第3章
1 庭の改装は山神の趣味である
風薫る新緑の季節。澄み渡る青空のもと、
一年の中でもっとも色鮮やかなこの時期は、まるで草木自身が喜び、笑って
そんなお隣さんと同じ色を基調とした、楠木邸の神の庭。
なだらかな起伏を描く敷地には、ひょうたん型の御池。
石造りの太鼓橋。二基の石灯籠。小径である飛び石。
日本庭園を彩るのに欠かせない面子が、絶妙な位置に配置されている。
庭の片隅でほかほかと湯気を上げる、かけ流しの天然温泉がやや異色であろう。
他には、庭の名脇役とも称すべき、庭木たちがいる。
その低い木たちが静かに動き出した。
やがてすべての庭木が敷地の外周に身を寄せた。
あとには、整然と設置されたモノだけしか残されていない。
ほぼ石で構成された庭は、見る者に寒々とした印象を与えるものだ。
つい先日まで、庭の中心にそびえていた神木クスノキがないため、その印象に拍車がかかる。
そのクスノキはといえば、無事に発芽した。
とはいえ、まだまだ小さい。土がむき出しになった中心に、
ふるると三枚の葉を震わせ、ここにいるよと自らの存在を主張していた。
その様子を縁側から
傍らにはむろん、真白の
堂々と我が物顔で鎮座していた。
縁側のひさしの影であろうと、その毛並みの汚れなきまばゆさは健在である。
昼食後の茶菓子を堪能したあと『近頃暑くなってきたものよ。どれ、庭の改装でもやろうぞ』というノリで突如、庭の改装をはじめてしまったのだった。
山神の
途端、外周の大小さまざまな岩が動く。
ひょうたんの形が崩れ、ぐんにゃりと伸びて縦長になった。
ものの数秒で、庭を横断する長い川へと形を変えてしまった。ゆるく蛇行したその
麒麟がお気に入りの太鼓橋も、川の中央に楚々として架かっている。
湊によって直接、間接的に救われた四分類の長たる、四霊。
長らく悪霊に取り込まれていたせいで弱っていたものの、神の庭でのんびり過ごすうちに、霊亀、応龍、麒麟は力を取り戻しつつある。
つい先日、脱皮を終えたばかりだ。
その身が見違えるほど鮮やかに変貌している。
ただ、
今も石灯籠の
またも山神の視線が流れる。
今度は、小径を担う飛び石たちも静かに動き出す。太鼓橋のたもとへとつながるように、間隔をあけて並び、一本の道をつくった。
これからは、裏門へといくためには、太鼓橋を渡る仕様になった。
山神が川をなぞるように流し見る。
それに合わせて、水も流れはじめる。川の両端は、塀にくっついているというのに。
湊が山側の塀を
敷地外から水音は一切聞こえてこない。
「水はどこからきて、どこに流れていってるんだ……」
思わずつぶやいてしまうと、山神が低く嗤う。
「知りたいか」
「……いえ、結構です」
秘密の暴露はほどほどに。余計な知識はいらぬ。
敷地の脇へと退避していた庭木たちが、おのおの新しい場所へと散っていく。
しばらくすると、すべての庭木と地面が静止し、ズルズルと土が動く異様な音がやんだ。
かくして、庭の改装は
「ひょうたん型のため池が川になると、かなり受ける印象が変わるね」
「よかろう」
「そうだね。水の流れがあると涼しく感じるよ」
露天風呂の位置は変わらず、庭の片隅にある。
庭の移り変わりを見届けた湊が正面を見やる。
そこには、一回りほど縮んだ山神がいた。一般的な大型犬サイズは、湊とほとんど同じくらいだ。
またも縮小してしまっていた。
「やっぱり……」
湊が浅くため息を吐く。
庭の改装に
先月庭の木を桜に変え、元に戻してからあまり日が経っていない。連続して神力を遣ったせいに違いない。
「だから、まだやめておいたほうがいいって言ったのに……」
いちおう湊は、事前に止めていたが、聞く耳を持たぬ山神に強行されてしまった。
たとえ身が縮もうと欠片も気にしない山神は、いまだ真剣な面持ちで庭を見据えている。
山神にとって小さくなる程度のことは、
ここのところ、まだ梅雨にも入っていないにもかかわらず、すでに夏かと勘違いしそうな暑い日が続いている。
ゆえに、一足も二足も早く夏の庭にしたかったようだ。
「……ぬぅ、この庭、ちと味気なかろう。……いまいちぞ」
庭の景観に並々ならぬこだわりを持つ
不満げな湊が眉を寄せた。
「かなり大きく変わったと思う。目新しいし、前と引けを取らないくらい美しいよ」
「ぬぅ、しかしな……どうにも……。なにか違うと云えばよいか、しっくりこぬと云うべきか」
「気に入らない、と」
「物足りぬ……気がしないでもない」
自分でもいまいち理由がわからぬと見える。
山神が庭のあちこちに視線を投げると、それに連動して川の縁が広がったり、狭まったり。おかげで、落ち着いていた木や他の岩までも動き出した。
「――川をもっと……こちら側に寄せるべきか……いや、曲がりが足らぬか……右に、いや、左であろうか」
その言葉通り、ああでもないこうでもないとばかりに、川がぐにゃぐにゃと変形する。
その都度、わずかずつ山神の身が小さくなっていく。
「……ぬぅ、気に入らぬ。そうさな、川が一本のみなのが、いかんのか。途中から分かれ、二又になるのもまたよきか……」
ガバリと川の真ん中あたりが二つに裂けた時、山神の輪郭が
そうして、透けはじめた。
徐々に向こう側の景色がはっきり見えた。
明らかに神力を遣いすぎている。
それを見てしまった湊が焦る。
「山神さん、ストップ、ストップ! もういいから!」
ストップは、山神の知らぬ英単語だった。言い直す羽目になった。
進言したところで、
普段、大声を出すことなどまずない湊のその声は、やけに庭中に響いた。
山神が瞬く。それから何かに思い至ったように、大きくうなずいた。
「そうか、音か。水音が足りぬのか」
「……なんで、そこ……?」
ちろりと山神が湊を流し見る。
「これで最後ぞ」
聞き入れてはくれるらしい。
山神の御身は、今や中型犬ほどになっている。
その小ぶりな前足を挙げ、ぽすっと強めに座布団を叩いた。
さすれば、田んぼ側の塀から岩が浮き出てきた。切り立つ、細長い二本の岩。その合間の上部から、水が勢いよく流れ落ちはじめた。
突如として、庭に小滝が出現した。
ささやかな規模なれど、滝は滝である。
水音も大きすぎず、小さすぎず、心地よい音色を奏でている。
水が流れ落ちゆく先、
楠木邸の庭には、絶えずやわらかな春風が吹き、山神自体が発する森林の香りがする。
そこに今度は、マイナスイオンを放つ滝である。
神の庭は、さらにリラクゼーション効果を上げた。
それに引き換え、山神はといえば――。
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