10 現代の陰陽師




 方丈町と泳州町の境目近辺。遠くにかすむ御山方面へ顔を向ける巨大なクジラのモニュメントは、表層がひび割れ、ずいぶん色あせている。

 晴れた空を見つめるその眼球も白茶けていた。


 そのクジラの尾がさす河川敷で、二人の陰陽師が悪霊祓いの任に励んでいた。

 体格のよい由良と痩軀の男――新人だ。橋の下で身構えるその彼らの前に、大量の悪霊がはびこっている。


 まだ明確な形をとれぬ弱い悪霊たちは黒い粘液状をしており、地面から橋脚、橋の裏側の広範囲に及んでいた。

 上部から糸を引いて垂れ下がり、至る所でボコボコと丸い形で沸き立つ様は地獄温泉のよう。

 その光景を、由良は嫌悪の表情もあらわに見据えた。


「ここまで弱い悪霊が増えたのは、久しぶりですね」


 いいざま、地面から飛んできた大きな塊を呪符を飛ばして祓った。


「そうですね。――うっとうしさしかない」


 後方から進み出た新人が形代を放った。宙で人型に変化し、地面に這う悪霊の絨毯をその爪で掻くように消していく。

 が、数メートルも進めば、その姿はおぼろにかすみ、荒波と化した悪霊に呑み込まれた。たったそれだけしか祓えず、姿を消してしまった。

 まだ横と上にも腐るほどいるというのに。


 式神の強さは、術者の能力に比例するものだ。

 とはいえ、新人の能力が取り立てて劣っているわけでもない。平均的だといえる。

 残念ながら現代の陰陽師は、強いとは言いがたい。

 陰陽師の数が多く活躍していた平安の頃に比べたら、その能力は半分以下となっている。


 由良と新人は淡々と式神と呪符を用い、悪霊を祓っていく。

 晴れた天気に似つかわしくない、黒々としたモノたちが半分程度になった頃、ふいに橋脚の液体がさざめくように波打った。即座、橋の上へ這って逃げかける。


「逃がすかよ!」


 それを目掛け、呪符を手にした新人が馳せ寄った。


「待て、いくなっ」


 血相を変えた由良が手を伸ばす。おぞましい気配が彼方から近づいてくるのを察知していたからだ。

 だが、やや遅かった。

 突如、空から飛来した人型の悪霊が新人を弾き飛ばし、橋脚に張り付いた。四つん這いになったその姿は、ヤモリのようだ。

 それは、地面に伏した新人を一顧だにせず、はびこる悪霊だけを見ている。そして両手で粘液をかき集め、喰らいはじめた。その様子は醜悪極まりない。


 悪霊は自らの力を上げるため、好んで悪霊を食す。まさに弱肉強食の世界で、勝ったほうの形態となる。


 もとより人の形をした悪霊だったが、その輪郭は曖昧模糊としていて特徴のない影法師めいていた。それが一帯の悪霊を喰らううちに、髪が伸び、衣服に似たモノまでまとった。

 力をつけて自ら形態を変化させたのだ。

 おかげで、より生者に近づいた様相になった。


 由良は新人を己の後ろへ隠し、奥歯を噛みしめた。

 腹部を押さえて呻く新人は、すぐに復帰できそうにない。

 人型の悪霊は、小賢しい。おおむね生前の記憶を有し、知恵が回るから厄介だ。中には人に取り憑き、その身体を乗っ取るモノもいる。

 そんなタチの悪い悪霊を、むざむざ逃がすわけにはいかない。


 由良が呪符を投げた。それを悪霊を喰らい終えた人型は跳んで避けた。地面へ降り立ち、からかうように由良たちの周囲を跳ね飛び、大口を開けた。

 濃霧紛いの瘴気を吐き出し、煙に巻く。それを手で払う由良を後目に、軽業師もかくやの身軽さで橋脚を駆け上がり、橋の上へ逃げた。


 しかし、そこに到達した悪霊の目が見開かれる。

 濁ったそのまなこが最期に映したのは、胸の前で印を結び、己を見据える黒衣の男だった。


「播磨さん……」


 上空で爆散する悪霊を目にした由良は、深く息をついた。




「まことに申し訳ありませんでした」


 播磨が橋の下へ向かうと、折り目正しく深々と頭を下げた由良に出迎えられた。その後方に、居心地の悪そうな新人が立っている。

 衣服の汚れ具合から彼が足を引っ張ったのだろうと播磨は察した。


「由良、頭を上げろ」


 伝えたあと、新人を見やる。


「――俺、いえ、すべて私のせいです。ご迷惑をおかけしました……」


 消え入りそうな声で告げられ、頭も下げられた。

 彼は現在、四家しか残っていない陰陽道宗家の者になる。


 陰陽道宗家絡みの者たちは、異様に血筋と陰陽道へのこだわりが強い。

 陰陽寮に所属する者で、陰陽道の術が薄い、あるいは異なる術――道教・修験道・密教などを主として遣う家系の者たちを邪道呼ばわりし、陰陽師とは認めない頭の固い連中が多い。


 つまり密教色の強い播磨家とも折り合いが悪い。

 四家の一家である一条家がその筆頭だ。その家の次期当主たる晴士郎と同じ立場であるこの新人は、仕事には一切私情を挟まない。

 そこだけは好感が持てるところだった。


「ああ。今回の失敗を反省して、次に活かせばいい」


 いくらでも機会はあるだろう、まだ命があるのだから。

 その言葉を播磨は呑み込んだ。

 平安の頃とは違い、生者を喰らう妖怪が姿を消して久しい現代では、任務中に命を落とすことなどほぼない。

 妖怪退治はあまりなく、もっぱら悪霊祓いを行っている。


 橋の下を丹念に見渡した播磨が視線を戻すと、にへっと由良が笑う。


「悪霊は、もう完全にいませんよ」

「――そのようだな。体調は問題ないか?」

「はい、まったく……。と言いたいところですが、まだ鳥肌が収まりません」


 胴震いした由良は、二の腕をさすった。

 実は彼、補佐の立場の者であり、術者ではない。


 陰陽寮には、陰陽師を補佐する役割の者たちがいる。彼らは霊力を持たず、ただ悪霊が認識できるのみで、祓うことはできない。

 彼らの任は各地を巡回して悪霊を発見次第、術者へ連絡することだ。それを受けた術者が悪霊が強くなる前に出向き、その芽を摘み取っている。

 そんな彼らの存在はほとんどの国民には知られていない。科学が発達した今、常人には認識できない悪霊相手だからこそ、慎重に行動していた。


 ともかく、由良は悪霊が認識できるものの、神との親和性のほうが高いゆえ、悪霊のそばに長居すると具合が悪くなる体質だ。しかしながら、根が勇敢で無茶しがちである。

 今回、彼は別件で遅れた播磨を待ちきれなかった新人に伴うかたちで、ここに赴いていた。

 事を急いだ新人の表情は今なお沈んでいる。こたびの任の悪霊は、ただの有象無象の集まりでしかないと高を括っていたのだろう。


 陰陽師は、二人一組で行動することを義務付けられている。

 いちおう由良も陰陽師枠であるから、違反ではないため電話で許可したものの、新人はまだ経験が浅く先走る傾向がある。早計だったかもしれない。

 播磨はあえて新人に何も言わず、由良に話しかけた。


「あともう一つの現場は、この近くだったか?」

「あ、はい、すぐ近くです。ご案内します」


 気負いなく由良は、先に立った。

 彼らは一つ違いで、学生の頃から先輩後輩の間柄であり、なおかつ近々義兄弟になる。

 由良は、播磨の妹の婚約者でもあった。

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