第89話 謎秘めし深遠

【前回までのあらすじ】


 西池袋の高層ビル街で続く戦い。裏切りの妖・栲猪の戦法に、四方院樹希は苦戦を強いられていた。

 そこに突如乱入する妖の男、【がしゃ髑髏】の我捨。警戒する樹希に、彼は意外にも共闘を申し出る。

 

 付け焼き刃とは言え、二人の連携攻撃は強敵に一瞬の隙を生じさせた。ついに栲猪を捉える樹希の雷術。果たして決着なるか――――!!



◇◇◇



 ――――閃く雷光から一拍置いて、大気を切り裂く轟音がビルの谷間に響き渡る。背中から生えた骨腕でコンクリートの壁にしがみつく我捨がしゃは、雷撃を浴びた栲猪タクシシの身体が炎に包まれる様を確かに見た。


「やったか!?」


 四方院樹希の雷術は、これまでも数多くのあやかしほふってきた悪名高きもの。それが直撃したならば、たとえ土蜘蛛つちぐもの将と言えど無傷では済まないはず。

 標的を始末できた安堵感と、強敵を自らの手番で仕留められなかった一抹いちまつの悔しさが、我捨の胸中に去来きょらいする。


 ……だが、それも斜めに落下していく炎の塊がビルの壁面に触れた刹那、弾かれるように飛んだのを見るまでの事だった。塊はそのままの勢いで向かいのビルに向かうと、再び逆方向へと跳ね返る。


 壁を蹴って落下する速度を殺しているのだ、と我捨が思い至った時には……栲猪は何事もなかったように背の低いビルの屋上へと降り立っていた。

 その身体を焼いたはずの炎はすでに粗方消え去っており、わずかに残った火の粉も軽くマントをはたかれただけで跡形もなく散って失せる。


「効いてねえ、だと……!」


「どういう事なの!? “拆雷さくみかづち”は間違いなく奴を捉えたはずなのに!」


 困惑したのは、雷を放った樹希も同じであった。土蜘蛛が雷術への耐性を持っているなどと言う話は聞いたことが無い。となれば栲猪は一体、如何様にしてその身を守ったのか?


「……流石は、噂に聞く四方院の雷術よ。我とて、この【火鼠ひねずみ皮衣かわごろも】が無ければ危うい所であったわ」


 言いながら、身にまとった外套マントひるがえす栲猪。灰色であったはずのそれは、今は雪のごとき純白へとその色を変じていた。


『――――【火鼠の皮衣】!』


「知っているの、雷華!?」


『火中に投じても燃える事が無いといういにしえの宝具です。今で言う石綿に近い性質を持っていると言われ、それが本当なら……あの衣は電気を通しません』


 樹希の背筋を冷たいものが走る。得意の雷術が通じないとなれば、彼女はその片腕をもがれたに等しいのだ。


「くっ、妖がそんな物を使ってくるなんて……」


『確かに、こちらの想定外でした。連中が【召門石】を使っていた時点で、予測しておくべきだったかもしれませんね』


 栲猪が妖としての姿でなく、人間の姿を取ったまま戦っているのは……単なる霊力の節約目的ではなく、こうした呪具、宝具の利用をも考慮しての事だったのか。


 あの恐るべき体術の冴えに加え、宝具による鉄壁の護り。

 土蜘蛛七将・栲猪――――よもや、これほどまでの難敵とは。


「とは言え、流石に二体一では分が悪いか」


 再び壁に糸を打ち込み、栲猪は移動を開始する。歴戦の古強者である彼にとっては、この状況すら想定内であった……形勢不利に陥った時の為、事前に備えを用意していたのだ。

 後はそこに、敵を誘い込むだけ。


「ふふ……まさかここまで、心躍るいくさになろうとはな」


 ビルの窓に映った己の顔……喜びを隠し切れないその表情かおを見て、彼は苦笑する。


「四方院の妖遣いに、憑依を果たした妖。人と妖、双方の名うての強者が手を携えて向かってくる……これ程の窮地、一族の誰も味わった事はあるまいて」


 長らく陥る事の無かった苦境に、栲猪は理不尽なまでの充足感に満たされていた。土蜘蛛を束ねる将としてではなく、一介の武士もののふとしての闘い。

 それが、彼の眠っていた本能を呼び覚ましているのだ。


たぎるわ。年甲斐もなく……これでこそ、あの男・・・の口車に乗った甲斐があるというものよ!」




 ――――地下深く築かれた妖の居城、その最奥にある宝物殿。先の夜行……術者達の総本山である天海神楽学園への奇襲からおよそひと月が過ぎた頃、そこの警備を務める栲猪の前に男は現れた。


