第96話 黒い太陽

【前回までのあらすじ】


 巨大な竜と化した竜姫と不知火ミイナの激突。それを止めるべく、灯夜は決死の覚悟で両者の間に飛び込んでいく。


 愛音がミイナを押さえているスキに、竜姫に思いをぶつける灯夜。己の身をかえりみず皆を救おうとする彼の姿を目の当たりにし、紅の竜姫はついにその矛を収めるのだった。


 しかし、戦いはまだ終わってはいない。【アライメント・シフト】によって暴走を続けるミイナ……彼女を止めない限り、池袋の街に明日は訪れないのだ――――!!




◇◇◇




『この戦いを止め、皆を助ける……か。何とも欲張りで虫のいい話だが、お主は断じて退くつもりはないのだな』


 まばゆい、けれどやわらかな光が巨竜の内からあふれ出る。その輝きはみるみるうちにあたり一体を埋め尽くして……ぼくがまばたきした次の瞬間には、紅の鱗を持つ巨大な怪物の姿は煙のようにかき消えていた。


「しかし、その道は険しいものになるぞ。何よりあのミイナとやら、思慮深いわらわと違い、おとなしくお主の話を聞くとは思えぬでな」


 その代わりに現れたのは、真紅の衣装に身を包んだすらりと背の高い少女。たなびく金髪の間からは鋭い角が伸び、背中には羽根と尻尾を備えた美しくも異形の姿だ。


 ――――紅の竜姫。彼女が幼い“お姫様”ではなくこの姿を取るという事は、すなわちまだ戦闘体制を解いていないという事を意味する。


 そう。彼女が矛を収めても、この戦いを終わらせるにはまだ足りない。

 ぼくはもうひとつの争いの種……暴走するミイナ先輩をなんとかして止めなければならないのだ。


「うーん、難しいのはわかってるけど……」


 実際、今の先輩と理性的な話し合いをするのは困難と言わざるを得ない。普段の状態ならまだしも、例のアライメントなんちゃらの影響下にある彼女は荒れ狂う炎の台風のようなもの。

 話し合いどころか、近寄っただけで真っ黒こげにされかねないのだから。


「でも、やるって決めたんだ。ぼくはまだ先輩と話せていない。先輩にだって、こんなふうになってしまう理由があったはずなのに……まだ何も聞きだせちゃいないんだから」


 ぼくが知っているのは、不知火ミイナという人間のほんの一部分にすぎない。例えば、猫とたわむれている時の笑顔や、ならず者を打ちのめす凛々りりしい姿。

 それらは紛れもなくミイナ先輩の真実の一面ではあるけれど、同時に数多あまたある

側面のひとつでしかないのだ。


 ぼくは先輩がなぜ竜姫を執拗しつように狙うのかも、どうして暴走するまで追い詰められたのかも知らない。彼女が今何を思い、何に対して怒っているのか。それを知るには、もう一度正面から向き合う必要がある。


 危ないからと逃げていては、永遠に彼女を理解することはできないだろう。先輩の……不知火ミイナの本質は、きっとその危険の先にこそ存在している。そんな気がするのだ。


「――――理由、か。確かにあやつの戦いぶりには尋常ならぬものを感じる。敵となったわらわがうかがい知れる事ではないが……」


 紅の竜姫の澄んだ瞳が、まっすぐにぼくを見つめている。小さな“お姫様”だった時から巨大な竜になっても変わることのなかった、空色の瞳。


「お主ならば、出来るやもしれん。あやつの曇った目を覚まさせる事がの」


 その静かな輝きの中に秘められた信頼と期待に……ぼくは応えたい。


「だが、くれぐれも無茶をするでないぞ! 危ういと見たら無理矢理にでも助けに入るからの?」


「うん。それじゃあ行ってく……わっ!?」


 ぼくが決意も新たに振り返った時、目の前には吹っ飛ばされてくる愛音ちゃんの背中があった。


「だ、大丈夫!?」


「へ、へヘへ……」


 ぶつかってきた華奢きゃしゃな身体は何とか受け止められたけど、ミイナ先輩の足止めはぼくが思っていた以上に愛音ちゃんを消耗させていたようだ。

 鮮やかな魔女っ子コスチュームの節々をすすで汚し、疲労困憊ひろうこんばいといった様子でぜえぜえと肩で息をしている彼女の姿に、ぼくは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「すまねえトウヤ……『時間を稼ぐのはいいが――――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?』とか言うつもりでがんばってはみたんだが……あの野郎、オレが想像してた以上のバケモノでな……」


