2 山神ちゃまアゲイン
滝を一瞥した湊が真正面を向く。
いつもの高さの位置に狼の頭部はない。視軸が下がり、顎まで引けば、ようやく金眼の視線と
「……またチワワサイズになってるよ……」
「我、狼ぞ」
「知ってる」
はーっと湊は盛大にため息を吐いた。座卓の上で組み合わさるその両手には力がこもっている。
山神の
あまりに心臓に悪い。
たとえ神力が弱まっても、存在そのものは消えないと知ってはいても、庭の模様替えすごいな! と能天気にはしゃげるはずもない。
「どうしてそこまでして、ここの庭の改装にこだわるんだ」
やや責める口調になってしまったのは、致し方あるまい。
「なあに、季節に合わせたまでよ。せっかくの箱庭であろう、見栄えは大事ぞ」
「
つい本音が口をついて出てしまう。
山神は不可思議そうに小首を傾げた。
「自然のモノは、あるがままそこにあるからこそ美しかろう」
「それは、まぁ……わからないでもないけど」
自然の物――木なり、草なりを見目よく整えるのは、人間の勝手な都合だろう。自然のほうからしてみれば、いらぬ世話なのかもしれない。
先日、新たな異能を与えてくれた神もそうだ。
楠木邸からさほど離れていない場所にある朽ちかけたお社。そこは、とある女神の神域へとつながる場所だった。
通りすがりに引き寄せられてしまい、その神域から出るため、女神に依頼された神域内の清浄化を施すと、お礼として力を貸し与えられた。
目に見えない感情、異能なども閉じ込められる力だ。
まだ完全にはものにできてはいない。
ともあれ、かの女神の
人からすれば、思わず顔を背けたくなる朽ちかけの惨状でも、女神は微塵も気にしていなかった。
なお、荒れた社について山神に尋ねてみたところ、なんら問題ないゆえ放置で構わぬと告げられた。
『下手に
ゆえに、あれから一度もそこには近づいていない。
なれど、そのまま見過ごすのも気が引ける。
女神からいただいた力を使いこなせるようになったあかつきには、御礼がてら訪れてみようと考えている。
山神が再度、庭の端から端まで眺め、ふすっと鼻を鳴らした。かろやかに尾もゆれる。
「よき」
たいそう満足げにつぶやいた。
よっこいしょと横たわり、重ねた前足に顎を乗せた。
座布団が巨大なだけに、その小柄さがより強調された。
「……山神さん、体、大丈夫?」
「逆に問う。問題あるように見えるか」
しばし
うっすらきらめきをまとっており、巨躯の時とほぼ変わりなくまばゆい。ふささっと尾が振られるたび、ぺかぺかと後光まで差している。
「いつも通り輝いてる」
やや納得がいっていないような物言いに、忍び笑いを漏らした山神は瞼を閉じた。
山神は、本体が山だ。
現在の狼体は、仮の体でしかない。
肉体的苦痛は感じないのだという。
ゆえに縮もうが、透けようが、さして興味もないのだろう。
座布団に埋もれてまどろんでいる狼を眺めている時、かすかな土を踏む音が鳴る。
そちらに目を転じれば、縁側のそばで麒麟が佇んでいた。
庭の改装が始まる直前、麒麟は屋根に避難していたが、降りてきたようだ。
同じく縁側下にもぐり込んでいた霊亀も這い出してきて、のっそりと川へと這っていく。
並び立つ石灯籠の片方に乗っていた応龍も、音もなく羽ばたき、滑るように霊亀のあとを追っていった。
麒麟がふいっと顔ごと田んぼ側を指し示す。
今からちょっと出かけてきます、の合図だ。
麒麟は頻繁に世界中へと旅立ち、あらゆる土地を
霊亀や応龍と違い、
『しばらく遠出して参ります。西方の大陸の探索がまだ済んでおりませんので。わたくしめが不在の間、戸締まりには十二分にお気をつけくださいませ。いくらここが人里から離れた場所とはいえ、昨今では――』
言葉を切り、首を左右に振った。
長いヒゲもその動作に追従する。さも
『いいえ、大昔から心根の腐った
湊には、麒麟のお出かけ前の長いあいさつは聞こえない。ただいつものごとく妄想を思い描いているのだとしか映らない。
「麒麟さん、出かけるんだよね。気をつけて」
