15 十和田もなかなかの苦労人
小豆色ののぼり旗が目印の食事処は、文句のつけようのない和風の店であった。
取材のため様々な店を渡り歩く十和田も唸るほどだ。
新装開店して間もない店内は、天然木で埋め尽くされ、ほのかに木の香りが漂っている。しかしながら、決して料理の香りを邪魔はすることはない。
やわらかく落ちる照明に、さりげなく色どりを添える盆栽。
やや高級感を醸し出す雰囲気に似つかわしい、料理の数々もむろんのこと味もよい。仕事の合間の息抜きたる昼食に申し分なかった。
そのうえ、おごりときたもんだ。
最高である。
ただし、そのおごり主たる社長の愚痴付きであった。
――せっかくの飯がまずくなりそうだ。
そう思いながらも、十和田は顔にも態度にも出さない。
対座するナイスミドルな社長の話に相槌を欠かさず、箸を動かし続けていた。
三つ揃えを着こなす社長は、かぼちゃの天ぷらを咀嚼したあと、陰鬱にため息をついた。
「いまともに食事しているのが、山神様だったらどんなにいいか……」
「そうですね」
「山神様は旬な物がお好きだから、このかぼちゃや秋鮭の天ぷらもとてもお喜びになってくださるだろうに……!」
「そうですね」
「――いや、待てよ。甘味が三度の飯より大好きな山神は、さしてお気に召さないだろう。食後のこし餡の和菓子の方がより一層体毛を光らせてお喜びになるに違いない!」
「そうですね」
十和田はただ同じ台詞を繰り返す。たとえ失礼なことを申されようと、たとえ山神様のことならなんでも知っているぞと自慢げな態度を取られようと。
十和田が口答えしないのは立場的なものもあるが、同情しているからというのもあった。
社長は大いなる野望を持っている。
〝山神様と酒を酌み交わしたい〟である。
社長の先祖がそうだったからだ。ゆえにぜひとも己も、神とそんな仲になりたいと切望していた。
――無理だろ。決して叶うまい。
と思っているのは十和田だけではない。武蔵出版社社員の総意であった。
カタリ。突然、箸を置いた社長が居住まいを正し、まっすぐ見つめてきた。
「ところで十和田君、最近調子がいいようじゃないか」
――きた。
十和田はひきつりそうになる顔面に力を入れた。昼食をおごると社長が申し出てきた時から覚悟はしていた。
きっと探りを入れられるだろうと。
ひとまず十和田は茶で喉を潤し、すっとぼけた。
「そうですか? 前からこんなもんですよ」
「いや、前はもっと顔色が悪かった。いまはすこぶる健康のようだ」
その探るような目。なぜかよく浮気を疑っていた最初の妻を思い出し、げんなりした。
どうでもいい個人情報だが、十和田は二十九という年齢ながらも、二度も離婚をしている。現在、彼女募集中である。
話を戻すと、社長の言うことは当たっていた。
最近ぱったり悪霊に悩まされなくなったおかげだ。
十和田は非常に、霊に憑かれやすい体質をしている。
幼い頃から散々憑かれ、気の休まらない日々を送ってきた。
しかしながら、地域情報誌の山神様専用ページを書き続けた結果、山神からいかなる悪霊をも祓い尽くす木彫りをあずかる幸運に恵まれたのだ。
実際のところ、湊がそう勘違いするよう仕向けたのだが、それは置いておく。
十和田はいつ何時も、その木彫りを肌身離さず持っている。
むろん就寝時も、風呂に入る時でさえも。
なぜなら、常人でも感じるであろうが、水場には霊が寄ってきやすいからだ。
当然ながら今も持っているが、他者に知られないよう首からかけ、服の下に隠している。
人は善人ばかりではない。
手癖の悪い輩に盗まれでもしたらたまらないうえ、そんなことになれば、山神にも顔向けできないからだ。
だが、社長はうすうす気づいているようなのだ。
恐るべき山神センサーである。
「――それに十和田君、つい先日も方丈山に行ったそうじゃないか」
社長に恨めしげに言われた。これには十和田も反抗する。
「社長も行かれたらどうですか。登山者も大勢いましたよ」
血相を変えた社長は、軽く拳で席を叩いた。
「そんなことできるか! 山に登ること、それすなわち、山神様を踏むということなんだぞ……!」
山神愛もここまでくれば、あっぱれという他ない。
「はーっ、私も山神様にまたお会いしたい……」
社長は天井を見上げ、たった一度だけ目にした山神の御身を思い描いているようだ。
しかしいつまでもこの話題を引っ張っても仕方がないだろう。
十和田は小耳に挟んだ噂を持ち出した。
「そういえば社長、先日北部に取材にいった時に聞いた話なんですが――」
「なに!?」
社長は食事に戻ろうとしていたが、素早くお膳を脇へよけ、身を乗り出してきた。
「山神様のお膝元の話か。ぜひ聴こうじゃないか」
わかりやすく、かつ素晴らしい聴講者である。基本的に山神関連だけだが。
思いながら、十和田は声を落とした。
「なんでも、方丈山に登山に行ったらしい者が、行方不明になっているようです」
「行ったらしいというなら、はっきりわかっていないということかね」
「そうみたいです。中年男性とのことですが、一人暮らしだったようで、出かけるところを見た者はいないそうです。そのいなくなる前に最後に会ったのが、会社の同僚らしく、『次の休みに御山へ行くかもしれない』と曖昧なことを言っていたという話でした」
「――なんとも言えないな」
「そうなんですよね。ですが、年配の者たちが口をそろえて言うんですよ。きっと御山へ行って山の怪に遭ったんだって。――山の神様に隠されたんだって」
社長が雷に打たれたように震えた。
「な、な、なにぃ!? 山神様の自宅に招待されただとぉッ!?」
「――そうとるのかよ」
十和田はつい素で言ってしまい、慌てて咳払いをする。その間も顔を紅潮させた社長の嫉妬は吹き荒れる。
「なんて羨ましい……! なぜ山神様は私を招待してくださらないのかっ」
御山に行かないからでは、などと言えるはずもない。噂は噂にすぎないのだ。
「社長、話にはまだ続きがあります」
「言ってみたまえ!」
ぐわっと見開かれた目で見られ、十和田はやや上半身を引きつつ語る。
「――年配者たちが言うにはですね、その人たちが小さい頃にも何度かあったそうです。それで、行方不明になっていた者たちは、無事に帰ってきているとも言っていました」
「その方々のお住まいはどこだね? ぜひとも話をうかがいにいかねばならん!」
「それは無理ですね。もう全員鬼籍に入ったそうなので」
「そうか……残念だ……」
社長は目に見えてしょぼくれた。
――このお人、こじらせすぎではないか。だいぶヤバイところまできてるだろ。
十和田が戦慄していると、社長が顔を上げた。
「ところで十和田君、先日山神様とともにいた青年は誰だった、いや、山神様とどのようなご関係だと思うかね?」
気になって気になって、仕方がないのだろう。
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