 不敵なれど、ばつが悪そうな笑みを浮かべた彼女の視線の先には……暗雲の下でなおくらい、黒きオーラをまとった少女の姿があった。


「ミイナ、先輩……」


 憤怒ふんぬの形相というのは、こういう顔の事を言うのだろう。そのたてがみのような髪は炎のように逆立ち、食いしばった歯からは今にもぎりぎりときしむ音が聞こえてくるようだ。


「どいつもこいつもバカにしやがって……そんなにあたしの邪魔がしたいのか! あたしがやる事成す事、そんなに気に食わないって言うのかッ!」


 眉が吊り上がり、眉間に深いしわが刻まれる。ぼく達を見下ろす眼は、底知れぬ怒りにぎらぎらと燃え上がっていた。


「いいだろう……後悔させてやる。あたしを否定する奴は、みんな焼き尽くしてやる!」


 怨嗟えんさの叫びと共に、先輩を包んでいた瘴気しょうきのようなオーラが一気に膨れ上がった。爆発的に高まった霊力が、その場で禍々まがまがしい何かに変換されていく!


『だめ……それは、それだけは……いけない……!』


 ぼくの脳裏に、見知らぬ声が響いたのはそのときだった。ひどくか細い、それでいて切実な悲鳴のような声。


「えっ……!?」


 はっとして辺りを見回すけど、ここは池袋のはるか上空。ぼく達以外に誰もいる訳もなく。


 ……再び正面に視線を戻した時には、“それ”はもう始まっていた。


 ミイナ先輩の手のひらの上に、突如としてボールのような黒い球体が現れたかと思うと、それはゆっくりと浮き上がり……次第に速度を増して、空一面に広がるどす黒い雲の中にまっすぐ吸い込まれていく。


 その、直後だ。ばきん! と怖気おぞけが走るような破壊音が降りそそぎ、とてつもなく巨大な何かの気配が雲の中に生じていた。


「何だかわからねーが……何かやばい!」


「なんと、胸くそ悪い気配よ!」


 愛音ちゃんだけでなく、竜姫までもが深刻な表情で天を仰ぐ。今まで感じた事のない、けれど間違いなく恐ろしい何かが……あの雲の中から近づいてくる!


『ああ……だめ! 誰か……誰かこの子を止めて!』


 再び、見知らぬ誰かの声。けれど、ぼくの意識は“それ”に釘付けだった。


 ――――雲間から顔を出したのは、黒い半球体。闇そのものを凝縮したかのようなそれが放つのは……この世の物ならぬ悪意の気配。

 人も、物も、形あるものすべてを憎んでやまない……まさに破壊の意志そのものが、音もなくゆっくりと舞い降りてくる。


 「ち、ちょっと待てよ! アレ……どんだけ大きいんだ!?」


 恐ろしい事に、雲からせり出す半球はどこまでいっても半球だった。その直径はおそらく百メートルは超えているだろう。ぼくは襟元から氷水を流し込まれたような寒気を感じていた。


 ……もし、それがただのゴムボールに過ぎなかったとしても、百メートルのボールが落下すれば相当な被害が出るはずだ。

 ましてや、あれは炎の術者であるミイナ先輩が生み出したもの。ただのボールである訳がない。


「もう……止められないぞ。あれは全てを焼き尽くす暗黒の火! あたしが望み……願った力だ!」


 もし、もしもあれが爆弾のたぐいだとしたら、その威力はどれ程のものになるのだろう? 池袋の街全域が……いや、果たしてその程度で済んでくれるのか!?


「―――― “滅びの落日ghrwb alshams al'akhir”‼︎ 消え失せろ……この糞ったれな街と共に!!」


 頭上を埋め尽くす、暗黒の大怪球。まるで日が沈みゆくかのように、それはゆっくりと……しかし確実に地上を目指している。


 ……滅びをもたらす、黒い太陽。落日の時は、刻一刻と迫っていた――――!


 

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