「……君を見込んで、ひとつ頼み事をしたいんだ。なに、簡単な事だよ。この後、ここを訪れるある妖に力を貸して欲しいのさ」


 その男の名は……“幽玄の君”。妖大将と旧知の仲だという彼は、この地下深く築かれた妖の居城への立ち入りを許された唯一の“人間”である。


「幽玄の君よ。貴公は何か、勘違いをしているのではないのか? 御大将の名の下に、その身の自由が担保されているとは言え……貴公に我等を動かす権限は無い筈だが」


「そう。だからこれはお願いだ。私から栲猪殿への……個人的な、ね」


 栲猪の拒絶にも動じる事なく、幽玄の君は更に言葉を続ける。


「もちろん、ただでとは言わないよ。相応の対価は用意してある」


「対価だと!? 土蜘蛛の将たる我が、小賢しい賄賂で動くとでも思ったか!」


 地下のひんやりと冷たい空気が、一瞬にして氷のように張り詰めた。一触即発とも取れる栲猪の怒気に、しかし男は緩い笑みを崩さない。


「君がそう安い漢でないのは当然、承知しているつもりさ。私の言う対価とは……とある情報の事だよ」


「……情報?」


「情報、あるいは秘密と言うべきかな。君がずっと知りたがっていた、この宝物殿についての秘密さ」


 己の心中を見透かされた気がして、栲猪はぞっとした。彼が初めて宝物殿の警備を任されて以来、長く抱き続けてきた疑問……この男は、それを知っているというのか?


「言ってみろ。此処ここは我が一族が代々護り続ける宝物殿。そこに一体いかなる秘密があるというのだ!」


 思わず声を荒げた彼の問い掛け。それが木霊となり、遠く響いて消え去るまで……幽玄の君は沈黙を続けた。実際にはほんの十数秒に過ぎない間であったにもかかわらず、栲猪にはそれが永遠にも等しく感じられる。


「……この宝物殿、いてはそこに集められた古今東西の呪具宝具。さて、かの妖大将はそれを何に使う心算つもりなのか。君が知りたいのはそれだろう?」


「――――!!」


 それこそが、まさに栲猪の胸にわだかまり続けた疑惑の根源であった。はるか昔にこの居城が築かれた時より存在し、妖大将の命の下に収集されたあまたの品々が納められた宝物殿。

 そこは簡単なまじないの道具から人類史から失われた貴重な魔術遺産までもが貯蔵され、同時に一切の持ち出し行為が禁じられている場所である。


 その管理は土蜘蛛一族の将が持ち回りで行うことになっており、それは一族への妖大将の信頼がいかにあついかを示すものでもあったのだ。


 ……大将直々に下された名誉ある役目。しかし栲猪には、どうしても理解できない事があった。それは、集められた品の使い道についてである。


 長い時を掛け、蓄えられた魔道の品たち。それらを用いれば、人間との戦いはもっと有利に運んだはずなのだ。少なくとも今現在のように、妖側が一方的に追い詰められる結果にはならなかったに違いない。

 それ程に強力な品までもが、この宝物殿には数多く納められていたのだから。


 だが先の夜行はもちろんの事、前世紀末に世界を震撼しんかんさせたかの大夜行においてすら……それらの品が使われる事は無かった。結果妖たちは大幅にその戦力を減じ、長い潜伏を余儀なくされたのだ。


 栲猪には、それが何故なのかが解らなかった。宝物殿の呪具や宝具を適切に投入していれば、彼らはここまでの犠牲を払わずに済んでいたはず。くだんの大夜行においても、少なくとも大敗だけは避けられたに違いないのだ。


 ――――御大将には、きっと何か深い御考えがあるのだ。そうでなければ、仲間たちを犠牲にしてまで宝物を温存したりはせぬ筈。しかし……一体何の為に? 大夜行よりも優先すべき大事が、この後に控えているとでも言うのか――――!?


 多くの妖達が、その命と引き換えにしてまで守った宝物の数々。その価値に……栲猪は疑問を抱かずにはいられなかったのだ。


「……貴公は、知っているというのか。この宝物殿の真の目的を。妖の命より重いその価値が……分かるというのか!」


「それを教えようというのさ。もっとも、君が私の申し出に応じてくれたらの話だがね……?」


 無言で、栲猪は首を縦に振った。



 そして、知ったのだ。地下の深遠に隠された、その恐るべき真実を――――!

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