麒麟が軽く首肯する。
『はい。では、お土産を楽しみにしていてくださいね』
軽く地を蹴った。
ひとっ飛びで塀を軽々越え、山の向こうへと消えていった。
石灯籠の火袋の部分が、桜真珠の光を発している。
鼓動めいて力強く明滅を繰り返す中で、鳳凰は眠っている。
鳳凰はいまだ、手のひらサイズのひよこのままだ。
その身が大きくなりそうな前兆もないが、至って元気に過ごしており、しばらく住まいにこもりっきりのため、そろそろ出てくる頃合いだろう。
その傍らにもう一基の石灯籠がある。
開口部を固く閉ざされた暗い火袋。
その中には、神霊が眠っている。
縁側を下りた湊がその石灯籠を眺めやる。
誰が寄っても何も反応しないそこには、あまり近づかないようにしていた。
変に刺激しないほうがいいだろうとの判断からだった。
憎き人間の一人である湊を、神霊がなんのわだかまりもなく受け入れてくれるとは限らないからだ。
「麒麟さんと同じように、ここに馴染んでくれるならいいけど」
独りごちながら、じょうろを片手に小径を渡る。
目指すは、庭の中心。
そこで、幼木――クスノキが風と戯れている。
その身は、片手で容易に覆ってしまえるほど、小さい。
木というよりも草と言ったほうがしっくりくる頼りなさである。
以前の逞しさは欠片もなく、薄緑の若葉が三枚だけ生えているだけだ。そのうち二枚の大葉が鳥の翼を彷彿とさせる動きで、風と戯れていた。
一度種に還り、再度芽吹いたクスノキは、とても元気だ。
けれども、その周囲の土は乾いている。
朝方、たらふく水をあげたというのに。
湊が川からなみなみとじょうろに神水を汲み、クスノキの上からかけていく。薄い緑が水気をたたえ、濃さを増す。
小雨のごとき水を浴びると、若葉は大人しくなった。
集中してむさぼり飲んでいる。
じょうろは小ぶりで、すぐにカラになってしまう。
そして土の表面も急激に乾燥し、二度、三度と水を汲んで与え続ける。
様変わりした庭の確認をしたくとも、今はそれどころではない。
大量の水を欲するクスノキの世話のほうが優先である。
十杯目をかけ終わると、ようやく土は湿り気を帯びたままになった。
「……そろそろ、足りた?」
クスノキは、ピッと三枚の葉を天へと逆立てた。
ご満足いただけたようである。
以前にも増して自らの意思を伝えてくれるようになっていた。
どうも進化しているようだが、湊的にはクスノキが元気であれば無問題である。
そこはいいのだが、クスノキはここのところ、異様に水を求めるようになってしまった。
根腐れを心配して山神に訊けば、望むだけ与えてやれと告げられ、その通りにしている。
湊がカラのじょうろを持ち上げた。
「もっと大きいのを買うか……」
ぷるると若葉がゆれる。ひどく申し訳なさそうで、湊は苦笑する。
「新しい物はこれからもいるだろうし、気にしなくていいよ」
今のじょうろは、もともと庭の片隅にひっそり佇む物置きに保管されていた物だ。
いずれ自分がここを去る時に、さりげなく大きいじょうろも横に添えておけばいいだろう。
そう自然に考える湊は、そんな日は絶対に訪れないことを、いまだ気づいていない。
この家を買い取ろうとしている者たちは、神々の鉄壁の防御――山神、風神、雷神の神域へ強制ご招待の前にみんな敗北している。
いつまで経っても買い手が現れることはないのだから。
「とりあえず、庭の隅々まで見てみよう」
管理人たる者、自らが管理する場所の把握を怠るわけにはいかぬ。
ドドドッと水音を立てる滝へと向かっていった。
世間ではそうそうと夏に向け、草木は彩度を上げている真っ只中。
楠木邸上空でも、精力的な太陽が惜しげもなくその姿を晒している。敷地外を囲うクスノキと御山の木々たちは降り注ぐ強い日差しを一身に受けていた。
けれども、神の庭はやわらかな春の陽気に包まれている。
庭の木々と神木クスノキは歌うようにその身をそよがせた。
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