11 陰陽師と退魔師の因縁




 由良の言葉通り、確かに次の現場はすぐそこだった。

 けれども、そこは町の境界近くにある住宅地の中の一軒家だ。

 川を境にして方丈町と泳州町は別れており、悪霊が巣食う場所は泳州町側になる。


 播磨たちは、二階建ての家を見上げた。

 それなりの年月雨風に耐えてきたのであろう、やや古びた外観。その窓という窓の隙間からうっすら瘴気が漏れ出している。

 この家に悪霊がいるのは紛れもないが、ここは空き家ではない。

 播磨が煤けた表札を見て視線を由良へ移すと、眉をハの字に下げられた。


「申し訳ありません。見て見ぬふりができなかったんです……」


 人の善さがにじみ出たその佇まいを見てしまえば、播磨も強く言えない。


「わからないでもないが……。しかしここはな……」

「泳州町側ですからね……。手を出すと面倒なことになりそうですかね?」


 新人に訊かれ、播磨はとっさに返事ができず、再び家を見上げた。

 立ち上る瘴気は薄い。おそらく家人が取り憑かれているのだろう。


「できるだけ早く済ませるなら……いやでもな……」


 迷う播磨の横で、由良がポンと手を打つ。


「家人をおびき出して、さくっと始末するのはどうでしょう?」

「まるで悪事を働くような言い草だな。誰もいないからいいものを……。誤解されかねない言い方をするんじゃない」

「申し訳ありません」


 由良は肩をすぼめ、ゴツい身体を小さくした。


「インターフォンを押して、憑かれた本人が出てくればいいんですけどね。物は試しでやってみましょうか?」


 新人がインターフォンを指さした。


「おいおい、陰陽師さんらよ。なんでここにいやがるんですかね」


 突然、背後からかかったダミ声に、陰陽師たちは振り返る。

 大柄な男が僧衣めいた衣の裾をひらめかせ、歩み寄ってくるところだった。


 退魔師だ。

 退魔師たちは基本的に、僧を彷彿とさせる格好をしている。さりとて頭を丸めても、袈裟も身につけてもいないため、本職と見分けはつきやすい。

 その一人であるこの四十絡みで糸目の狡猾そうな顔つきの男とは、少し前に葛木と仕事中にも出くわしたことがある。


 方丈町付近に任務でくるたびに会うな、と頭の片隅で思う播磨だが無表情である。

 その播磨の真向かいに立った退魔師――安庄あんしょうは、下から睨み上げた。


「ここらは、アンタらが出張ってきたらダメな場所でしょうがっ」

「――そうでしたね」


 ここまで近づいてこられたら、無視もできなかった。

 安庄がいうことなぞ実にくだらないとは思うも、慣習だから従わないわけにもいかない。

 これが、眼前の家の悪霊を祓うことをためらっていた理由だった。


 昔から地域に根ざした退魔師がいる場合、陰陽師はその町で悪霊祓いができない。

 それは不文律とはいえ、陰陽師――国家側も民間の術者が悪霊を祓ってくれるなら否やはなく、暗黙の了解となっている。

 今では陰陽師と同様に退魔師も減り、格段にそういう町は少なくなったが、この泳州町は術者の家系がいくらか残る町である。


 なお退魔師たちは、個人からの依頼で悪霊祓いなどを請け負っており、陰陽師が彼らが牛耳る町に入ると必ずどこからともなく現れ、追い払っている。


「ここらは、退魔師私らの陣地ですよ。ほらほら陰陽師の者らは、自分らの巣へお帰り!」


 安庄は〝陰陽師〟という単語だけ、一段と声を張り上げて、虫でも払うように手を振った。




 陰陽師たちは、すごすごと引き下がるしかなかった。

 安庄がインターフォンで話す大声を背中で聞きつつ、角を曲がる寸前、播磨が件の家屋を見やる。

 かすかに開いた玄関扉から濃い瘴気が漂い出るのが見えた。むろん気づいているであろう僧衣の男の後ろ姿は、即座に行動を起こすことはなかった。


「あの家の方は、確実に祓ってもらえるんでしょうか……」


 由良も心配げに見ていた。

 肩を並べる播磨はもう後ろを気にすることもなく、行く手を向いた。


「おそらくな。俺たちには険悪な態度を取る退魔師たちだが、仕事に関してはプロだろう。この地に住まう者ならなおさらだ。いい加減な仕事をしていたら、商売上がったりだろうからな」


 ろくに効果のない呪符を売りつけたり、悪霊に取り憑かれているとうそぶいて祓うフリをするだけだったり。そんなあこぎな商売をしているのは、流れの退魔師が多い。


「それにしても、いまだに彼らは、陰陽師と名乗れないことを根に持っているんだな」

「そのようですね。言い方がずいぶん刺々しくて閉口しました」


 播磨に答える由良は一般家庭育ちで理解しがたいらしく、呆れ気味だ。

 一方、目を伏せる新人の表情は固かった。


「――わからないでもないです。たぶん俺が向こう側だったら、同じ気持ちになると思います」


 陰陽道宗家の者としての言葉だろう。

 退魔師も陰陽道に基づいた術を行使する者が大半なため、かつては陰陽師と名乗っていた。

 しかし、もともと〝陰陽師〟とは、陰陽寮の役職名の一つを表す名称だった。

 いつしか陰陽道の術者をさす職業名となったが、江戸の頃、陰陽道宗家が権力に物をいわせ、陰陽寮に属する者のみの称号とし、民間の術者たちは名乗れなくなった経緯がある。


 ゆえに彼らは、退魔師と称しているのだが、いまだ彼らの中でわだかまりが残っており、事あるごとに陰陽師を目の敵にしている。


 ポツリと落ちた雨粒が路上に点を打った。

 にわかにその数が増す中、播磨が空を見上げる。いつの間にか、垂れ込めていた雨雲が幅を利かせていた。

 けれども遠くの御山を避けるようで、その一帯は青空だ。しばしば赴く楠木邸のあたりは濡れてはいまい。

 あそこはいつでも春の陽気に満ちている。つい先日訪れた際もそうだったと播磨は頭の片隅で思った。


「播磨さん、急ぎましょう」

「――ああ」


 由良に促され、早足になった二人を追って、播磨も足を速めた。

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