付けにする……その間に、
裏切りの妖たちの本命が、障壁で覆われた六十階ビルの方だというのは予想できた事だが……まさか
あのビルの中では、この状況を覆す程の恐ろしい術が解き放たれようとしているのか?
だとしたら、そこに閉じ込められたという灯夜は――――
「……なんて事! このわたしが、妖の手の上で踊らされていたなんて!」
「このまま追い続けたらヤロウの思う壺だ。かと言って放置できるような相手でもねえし、人間サイドからしたら、もうどうしようもない状況かもなァ~」
まるで他人事のように肩をすくめる我捨……この男、一挙手一投足がいちいち気に障る! この態度が百パーセント意図した悪意だというなら、いくら心の広いわたしでも我慢の限界というものが――――
『お嬢様、心をお静め下さい。ここまでの話、この者にとっては前置きに過ぎません。自らの思惑通りに、私達を誘導するための』
しかし、わたしの半身は至って冷静だ。その澄んだ水面のごとく穏やかな思念に、暴発寸前の心が冷水を浴びたように引き締まる。
「――――そうね。ところで、そろそろ教えてくれないかしら……貴方が危険を冒してまで舞台に上がった理由を。わたしに苦言を呈する為に、そこまでした訳じゃないのでしょう?」
「へへ……やっぱり食えねェな、アンタは」
我捨の表情が、変わった。薄ら笑いを浮かべた口元はそのまま、
「なに、簡単な話さ。俺もアンタも、一人で栲猪を倒し切るのは難しい。だったら……手はひとつしかねえだろ?」
それはわたしも真っ先に考え、真っ先に捨てた手段。そもそも無理があり過ぎるのだ。人と妖、しかも互いに命の取り合いをした者同士が――――
「休戦協定改め、共同戦線だ。その位やらねえと、ヤロウに目にモノ見せらんねえからなァ!」
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